第11話:つまらん。……でも、ひとつだけ残ってる
「ひとり、会っていただきたい方がいます」
ミアがそう言ったあと、俺はしばらく黙っていた。
広い客室だった。天井は高いし、椅子も机も無駄に上等だ。窓の外には、黒い石で囲まれた魔王城の中庭まで見える。
そんな立派な部屋で、机の上に浮いているのは、因果再接続だの存在維持監査だの、言葉だけで眠くなるような画面ばかりだった。
「……誰だよ」
「今は、まだ」
「何だそれ」
「今ここで言ってしまうと、たぶん零さん、それだけで頭がいっぱいになるので……」
「もう十分いっぱいなんだけど」
そう言って、俺は椅子の背にもたれた。
魔王はまだいい。ちゃんと怒っていたし、ちゃんと重かったし、ちゃんと面倒だった。リリスも、都合よく全部を差し出してくるわけじゃない。だからまだ、こっちが相手をしている感じがあった。
でも、その後に出てきたのがこれだ。
報告書。再計算。存在整理。
強いだの弱いだの以前に、単純につまらない。
「零さん」
ミアが小さく言った。
「たぶん零さん、今のままだと、この先もずっと“つまらない”にぶつかります」
「いきなり嫌なこと言うな」
「でも、本当なので……」
「……解決策がありますよ、だっけ」
「はい」
「それが、今の“ひとり会ってほしい”か」
「そうです」
俺は返事をせず、机の上の光る画面を一枚指で払った。
因果再接続。
嫌な単語だ。
俺が雑に消した盗賊の“その後”を、世界の側で無理やり辻褄合わせしている。それを知った瞬間から、何かが少し冷えた。
もう一枚払う。
自動最適化人員の存在整理。
もっと嫌だ。
理想のゲームを最短で完成させた時、そこにいた理想のスタッフたちは、理想を達成した瞬間に“整理対象”へ変わる。
何だそれ。
そりゃ、手触りというか、実感がが死ぬわけだ。
「……つまんねえ」
ぽつりと漏れた。
ミアは、少しだけ目を伏せる。
「そう仰ると思っていました……」
「いや、だってそうだろ」
画面の端を弾く。
「魔王はまだいいよ。ちゃんと怒ってるし、ちゃんと重いし、ちゃんとイベントだ。でもこっちは何だよ。報告書と再計算ばっかりじゃん」
「世界を壊さず維持するには必要です……」
「分かる。分かるけど、つまんねえ」
正直だった。
これは本当に、つまらなかった。
強敵もいない。熱もない。達成感の気配も薄い。あるのは、使った権限の後始末だけ。
何でもできる世界の裏側は、だいたいこういう地味な作業で回っているらしい。
最悪だ。
その時だった。
扉が叩かれた。
俺とミアが同時にそちらを見る。
「入れ」
俺が言うと、静かに扉が開いた。
入ってきたのは、昨日門前にいたような兵ではなく、黒衣の老執事だった。背筋はぴんと伸び、顔には皺が深い。いかにも代々この城に仕えています、という空気をまとっている。
「魔王陛下より、お言葉を預かっております」
老執事は一礼して、それだけを告げた。
「何て?」
俺が聞くと、老執事は顔色ひとつ変えずに言った。
「『気に入らん。まことに気に入らんが』」
「そこからなのか」
「『娘が選んだ以上、城門で斬り捨てるわけにもいかん』」
なるほど。
やっぱり、そこか。
「『認めたわけではない』」
「知ってる」
「『だが、追い返しもしない』」
俺は少しだけ笑いそうになった。
認めたわけではない。気に入ってもいない。だが追い返しもしない。
いかにも、あの魔王だった。
都合よく心変わりしていない。こっちを好いてもいない。あくまで、娘が本気だから折れただけだ。
「『城への出入りは許す』」
そこで、少しだけ姿勢を正した。
「ほう」
「『ただし婿殿ではない。まだ候補だ』」
「細かいな」
「『娘を泣かせたら殺す』」
「そこはまあ普通だな」
思わずそう返すと、老執事の片眉がほんの少しだけ動いた。
「以上です」
「……いや待て」
「何でしょう」
「それ、魔王なりにだいぶ譲ってないか?」
老執事は無表情のまま答えた。
「陛下としては、相当に」
「だよな」
そうだろうなと思う。
門前でのあの怒り方から考えれば、本来なら今ごろ俺はどこかへ消されていてもおかしくない。なのに現実には、立派な客室に入れられ、城への出入りまで許されている。
もちろん、全部がリリスゆえだ。
俺を認めたわけじゃない。気に入ったわけでもない。ただ、娘の機嫌と意思を優先しているだけだ。
でも、それでも、だ。
向こうにも都合がある。怒りもある。そのうえで、無理やり飲み込んでいる。それがちゃんと残っている感じは、妙に良かった。
「では」
老執事は最後に、わずかに声音を下げた。
「婿殿候補様」
「まだ候補だからセーフってやつか?」
「陛下も、お嬢様も、そのように」
そう言って一礼し、老執事は部屋を出ていった。
扉が閉まる。
客室に沈黙が戻る。
「……受け入れた、のか?」
ぽつりと出た言葉に、ミアが少しだけ首を傾げた。
「完全には、まだ」
「だよな」
「ただ、城門で排除する段階ではなくなりました」
「婿殿候補だから?」
「リリスさんが本気だから、です」
その言い方は、妙に正確だった。
婿殿候補という言葉は、たぶん表面だ。実際に魔王が折れた理由は、俺が優れていたからじゃない。娘が本気だったからだ。
しかも、その本気だって、補正がかかっていないとは言えない。
だから、きれいに喜びきれない。
「……攻略した感はあるんだけどな」
俺が呟くと、ミアがこちらを見る。
「ありますか」
「少しは」
「でも、薄い?」
「かなり薄い」
それがたぶん、今の核心だった。
前の俺なら、ここで舞い上がっていたはずだ。
魔王の娘に選ばれた。
魔王に完全ではないにせよ通行を許された。
城への出入りも認められた。
婿殿候補という、意味不明な立場まで手に入った。
元引きこもりニートの人生としては、どう考えても大勝利だろ。
なのに胸の奥は、そこまで熱くならない。
いや、熱くなった瞬間はあった。門前では確かにあった。魔王の殺意はちゃんと重かったし、リリスの夫発言はちゃんと引っくり返ったし、その時だけは息がしやすかった。
でも、少し時間が経つと、またこうだ。
机の上の画面を見る。
報告書。
再計算。
存在整理。
そして、その全部の上から、さっきの“婿殿候補”が薄く被さる。
「……結局、何を手に入れても、すぐ次の空白が見えるんだよな」
ミアは黙っていた。
こういう時のこいつは、変に慰めない。
そこだけは助かる。
「零さん」
しばらくして、ミアが言った。
「少しだけ、分かってきた気がします」
「何が」
「零さんが、何をしたかったのかです」
「俺が?」
「はい」
「俺にもまだよく分かってないのに?」
「零さんは、世界に出たかったわけじゃないのかもしれません」
その言い方が少し引っかかった。
「……どういう意味だよ」
ミアは、また少しだけ考えるように間を置いた。
「世界の方を、零さんの部屋みたいにしたかったのかなと」
そこで、俺は黙った。
妙に、刺さった。
部屋。
たしかにそうだ。
女も、街も、ゲームも、全部“外へ出ていく”ためではなかった。むしろ逆だ。外の世界の方を、俺がいて気まずくない場所に変えていっただけだ。
否定されない場所。
恥をかかない場所。
欲しい反応が返ってくる場所。
俺向けに、最初から整っている場所。
「……ああ」
口に出してから、自分で少しだけ嫌になった。
「そうかもな」
世界を征服したかったわけじゃない。
世界を広げたかったわけでもない。
ただ、外側の全部を、俺にとって都合のいい内側にしたかっただけだ。
そして、それがだいたい叶ってしまったから、何もかも少しずつ薄くなっていった。
「最悪だな」
「そうですか……?」
「だいぶな」
俺は笑いもせずに言った。
「世界に出たかったんじゃなくて、世界の方を俺の部屋にしたかっただけって、だいぶ終わってるだろ」
「でも、零さんらしいです」
「フォローになってない」
「すみません……」
そこは謝るのかよ、と思ったが、もう突っ込む気力も薄かった。
しばらくして、俺は椅子の背にもたれた。
何でもできるはずなのに、何をやっても空白が残る。
街を作っても、女たちに囲まれても、ゲームを完成させても、魔王城へ乗り込んでも、結局どこかが薄い。
ついさっき、魔王がどう折れたかまで聞いたのに、それすら長続きしない。
「……もう何してもつまんねえ」
初めて、はっきり口に出した。
ミアは、すぐには何も言わなかった。
少し困ったような、でもどこか落ち着いた顔でこっちを見る。
そして、小さく言った。
「……まだ、一つだけ残っていますよ」
俺はまぶたを上げた。
「何が」
「零さんが、たぶんまだ“つまらない”で終わらないものです」
「“会っていただきたい方”ってやつか」
「明日、呼びます」
その言い方は、珍しく少しだけ確信があった。
俺は眉をひそめたまま、ミアを見る。
こいつがそこまで言うなら、何かあるんだろう。
でも、期待していいのかも分からない。
「……もったいぶるなよ、誰だよ」
「もったいぶってはいません……」
「じゃあ今言え」
「今言うと、零さんは勢いで反応すると思います」
「俺が?」
「はい。たぶん、かなり強く」
「何だよ、それ」
「明日になっても、まだ同じ気持ちなら呼びます」
「同じ気持ちって」
「つまらない、という気持ちです」
ミアは、いつものおどおどした顔のまま言った。
「寝て起きてもまだ同じなら、その方を呼びます」
「予約制かよ」
「近いです」
「近いのかよ」
軽く返したつもりだった。
でも、ミアは笑わなかった。
「今日は、寝てください」
その言い方が妙に嫌だった。
誰を呼ぶのかは分からない。
ただ、今聞いても教える気がないことだけは分かった。




