第五話(前編)「勘繰る」
「…だから、ただ推薦されて来ただけだって」
「本当か!?何の実績も得ず推薦!?前代未聞だぞ??」
助けてくれ、という全力の視線を統弥に送るが、当の本人は肩を震わせて笑っているだけだ。こいつ…
港育ちで艦隊の仕組みも、言ってしまえば推薦の仕組みも知らない哉兎は、数日経って嫌悪から好奇に見られ始めたようだ。朝食もままならないぐらいに群がられている。スープを掬うスプーンを指先でトントンと皿の淵に叩きつけながら、大衆の目に慣れていない居心地悪さは明白だった。
「みんな、これ以上質問攻めにしてももう哉兎からは何にも出てこないと思うよ?」
やっと統弥の助け舟が来た。遅いんだよ。理人はといえば、今日は恋花から「このままだと栄養失調で訓練できないよ!」と叱られパンを齧っている。その隣で「これメニュー日替わりなの?すっごい!」と恋花が興奮気味にサラダを口に運んでいた。哉兎は朝食を食べ終え、水を飲む統弥のそばに寄る。
「なあ統弥、今日は何すんの?」
「詳しいことは聞いてないけど…今日から本格的に始めるって。訓練」
訓練。やっと自由に体を動かせる時が来たと、哉兎は心の中でガッツポーズした。ここ最近ろくに走り回っていない。朝の光を浴びようと食堂を飛び出すと、誰かにぶつかった。
「あ、わり…」
言い終わる前に、少し頭上から舌打ちが飛んだ。覚えのある悪意に哉兎が顔を上げると、涼が数人の男子とともに哉兎を冷たい目で見下ろしている。何か言ってきそうで哉兎が身構える。が、涼は特段何も言わずに去っていった。それが余計たち悪い。
「んっだよあいつ…」
けれどすっかり晴れた青空というのは、人の神経を絆す効果があるのかもしれない。少なくとも今、晴天の下日光を浴びて幸せそうに微笑む、港育ちの少年にとっては。
「総員、気をつけ。休め。敬礼」
寸分の狂いないよう、同じ動きを皆繰り返す。本格的な訓練と聞いて咲き誇った哉兎の心が人に見られた朝顔の如く萎んでいる。顔も。
「哉兎、顔。どんだけ嫌なのさ…」
横で統弥が呆れた声を漏らす。炎天下の中、もう何十回これをやっているか分からない。そろそろ熱中症とやらで倒れる人が出てきそうだ。
「…な、なあ。王都ってこんな…暑いの?俺、今までこんな疲れたこと…ない…」
「え?これが普通だよ。もう7月で…ちょっ哉兎!?」
統弥の腕の中に哉兎が倒れ込んだ。周囲の新兵の注目が一気に2人に集まる。恋花は離れてしまって遠巻きにこちらを伺っており、理人も少し目を見開いて歩み出そうとした。
「待て」
上官の声が飛ぶ。さっきまで、「遅い!!脳に反射神経が詰まってないのか!」と自分たちを叱責していた壮年の男だ。統弥は哉兎を半分支えたまま、項垂れる頭を一瞥して、
「上官。このままでは水分不足で訓練すらできなくなります。即刻対処した方が良いかと」
「いや、却下する」
「…何故ですか。このまま気を失えと?」
「ほう、わたしに刃向かうか。けったいな奴も居るものだな」
哉兎には見えていないだろうが、統弥の顔には焦りが浮かんでいた。自分と他人。どちらを優先した方が利益になるか、本人の頭では分かっているのだろう。それでも、あの時自分を信じてくれた。その事実が、統弥の頭で微かに軋んだ。
「…医務室に連れて行きます。そこを退いて頂けますか」
「なっ…このガキ!我が命令に背く気か!?」
「どのような理由があるのか存じ上げませんが、人の命を軽んじる人間の命令を、聞く理由がどこに?」
上官の顔が見る見る紅潮し、他の隊員もどうしたものかと互いの顔を観察し始める。哉兎を背中に抱えたままの統弥が、一歩踏み出そうとした。だが上官が立ち塞がり、統弥に手を振り上げる。
「貴様!!これは規則違反ー」
ぱしっ。場違いなほど軽やかな音が広場に響いた。
「おっと上官。そこまでにしときましょ。折角大事に集めた子犬達が怖がってますよ」
腕を掴まれた上官は「誰だ!?離せ!」と叫んだものの、後ろを向いた瞬間その口が餌を求める金魚になった。
「しょ、少佐!?なぜここに…」
「なぜって。今日は僕たちの顔合わせでしょう。みんなが見てますよ?」
上官は辺りを見渡した後、怒髪天だった顔が今度は青く染まった。やってきた人だかりの奥を見て、瞳孔が震えている。
「も、申し訳ありません大尉、お許しを…」
「…オレは口を開いて良いと言った覚えはないんだが」
ぞろぞろと人が集まってきた。新兵がさっきとは別の意味で次々に口を開き始める。誰が何を言っているのかもう統弥には分からないし、今それどころじゃない。もう一度踏み出そうとすると、さっき上官に少佐と呼ばれた隊員の1人が前に現れた。警戒の目で見上げる。
「やだなぁ、そんなにピリつかないでよ〜、僕後輩に噛みつかれると悲しくなっちゃう」
紫がかった桜の瞳。同じく桜色の髪は若葉が生い茂るこの時期には不釣り合いだった。ゴーグルのレンズが上から、メガネのレンズが下から。奥、2つの瞳がぶつかる。
「君…」
統弥が哉兎を庇うように身構える。色々覚悟してはいる。でも今はー
「立派だなぁ!あの上官に反抗したの君が初めてだよ多分!すごいね、やるじゃん!」
急に肩をばしばし叩かれ、「あの…痛いです」という言葉より困惑が先走った。
「ねぇ、この子とバテてる桂木くん、何班になったんだっけ一嵜」
「3。オレ達の班だろ。智尋、良い加減担当する新兵の名簿くらい覚えとけよ」
恋花の周りの女子新兵が黄色い悲鳴を上げた。「やだ、あの人もしかして幸地大尉じゃない?」「本当だ、今日も素敵…」
「ねえ恋花!恋花って確か3班になったんでしょ?良いなぁ大尉と一緒だなんて」
恋花は「え!?うん、そうだよ…?」とどぎまぎしながら答えた。耳を澄ますと他の場所からも女子の色目気たった声が聞こえる。その方に目を向けると、黒髪を流して凛と腕を組む青年の姿があった。一瞬自分の名前をしきりに呼ぶ女子新兵の方を向いて、また目を逸らす。その動作だけでまた「きゃー!!」と悲鳴が上がった。
「確かに…あれは…うん」
1人こくこく頷く恋花なのであった。
「…あの、どうして、哉兎の名前を?」
「ん?」
ん?じゃねぇよ…。暑さも焦燥も相まって全力で心の中で毒づく統弥。少佐、と呼ばれた彼は統弥の目を真っ直ぐ見つめ、
「ちょっ、と待ってね…えっと、どっから話せば良いのかな…?」
「続きなら医務室でやってほしいんですけど」
「君頭の回転速いのね。僕と気が合いそう」
なんで?
促されるまま統弥は哉兎を背負って医務室に向かった。同時に、広場では大尉、幸地一嵜が口を開く。
「えー…まず入隊おめでとう」
新兵のあちこちから悲鳴。大尉の隣に並ぶ1人が、「今年も無理だったな。一嵜、お前場所代われ」「はいはい」と場を入れ替えた。
「新兵諸君。何度も聞いていると思うが。王都艦隊への入隊、心から感謝と祝いの意を示す」
全員の姿勢が整った。
「先日の班分けにて、君達には生死を預け合う仲間を決めてもらった。しかし、その気概だけでは、到底この島を守ることはできない。そこで」
その言葉が放たれると、新兵と向かい合って整列していた隊員が一斉に前に出た。それだけで場の緊張感が変わる。彼らが敬礼の体制をとると、呼応して新兵も敬礼するほどだ。
「今日から各班に2人づつ、教育係を派遣する。皆、島を守るため歴戦の争いを生き抜いてきた者達だ。どうか、この島の栄光を願って、精進してくれ」
その頃医務室では。
「…それで、さっきの続きなのですが。なぜ哉兎の名前を、貴方が知っているのか教えてください」
ベッドに横たわる哉兎を眺めながら、少佐はその軽い調子を崩さず話し出した。
「桂木くんがさ、何もしないで推薦されて入隊したって話は、君知ってんだっけ」
「はい」
「じゃあ今から僕が言うことを君は簡単に理解できるね。おめでとう」
「は?…はい…ありがとうございます…」
中々掴めない人なんだなというのがこの数分で痛いほどわかった。少佐はぴっと指を立てて、哉兎を差す。
「ここに入隊する制度の一つにね、内部推薦というのがあるんだ」
「内部…推薦?聞いたことがありません」
「でしょうよ。これは艦隊の者しか使えない裏ワザなんだから」
「それと…哉兎に何の関係が?」
少佐ー滝沢智尋。哉兎を差していた指を自分の方に向けて、にっこり笑った。
「僕が推薦したの、桂木哉兎くんを」




