第10話:神の仕事は、だいたい地味だ
そのまま殺し合いになるかと思った。
正直、俺もちょっとそれを期待していた。
魔王は怒っていたし、門番たちも今にも飛びかかってきそうな顔をしていた。リリスは真っ赤なまま引っ込みがつかなくなっているし、俺は俺で「ご馳走様でした」と口を滑らせている。
どう考えても、穏便に済む空気ではない。
だが、魔王は俺を睨んだまま、ひとつ息を吐いた。
「……城へ入れ」
低い声だった。
門番たちが一斉に目を見開く。
「父上?」
リリスも驚いた顔をする。
「今ここで消すのは簡単だ。だが、それで娘が面倒になるなら話は別だ」
面倒になる、で済ませるのかよ。
いや、魔王としては相当譲ってる方なんだろうな。
「勘違いするな、人間」
魔王の目がまたこちらへ向く。
「認めたわけではない。証明の機会をくれてやるだけだ」
「分かってるよ」
「その軽さが気に入らん」
「軽くしてないと緊張で死ぬんだよ、こっちは」
「死ねばいい」
「娘の前で言うなよ」
「お前が言うな!」
リリスが横から怒鳴る。
門前の空気はまだ最悪だったが、それでも話は前へ進んだ。魔王が踵を返し、城門の奥へ消える。門番たちは困惑したまま道を開けた。
「……通していいのか、本当に」
小声で呟いた門番の気持ちはよく分かる。
俺だって、逆の立場なら絶対通したくない。
リリスはそんな門番たちを見ずに、さっさと中へ入った。俺も続く。ミアも当然のようについてくる。
魔王城の中は、思ったより整っていた。
もっとこう、髑髏だの拷問器具だの、分かりやすく悪役の趣味全開な感じかと思っていたのに、実際は妙に品がいい。黒い石材で統一された廊下。高い天井。装飾は少ないが、その分だけ全部が重い。
「……いいな」
「さっきからそればっかりね」
リリスが呆れた声を出す。
「魔王城に憧れるなよ」
「男なら一回はあるだろ」
「ないわよ」
「あるんだって」
そう答えながら、俺は周囲を見る。
使用人たちがいた。魔族の女や、角の生えた老人、翼を持つ男。みんな一瞬こっちを見て、次の瞬間には表情を消す。
消すが、完全に消し切れていない。
明らかに聞こえていたんだろうな。門前のやり取りを。
たぶん城の中では、もう広まっている。
魔王の娘が、人間を夫にすると言った。
最悪の噂である。
「……何その顔」
リリスが睨んできた。
「いや、広まってんなと思って」
「広まってるでしょうね」
「お前のせいだぞ」
「止めるために言ったのよ!」
「結果、だいぶ面白いことになってるけど」
「面白がらないで!」
真っ赤になって怒鳴る。
その反応が、やっぱり妙にいい。
王女や聖女やエルフ娘の“最初から好意的”とは違う。リリスはちゃんと困るし、怒るし、焦る。そこがまだ会話になっている感じを作っていた。
通された部屋も、やたら豪華だった。
広い。寝台は無駄に大きい。調度品は全部高そうだ。窓からは城の中庭が見え、机の上にはすでに茶まで用意されていた。
「……何これ」
「客室よ」
「証明しろって言われた割に、扱いがだいぶ客だな」
「父上なりの牽制でしょ」
「牽制でこの部屋?」
「牢に入れたら私がキレるって分かってるから」
「娘に弱いな、あの魔王」
言うと、リリスは少しだけ黙った。
「……まあ、そこは否定しない」
やっぱりそうか。
魔王は俺を気に入ったわけではない。むしろ今すぐ消したいくらいには嫌っている。でも、娘が本気で言っている以上、それを無視しきれない。
その歪さが、ちょっと面白かった。
食事も出た。
出たのだが、味はうまいのに空気が最悪だった。
運んでくる使用人が全員、微妙な顔をしている。敵を見る顔を、仕事で押し隠しているのが分かる。
しかも途中で、一人の老執事みたいな男が、これ以上ないほど低い声で言った。
「婿殿候補に、追加のお茶を」
思わず吹きかけた。
「ちょっと待て」
「何でしょうか」
「今、何て?」
「婿殿候補に、追加のお茶を」
「二回言うな」
老執事は表情を一ミリも動かさなかった。だが、横でリリスが盛大にむせた。
「何でそんな呼び方してるのよ!」
「お嬢様が門前で明言なさいましたので」
「うっ……」
正論で殴られている。
リリスは顔を真っ赤にしたまま黙り込んだ。
俺はちょっと面白くなってきて、つい言った。
「いやあ、婿殿候補は照れるな」
「黙って!」
「まだ候補だからセーフだろ」
「セーフじゃない!」
部屋の空気はだいぶ変だった。
俺としては、こういう“妙に変なルートへ入った感”は嫌いじゃない。魔王城に乗り込んだはずが、いきなり婿殿候補扱いされている。意味が分からない。分からないが、ちゃんとイベント感はある。
あるのだが。
問題は、そのあとだった。
食事が済み、リリスが「父上と話してくる」と部屋を出たあと、俺は椅子にもたれかかった。
「……ふう」
「楽しそうですね……」
ミアが、いつものように部屋の隅に立っていた。
「そこそこな」
「かなり高揚しておられましたが……」
「魔王がちゃんと怒ってくれるからな」
「そこが楽しいの、やっぱりよく分かりません……」
「分からなくていいよ」
そう返して、茶を飲む。
うまい。うまいが、それ以上に、今日は妙に生きている感じがした。向こうにも都合があって、怒りがあって、面倒があって、それでも話が転がっていく。そういう感じが久々だった。
「零さん」
ミアが少しだけ声を落とした。
「ん?」
「そろそろ、お仕事をお願いしてもよろしいですか」
「……は?」
「お仕事です」
「いや、待て」
何だその言い方。
今の流れで、それ出すのか。
「何の仕事」
聞いた瞬間、ミアは空中に光の画面を何枚も出した。
一枚や二枚じゃない。十枚、二十枚、もっとだ。報告書みたいなもの、申請書みたいなもの、警告文、修復依頼、整合性確認、記憶補正の再計算、存在維持の監査、世界法則干渉の残件。
見た瞬間、嫌な予感がした。
「……何これ」
「零さんが高位権限を使用したことによる、後処理案件です」
「後処理」
「はい」
ミアはいつになく事務的な顔で、画面を一枚ずつ指し示した。
「盗賊三名の敵意排除に伴う周辺因果の再接続」
「嫌な言い方するな」
「施設生成に伴う地域経済への影響調整」
「そんなのまであんの?」
「あります」
「同人文化エリア生成後の受容性維持と記憶補正の定期更新」
「うわ」
「理想のゲーム制作時に発生した自動最適化人員の存在整理」
「もっと嫌だな」
「さらに、王都および魔王城における対人補正の揺れに関する再計算」
「ちょっと待て、最後のやつ何?」
「最近、かなり細かく触っておられますので……」
そりゃ触ったけどさあ。
触ったけど、その結果の尻拭いまで俺の仕事になるのか。
「……これ、もしかして」
「はい。かなり溜まっています」
「いつから」
「だいぶ前から」
「言えよ!」
「零さん、楽しそうだったので……」
「そこ気遣うなよ!」
思わず叫んだ。
魔王より何より、急に現実的な地獄が出てきた。
しかも地味だ。
地味なくせに重そうだ。
「神の仕事って、これなの?」
「かなりそうです」
ミアは頷く。
「高位権限は便利ですが、使用後の整合性維持が必要になりますので」
「いや、待ってくれ」
俺は額を押さえた。
「俺、最強になりたかったんであって、総務部になりたかったわけじゃないんだけど」
「お気持ちは分かります……」
「分かるなら代わってくれ」
「本来、それを私がやっていました」
「じゃあやれよ!」
「零さんが行使した権限ですので……」
そうだった。
そうだったよ、クソ。
何でもできる権限をもらったということは、何でもやる責任も少しは付いてくるということらしい。
嫌な真実すぎる。
「……マジか」
「はい」
「魔王城で婿殿候補やってる場合じゃないってこと?」
「それはそれで重要かもしれませんが、こちらもかなり重要です」
「そこ並列にするなよ」
机の前に座る。
ミアが次々と画面を開く。
因果再接続。存在維持監査。補正再計算。地域負荷調整。いちいち項目名が硬い。やっていることも地味だ。地味なのに、放置するとまずいらしい。
「……うわ、これ終わんの?」
「まだ最初の分です」
「最初?」
「はい」
「最初って言った?」
「言いました」
俺はしばらく黙った。
ついさっきまで、魔王に認めさせてやるとか、やっと手応えのある面倒が来たとか、そういう熱いことを思っていた気がする。
なのに現実はこれだ。
神の仕事?
だいたい地味で、だいたい面倒で、しかも終わりが見えない。
「……つまんねえ」
ぽつりと漏れた。
ミアが少しだけ目を伏せる。
「そう仰ると思っていました……」
「いや、だってそうだろ」
画面の一枚を指で払う。
「魔王はまだいいよ。ちゃんと怒ってるし、ちゃんと重いし、ちゃんとイベントだ。でもこっちは何だよ。報告書と再計算ばっかりじゃん」
「世界を壊さず維持するには必要です……」
「分かる。分かるけど、つまんねえ」
正直だった。
これは本当に、つまらなかった。
強敵もいない。熱もない。達成感の気配も薄い。あるのは、使った権限の後始末だけ。
何でもできる世界の裏側は、だいたいこういう地味な作業で回っているらしい。
最悪だ。
「零さん」
ミアが、少しためらうように言った。
「……解決策がありますよ?」
俺は顔を上げた。
「何?」
ミアはいつになく、少しだけ妙な顔をしていた。
申し訳なさと、遠慮と、それでも言わなければならない感じが混ざった顔だ。
「たぶん零さん、今のままだと、この先もずっと“つまらない”にぶつかります」
「いきなり嫌なこと言うな」
「でも、本当なので……」
「で、解決策は?」
ミアは一瞬だけ黙った。
それから、小さく言った。
「ひとり、会っていただきたい方がいます」
その言い方で、少しだけ空気が変わった。
報告書の山とは別の方向へ、話が動く感じがした。




