15
俺は仕事をやるからと言って、正門の警備に挨拶して通った。
正門の警備から傘を借りて管理棟に入り、管理棟警備室から車の鍵を借りた。田村の名前を出して、経産省向けの資料を作る為に構内の現状を撮って来ると説明した。すると疑ってもいない警備室の連中は、俺に備品のカメラを貸し出ししてくれた。
カメラを持って管理棟を出て、車を取りに戻る。
車のエンジンをかけ、ライトを点けた。
「!」
正面に人が立っている。
雨に打たれていて、髪が濡れ、垂れ下がっていて、よくわからない。
わ、若月さんか?
俺は慌てて車を出る。
「若月さん?」
見えない。いくら何でも、人間がそんな早く動けるわけがない。
俺は倒れていないか、前方の下を確認する。だが、何もない。
フロントグラスに映っただけ、とすればもしかして後方にいたのか。
俺は車の後ろを確認するが後方にもいない。
グルっと車を一周して、誰も何もないことだけが分かって運転席に乗り込む。
前方には誰もない。
俺はそのまま車を発進させた。
車のまま発電棟の入り口に行き、手続き通りにゲートを通過すると俺は海側の壁に行く前に途中の警備用の倉庫によって、縄梯子を車に積み込む。スマフォを見ると時間的にはそろそろ壁の下に来ていても良さそうだった。
俺は傘を持ったまま外壁に近づくと、カメラ付近のスピーカーから警報がなった。
そして、カメラが俺を捉えたらしく発電棟監視の連中、スピーカーを通じて声をかけてきた。
「そこの写真をとるんですか?」
「ああ。センサーをオフにしておいてくれないか」
「ここは海水が直接かかることがあるんで、センサーはないんですよ。カメラで判断しているんです。だから、カメラの機能自体をオフにします」
「すまん。少しだけオフにしてくれないか。再開は電話を入れる」
少し間があって、警備室から応答がある。
「10分です。それを超えると自動的にカメラが起動します」
「わかった。ありがとう」
俺はカメラ付近のLEDをじっと見て、カメラ側の機能がオフになったことを確認すると、素早く壁をよじ登った。
縄梯子を下ろして、外にいる田村にスマフォで知らせる。
田村が縄梯子を登って原発内に入ると、俺は縄梯子をそのままにして車に戻った。
警備室に電話して、カメラの機能を再開させる。
車を動かして、発電棟の方に向かう。
「さっき、この車を動かそうとした時」
助手席の田村は体を震わせながら、
「燃料保管庫だ」
と言った。
「ああ」
俺が車を転回させ終わると、田村は
「動かそうとした時、なんだ」
「いや、見間違いだろうが、車の前に若月さんがいたような気がしたんだ」
「……」
田村はいきなり電話を掛けた。
「若月さんが燃料保管庫で消えた時に調べておくべきだったんだ」
すると電話の相手が出たらしく、話は途切れた。
「……ということで、電力会社の総務部の『若月』が入院しているはずなんだが、退院していないか確認してくれ」
という会話があって、電話が切れた。
「どこに電話したんですか?」
「病院に顔が聞く奴だ。そもそも、あの時見たのは若月だったのか。俺たち二人して幻影をみていたとか」
「警備の人間も若月さんが通るのを見ています」
「もしこれで若月がまだ病院で寝ているとしたら……」
「そんな馬鹿な」
「ばか! 前を見ろ!」
「!」
俺は急ブレーキをかけた。
タイヤはロックしたが、壁にぶつかる寸前で車は止まった。
「ちょうどいい。降りるぞ」
田村は傘を差して、燃料保管庫へ進んでいく。
俺は後から走って扉に先回りし、鍵を開けた。
扉から入ると田村は傘をたたんで床に放った。
「なっ……」
こんな状況でも、俺は傘を放るのが気になってしまう。
「頬に傷がある外国人がいたろう。あいつも病院から抜け出ている」
「えっ、どういうこと」
「入管(入国管理局)が拘置していた外国人も全員いなくなっている。プレハブは裳抜けの殻。と、すれば連中はここにいるしかないんだ」
「えっ、なんで、確か一昨日は入管ともめた外国人はプレハブに帰されていたじゃないですか」
「一部は拘置したままだった。そいつらがいつの間にかいなくなった」
「人が消えるわけないじゃないですか」
「俺を殺すように仕掛けることが出来るんだぞ。そんなこと訳ない」
「……」
俺は人の声を聞いた。
何か聞き覚えのある声だ。奇妙なリズムと抑揚。畏れを含んだ、宗教の祈りのような声。意味も分からない外国語だ。
「夢の中で繰り返し聞こえてくるあれだ」
「上のほうから聞こえてくるな」
田村は、迷わず階段を上がって行く。
俺も後を追いかけて、階段を上がる。
「おい、ここの鍵」
屋上に出る扉には鍵が掛かっていて、外に出ることも外から中にはいることも出来ないようになっていた。
俺が追い付くと、鍵を開けた。
雨が降っていて、良く見えない。だが、声はさっきよりはっきりと聞こえてくる。
方向的には発電棟、つまり原子炉がある建物の屋上付近に人がいることになる。
「傘を持ってくればよかった」
「傘より懐中電灯はないのか」
一旦建屋に入り、俺は据え付けの懐中電灯を外して持ってきた。
田村と一緒に燃料保管庫の屋上を移動して、声が聞こえる方に電灯の光を向ける。
「いた!」
闇の中に雨が光るばかりで、田村が何を見て『いた』と言っているのかが分からない。
「見えるか?」
「見えない」
「遠くを照らすように、光を絞れないのか」
田村の持っている電灯を俺が切り替えると、少し光量が集中して見えるようになってきた。
確かに、いる。一人二人じゃない。
「あの、奥にいるのが、頬に傷がある男じゃないのか」
「じ、地震?」
うねる海を進む船の上のように、横に揺れるというより、床面が傾く。
俺たちは屋上の縁にしがみついた。
「震度6。あの時と同じだ」
と田村が言った。
とその時だった。
発電棟の先に見える海が光った。
海から、空の雲へ雷が立ち上るように走った。
雷が空気を切り裂く轟音。
原発の建物の先に、暗い海が広がっているのが見える。
その光に照らされた『ありえないもの』を俺は見てしまった。
田村はスマフォで何かを確認していて気付いていない。
「津波は、津波はどうなんだ!」
「そんなことより!」
おそらく発電棟の上にいる連中も『あれ』を見たのだろう。
声が一層高揚してきた。
「あそこをみろ」
俺は必死に指さす。田村は懐中電灯を向けるが、その光が届くわけもない。
「なにがある」
夜の海にぼんやりと青い光が見え始めた。
「チェレンコフ放射」
「えっ……」
田村は発電棟に懐中電灯の光を当てる。
「それって、発電棟が損壊したってことか? 別にどこか壊れている様子は」
俺はずっと海を見ていた。
海と空の雲の境は分からない。
この高さから見ると、ちょうどその境のあたりに『蜘蛛の複眼』のような配置の青白い光が……
「だから、こっちだ」
潮臭い雨はやまない。
頭から落ちてきて、目に入って良く見えない。
だが確かに海にはその青白い光がある。
それは『クスルー』の夢でしか見たことがなかった光る眼、そのものだ。
巨大な宇宙生物。
海からこの原発を目指して移動してきている。
意図せず俺は声が震えていた。
「あ、あの連中のこの声が…… 『あれ』を導いている。そうとしか考えようが……」
「『あれ』って何のことを言っているのかわからんが…… とにかく止めさせる。原発で大事故が起こる前に。行くぞ!」
田村に言われて、俺は鍵を握った。
室内に戻ろうとして、屋上の出入り口に戻ると扉の前に、人が立っている。
雨にぬれて、髪が顔に垂れ、目がほぼ隠れているが…… 若月さんだ。間違いない。さっき車の前で見たのも若月さんだったのだ。
俺は立ち止まり、半歩引いた。
「若月さん、どこにいたんですか」
「若月だって?」
そう言って田村が懐中電灯で若月さんの顔を照らす。
目が…… 目の奥にチェレンコフ放射のような青白い光が見えた気がした。
『行かせない』
いきなり俺に向かって飛びかかってきた。俺は退けようとして両手を突き出した。
若月さんが俺の手に噛みついてきた。
「痛っ!」
田村が若月さんを蹴った。
すると若月さんは仰向けに倒れながら、手を振り上げた。
若月が振り上げた手から、金属が宙に向かって飛び出した。
「鍵?」
俺は自分の手を意識した。
ない。
金属は遠く飛んでいき、しばらく間をおいてアスファルトに叩きつけられた音がした。
「鍵、今の音、鍵か?」
俺は噛まれた手を押さえながらうなずく。
「バカ、ここは鍵がかかるんじゃないのか? どうするんだ。屋上から動けなくなったぞ」
田村が怒って俺に掴みかかった。
若月さんが奇妙に身体をくねらせながら、立ち上がってくる。
『これで誰にも邪魔されない』
さっきもそうだったが、若月さんの声が、人間の声とは思えなかった。
どこか頭の上の方にスピーカーでもついていて、そこから合成音声がながれてくるような、そんな気がする。
『今宵、あの方は星へ旅立たれる』
「清水。警備室に連絡して、すぐこの扉を開けろ。あるいは、警備に言って発電棟の屋上の儀式を止めさせろ」
『やはりお前は死ね』
両腕を真っすぐ伸ばし、若月さんは田村の首を掴もうと前に出た。
出た腕を田村は取って、背中を当てる勢いで、若月さんを乗せ、そして床に落とした。
背負い投げだろうか、それとも一本背負いというべきなのだろうか。俺には分からなかった。
しかも、床に落とす際、取った腕をしっかり引き寄せ、田村は自らの体重を若月の身体の上に乗せるようにした。
二人の体重で、コンクリートの床の上に叩きつけられる。
肩甲骨が砕けたのではないか、と思うようなイヤな音が聞こえてくる。
「あいにく死ぬのはそっちだ」
田村は腕を回して、若月の首を締めにかかる。
「止めろ、やめろ、本当に殺す気か!」
俺が叫ぶと、田村は冷静さを取り戻したようだった。
「押さえとけ」
田村は、若月の服を脱がし、服をねじって固くロープ状にすると、手足を縛った。
「本当に下に降りる方法はないのか」
「ない」
「じゃあ、早く警備を呼べ」
俺は雨のせいでうまく操作出来ないスマフォに苛立った。
「そこの軒下にいけ」
海水のような雨は、未だに降り続いていた。
俺は階下に降りる扉についている軒下に入り、服の中の乾いた部分を見つけてスマフォと手の指を拭った。
ようやく警備室に電話を掛けることが出来た。
俺が今なぜこの燃料保管庫の屋上にいるのか、なぜ正門から入っていない田村がいるのか、それらをどう説明するかは全く考えていなかった。
俺たちがここから降りれることと発電棟の屋上の儀式を止めさせることが重要だった。
「清水だ」
『ああ、清水さん。どうしましたか』
「今、燃料保管庫の屋上で……」
『ちょっと待って! なんだ、何があった!』
電話の向こうが、急に大声になっていた。
俺は聞き返す。
「どうした?」
『……津波? さっきの地震でか? 連絡入ってないぞ』
田村が訝し気な表情で俺を見る。
電話口の声ではない。遠くからの声を拾う。
『逃げろ! 高台に逃げろ! 津波だ。飲まれる!』
『清水さんも逃げてください。津波です、我々も避難します』
『何やってる、早くしろ!』
ガチャ、と音がして、接続が切れる。
「聞こえたか? 今、電話が切れた。警備室が言うには、『津波が来た』そうだ」
「津波だと?」
田村は屋上の縁に走って、下に懐中電灯を向ける。
俺も田村の横から、下を覗き込む。
暗くて見えないが、光の跳ね返りかたが違う。海水が入り込んできている。
「これじゃ降りれない。降りたら流される」
沖の方が光る。
そして大きな音がする。
再び光る。
また大きな音。
雷。
雷鳴。
何かの影。
近くにいる。
雷、雷鳴、雷のフラッシュのような一瞬の光に、巨大な影が浮かび上がる。
「なっ……」
言葉が出てこないようだった。田村にも見えたのだ。
「見たよな」
俺はうなずいた。以前から見えていたが、それは言わなかった。
田村と俺は海側の方へ移動した。
雷、連続する雷の前にいる。
大きな翼。蝙蝠のような、羽毛のない翼。
その翼は、海水を原発に向けて煽っている。
「クトゥルフ」
田村が返した。
「夢の中の宇宙生物」
俺も言い返す。
「旧支配者とも呼ばれる」
田村が笑う。
「旧支配者。どこが『旧』なんだ。圧倒的じゃないか。あの姿が今の支配者じゃないとでも……」
その通りだ。この地球上では圧倒的だ。この肉体だけなら核攻撃で殺せるかもしれないが、田村を殺そうとしたように眠りで人を支配して、他人を好きなように操れるなら、それだけで世界を破滅に導けるだろう。
「あ、あれ」
繰り返される雷に照らされ、現れたクトゥルフの背後に、大きな竜巻が海水を上空に吸い上げているのが見えた。
田村はクトゥルフの周りに浮かぶ物体を指差して言った。
「遭難した船が空に浮いている。行方不明になった哨戒機も……」
発電棟の屋上の儀式は、次第に声が大きく、音も高くなっていた。
連中の目にも『クトゥルフ』は見えているだろう。気持ちが高揚しているのだ。
「うわっ!」
クトゥルフが大きく翼を打ちつけると、遅れて暴風が襲った。
発電棟の連中は飛ばされていなくなっていた。
俺と田村は屋上周辺の手すりにしがみついて飛ばされずに済んだ。
ふと、みると海にいたはずの『クトゥルフ』がいない。
「……」
俺はそれを見つけるとブルっと震えた。
俺の視線を追って、田村も気が付いた。
発電棟の上空に浮いている。
羽ばたきもせず。
空間に固定されているようだった。
発電棟の屋根が、つぼみが花開くように裂けて開いた。
同時に襲ってくる地震。
やわらかいクッションの上に立っているかのように、踏ん張れない。
ただ手すりにしがみつくしか出来ない。
雷が止まり、雨がやみ、真っ黒な空にヤツが浮いていた。
発電棟の開いた屋根から、青白い光が抜き取られ、空中に上がって行く。
「核物質を摂っている…… のか」
俺はもう考えられなくなっていた。
ぼんやりと田村の顔を見た。焦点が合わず、口は半ビラきでとても正気の状態ではなかった。
疲れた。
考えれない。事実を受け止められない。
俺は目を開けていたが、頭が働かなくなっていた。




