11
暗闇。
次第に目が慣れてくると、室内にいるのだと感じた。
俺は床に寝転がっていた。天井は何かのホールなのだろうか、遥か上にある。
上体を起こすために、床に触れると、奇妙な感覚があった。
生暖かいような、滑るようななめらかさもあり、それでいて毛羽立っていて、ざらざらしている。
もう一度床に触ってみる。べとべとの張り付くような粘着を感じた。
「!」
びっくりして手を離す。手と手で確認するが、手にはその粘り気は付いていない。
もう一度床に触れる。冷たく、ツルツルで、金属か、磨き上げられた石のようだ。
もしかすると、これは俺が必要とする感触を返してくるように作られているのではないか。何か俺の知らない技術を使った特殊な素材。
俺は頭を振った。
そして気付いた。
夢だ。
また夢の中だ。
いつもの夢と違うから、夢と意識するまでに時間がかかっただけだ。
俺は立ち上がった。ホールだと思っていた空間は、はるか先まで長く続いていた。
『通路?』
床が俺の好奇心を読み取ったように動き出し、俺は足を動かすことなくそのくらい通路を進んだ。
壁までの距離や天井までの距離が分からないが、顔にあたる風の強さで床がどのくらいのスピードで動いているのかを感じる。
怖くなって片足を上げると、床のスピードが下がって、やがて止まった。
『ここは?』
どうやら通路の端についたようだった。床は続いているものの、先の天井は無くなっていた。
俺はさらに先に進むと天井が巨大な円を描くように抜けていることが分かった。
ここが屋外なのか、さらに高い天井があるだけなのかはわからない。
よく見るとこの天井が抜けた円形の空間に別のところからも通路がつながっていて、つまりはハブになっている。
しばらくこの巨大なハブを見ていると、接続している各通路から黒い霧状のものが流れ込んできた。
俺が通って来た通路の奥からもその黒い霧はやって来た。
俺はようやくここが何処か分かった。
霧状の粒子が通路を流れると、その中に紛れて巨大な質量の物体がやって来た。
口ひげのように蛸か烏賊の足のようなものが生えていて、その後ろには蜘蛛の複眼のような目があって、青白く光っている。
足には鋭い爪があり、背中には大きな蝙蝠のような翼が折りたたまれている。
『あいつだ』
俺は思わず口にした。
複眼のすべてが俺を見つけ、青白い光を強く放った。
俺は恐怖で、円形の空間にしゃがみこんだ。
突然、自分の目がスナイパーの持つスコープのように遠い場所のことが見通せるようになると、見上げた天井の端に、男を見つけた。
頬にバツ印のような傷をつけられた男。
天井の端に立って、こっちを覗き込んでいる。
『だめだ、もどれ!』
叫んだつもりだったが、自分の声すら聞こえない。
俺はこの空間に存在すらしていないのか。
脳裏に『監視者』という言葉が浮かぶ。
肌の色の濃い、異国の者の声が聞こえる。
言葉の意味は分からないが、俺のことを『監視者』と言っていた。
俺は目を閉じる。
俺が見えなければ、そいつらが消え去ると思ったように。
そして頭を押さえて叫ぶ。
『違う、俺は違う!』
肩を叩かれ、振り返る。
『どうしました?』
『若月さん、一体どこに行っていたんですか』
『私も夢を見ていて、恐ろしくて寝れなかったんです』
俺は若月さんの背後に円形の窪地があることに気付いた。
『あっ、駄目だ、そこにいたら……』
黒い霧が波のように深淵からあふれ出し、蛸か烏賊のような触手が伸びると、若月さんの姿が消えた。
俺は恐ろしくて、腰が抜けた。
立ち上がれない。
急に重力が強くなったように頭が床に引きつけられる。
また最初のように仰向けに横になってしまった。
「おい、清水」
「病室です。静かにしてください。まだ面会時間ではないところを特別に……」
「清水!」
「だから、やめてください」
「うるさい! 清水、起きろ、起きるんだ」
耳から入ってくる音に、俺は安心した。
目を開けると、低い天井があった。
手に触れる感覚も知っている素材の感覚だった。
ここは病室、だろう。さっきの会話のやりとりからしてもそう考えるのが妥当だ。
視覚によって、看護師と経産省の田村を認識した。
「起きたか。しゃべれるか」
「……」
俺は無言でうなずく。
「検温だけ先にさせてください」
看護師が、体温計を手渡す。
「気持ち悪いとかそう言ったことはありませんか?」
俺は首を横に振る。
体温を書き留め、様子をメモすると、看護師は出て行った。
「お前は夢を見るらしいな」
「どういう意味ですか?」
「プレハブに住む連中も夢を見るらしい。俺が昨日聞いた話しと同じなのか確かめたいんだ」
少し考えてから聞き直した。
「俺が意識を失っていなくて、プレハブの連中の声を聞いたかもしれませんよ」
「大丈夫だ。プレハブの連中の夢の内容は、お前のいないところで聞いた話しだ」
言いながら、椅子を持ってくると、ベッドの横に置き、田村は座った。
「たくさん夢を見ています。どこを話せばいいですか」
「一番最近のものでいい」
田村はスマフォのボイスレコーダーアプリを起動して、二人の間に置いた。
「その前に、会社に連絡していいですか」
「警備会社にはお前が休むことは連絡してある。気にせず夢の話を始めろ」
俺はさっき見た奇妙な動きをする謎の建物や、円形に天井がくりぬかれたハブの部屋、黒い霧と一緒に移動する『クスルー』の姿形について話した。
田村は何も口を挟まず、ただひたすら聞き続けた。
「若月さんもおそらく『クスルー』に捕まった。見た夢はそこまでだ」
「なるほど。通訳時に少しニュアンスが変わっているかもしれないが、大まかには同じだな。円形の窪地。黒い霧の底にいる存在。その『クスルー』というような発音。そうだ」
田村はボイスレコーダーアプリを操作すると、何かを再生しようとしていた。
「昨日のプレハブに住む連中の発音はこうだ」
すると、異国の発音で若干違うように思えるが、俺が夢で聞いた『クスルー』と同じような発音だった。
「似てる」
「俺もそう思う。問題は、なぜ、お前とプレハブの連中はこの『クスルー』という同じ音を聞き、同じモノの夢を見るのか」
「……実は」
俺はこの『クスルー』というのが海外の小説に登場したものであり、プレハブに住む外国人も同じものを読んでいる可能性があることを説明した。
「なるほど。通訳をつれて連中に、そういう小説を読んだことがあるか聞いてみよう」
「なんだ、とはならないのか」
「同じ小説を読んでいたとしても、お前と話しが合うということは相当稀な確率だと思うが」
「ありがとう。そう言ってくれると救われる」
「安易に感謝しないことだな。俺は別に『クスルー』という…… 宇宙生命体と言ったか? そんなものの存在を信じている訳ではない。なぜ奴らは原発内で儀式をしたのか、頬に傷がある男はどこにいったのか。そして若月の行方はどこか。それらが知りたいだけだ」
俺は考えていた。この経産省の田村が、そもそも原発に来た目的はそんなことではないはずだ。今言っていることは、儀式以外は、田村が来た後に起こったことだ。とすると田村がワザワザ原発に来た目的は何なのか。俺たち警備のチェックしに来たのだろうか。
「田村さん。そもそもあなたが原発に来た目的はなんですか」
「……」
田村は立ち上がると、病室の窓から外を眺め始めた。
振り返って病室内を見渡した。
誰も居ないことを確認するかのように。
「秘密を守れるか」
「……」
「まあ、いいか。お前の言うことなど誰も信じないだろうから」
俺は拳を握りしめようとするが、力が入らないことに気が付いた。
「お前も知っていることだ。原発であった地震の調査だ。震度6。あれが公になったら大変なことだ」
「!」
「原発内だけ異常に大きな震度を計測することが定期的にあるそうだ。俺は今回初めて派遣されたが、過去にもなんどか経産省から調査に入っている」
「まさか」
鳥肌が立ち、寒気を感じた。
「船の事故とはサイクルが同じだな」
「……俺の荷物を取ってくれませんか」
田村がベッドわきに置いてある俺のバッグを取ってベッドに置いた。
「その調査が必要な大きな地震があった時はこの年月と近くないですか?」
メモを取り出すと、田村に見せた。
「ああ、そうだな」
「ちゃんと確認してください」
「俺の記憶力を疑うのか?」
田村は怒った。
「あっていると言っているだろう。そのメモに書かれているのは、なんの年月だ?」
「俺が暮らしている施設で自殺者が出た年月です」
「……」
田村は、何か考えるように一点を見つめている。
一点を見つめた、そのままの姿勢で言った。
「この出来事は何か必要な要素があるみたいだな。『監視者』、『生贄』、『船』、『地震』、『儀式』…… これらの中心にいるのはなんだ。それこそ、その小説の中の『クスルー』か?」
俺の中ではそれですべての辻褄があう。
小説の中で、俺は思い出したことを口にした。
「思い出したんですが、小説の中で『クスルー』は思念波のようなものを送って、自らの狂信者を作り出していたような記述があったように思います。そんな思念波なんて、非現実的で笑っちゃうかもしれませんが」
田村は眉一つ動かさず、答えた。
「明晰夢を研究している研究者の話では、明晰夢を見る為にある周波数帯の電気刺激を与えると、明晰夢を見るのだそうだ。そういうことを考えると、あながち外部から他人に夢を見せることが出来ないわけではなさそうだ。もっと高度な知性を持った生命体なら、あるいは……」
手足が震えていた。
これはきっと、俺の考えを田村が肯定的に受けとめたからだ。
自分の考えを認めてもらって、承認要求が満たされたのだ。だが、すぐにそれが重く暗い気持ちで上書きされた。
この考えが正しいとすると『クスルー』が実在することになる。
いま、まさにこの近海に『ルルイエ』が現れていることになる。
それがどういうことなのか。
俺は勝手に大震災の情景が頭に浮かんできた。
人間の力ではどうしようもない力。善、悪、運、不運、偶然、必然、何もかも、人間の考えを超越した災厄。
このままでは大震災と同じことが発生する。
手足の震えは、そのことに対しての畏れだ。いつやってきて、いつ命を奪っていくか分からない。
強力で、素早くて、考えても、注意していても避けられない。
どうしたらいい……
「おい。今の時点で、俺は信じないぞ。仮説としては面白い、というレベルだ」
「……」
やっぱり。
何度も、心の中で展開されたシミュレーションと同じだった。
誰もこんなことを信じない。当たり前だ。
『クスルー』、『ルルイエ』は政府機関の報告書の内容ではない。空想小説の内容だ。
世間が信じる訳もないし、そんなことが事実であっても困る。
そう考えると、震えが止まった。
「それでしか説明がつかなくても、それが事実という証拠にはならん。当たり前のことを言っていると思うが」
「その通り…… ですね」
俺はうなずいた。
田村は、俺は午後には退院できるから、来て欲しいところがあると言ってメモを渡し、病室を出て行った。
メモの中には大学の研究室の名前と教授の名前が書いてあった。




