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「『ドレスを脱がなければ貞淑だ』、そう教えてくださったのは王弟殿下よ」
今、この国で王弟の話はタブーとされている。
王弟には幼女を嗜好する隠された性癖があった。
長年独身を貫いていたが、三年前にラウレル王国の女公爵の元に婿入りした。初めはおとなしくしていたが、長年の悪癖を止めることはできず、ついにその国でも幼い子供に手を出した。自国では「悪戯」をもみ消してきたが、ラウレル王国では発覚するや否や即座に罪に問われた。
調べれば被害者は複数人いて、常習性が疑われた。公爵家の名を出して脅迫したこともわかり、国王の命により他国の王族でありながら断種され、王城の片隅で幽閉生活を送っているという。
かの国では事件は公表され、妻である公爵自ら被害者の救済に当たっている。
しかしこの国では今でもなかったことになっている。
アメリアと同年代の貴族の令嬢には、他国に渡り養女となった者、病で領に引きこもっている者、病でもなく早世した者が何人かいた。ラウレル王国のことが明るみになってから、そうした令嬢達は王弟の毒牙にかかったのではないかと憶測が広がり、密かに「王弟殿下の人形」と呼ばれるようになっていた。
年齢的には今が結婚適齢期の令嬢達だ。被害を受けながら沈黙を守っている者もいるだろう。怪しまれただけでも傷になり、怯えながら平静を装う令嬢の心は今なお傷つけられ続けている。
王弟から直にその言葉を聞かされたアメリアは「王弟の人形」だったのだ。
「…幼い私でもそれが嘘だとわかっていた。…ずっと忘れたかったのに、あの男は『王弟の人形は、服を脱がせなければやったことにならないらしいな?』と、笑いながら私を襲ったの。薬のせいで体を動かせず、逃げることもできない女をよ…」
小さく震えながらも、それでもまだ口元に浮かぶ笑み。そこにある静かな怒り、そして諦め。
「私のドレスを脱がせた男の人はいないわ。私、口づけもしたことないの。信じられないでしょう? …あの男が私を襲ったのは、私のことが好きだからじゃない。私とあの男がそういう仲だと思わせ、あなたを追いやりたかっただけ。あの時あなたが来てくれて、私は助かったと思ってしまった。でもあなたはその姿を見て、これで別れられると、そう思ったでしょ?」
襲われていたとは思わなかった。同意の上で睦み合っているとしか見えなかった。裏切りの現場を押さえたと思った時、これで解放されると、確かにそう思った。
アメリアはあの時ベッドから起き上がらなかった。書斎に行った時もついて来なかった。病気のせいだと思っていたが、上体だけでも起こそうとせず、顔にかかる髪さえはらおうとしなかった。
今思えば不自然な仕草は、体の自由を奪われていたせいだとすれば納得がいく。
これが真実なら、自分はアメリアの苦しみにも気付かず、目の前で男に襲われていた妻を罵倒したことになる。これが真実なら。…いや、これが真実なのだろう。もはや信じられないという言葉は出てこなかった。
「最後はあなたの思うようなふしだらな女になっていたかしら」
愚かしい言葉は陵辱を合意にした。アメリアの諦めで全ては終わった。
「街で迷子になった幼い子供を母親の元に届けたあなたを見たの。私もあんな風に救われたかった。でも、その役目をあなたに押しつけてはいけなかったんだわ。あなたといられるなら家のおまけでもよかった。でもそれは私には過ぎた願いだった。私があなたを望まなければ、あなたに迷惑をかけることは…。本当にごめんなさい」
デニスはずっとアメリアが自分を気に入ったというのは作り話だと思っていた。執事との密められた恋を実らせるための言い訳なのだと。
しかしそうではなかった。本当にアメリア自身がデニスを望んでいた。
初めて受けた恋の告白だったが、それは過去のもの。今更そんなことを言われても、アメリアはあの男のものになったのだし、デニスには取り返す気もない。もう終わったことだ。
「あなたがいなくなってから、実家に戻ることも薬を飲まされることもなくなったの。あの男は恋人を連れ込んで楽しく過ごしていて、お飾りの妻のことなんて忘れているし、今は自由で気楽よ。…それもいつどうなるかわからないけれど、あがいてみるつもり」
あれからずいぶん経つのに足は治っていない。夫の愛はなく、実家も頼れない。それでも自由で気楽だと言ったのは、強がりではないのだろう。
「生きていれば、また会うこともあるかしら。今日は来てくれてありがとう。あなたのそういうところが……」
言いかけた言葉を飲み込み、アメリアは全てを笑顔の奥に隠した。
「さようなら」
さようならといいながら、アメリアは立たない。
立たないのではなく、立てないのだ。
デニスは何も言えなかった。
知ろうとしなかった。知ろうとも思わなかった。偽りの結婚、かりそめの新婚生活、誰かが自分を嵌めたとわかった後も自由になれるならかまわないと思った。自分は自由になったが…。
立ち去るしかないデニスを、アメリアは最後まで笑顔で見送った。




