第二話「幻想と邂逅」
「哉兎。本当に気をつけるんだよ。上は物騒な者が多いからね」
「おい哉兎、これ持ってけ。お偉いさん方は汚いだの言って食おうともしねえ。なくなったらいつでも戻ってこいよ」
「哉兎にい、ほんとに行っちゃうの…?もう会えないのさみしいよ…」
港の端にぽつんとある駅で、哉兎を囲む町民たちの見送り方は十人十色だった。哉兎は自身の足に抱きつく子供達の頭を撫でながら、心配そうな表情を浮かべる大人に「大丈夫だって!美味いもん買って帰ってくるから!」と妙に的外れな言葉を返していた。面食らっている町民を尻目に、哉兎は膝を曲げた。しゃがんで、子供達と目線を合わせる。
「紫苑、お前は俺が居なくなったら港で最年長になるからな。みんなの面倒見て、大人達のこと楽にしてやるんだぞ。分かった?」
紫苑と呼ばれた少年は泣き腫らした目で哉兎を見た。それから大人達を見上げ、次いで自分と同じように泣いている子供達に目を向ける。最後にまた哉兎と目を合わせ、いつも兵隊ごっこでやる敬礼のポーズをしてみせた。
「はは、よし。任せたぞ参謀。次、美香に円、蓮、拓斗。紫苑にいのこと支えてやれよ。できるか?」
4人も同じように額の前で右手を掲げた。哉兎が笑って全員の頭をわしゃわしゃ撫でると、5人の子供達は「哉兎にい〜!!!」と泣きじゃくって哉兎に抱きついた。長い腕で小さな背中を抱えて、ぐっと手に力を込める。「頼んだぞ」と彼らにだけ聞こえるように告げ、もう一度抱きしめてから身体を上げた。立って、大人に顔を向ける。一度息を吸った。
「…行ってきます」
先頭に立っていたじいちゃんが満足げに頷く。ちょうどやって来たゴンドラを顎でしゃくって、
「さ、行ってらっしゃい」
そう穏やかな笑顔を讃えたまま告げた。哉兎は大きく返事して荷物の入った袋を肩に担ぎ、走ってゴンドラに乗り込んで行った。ガラス張りのドアが閉まっても、哉兎はどんどん遠ざかっていく地面に向かって腕を振っていた。漁師のおじさんが何か叫び、八百屋の店主の女性は何やら目を拭っている。視力のいい哉兎はある程度の距離になるまで全員の挙動がはっきり見え、ぴょんぴょん跳ねて手を振る子供達を見てすぐに涙が込み上げた。しかし哉兎にいの意地だ。それを堪えて、見えなくなるまで笑顔を保ち続けていた。
この天龗島は、断崖絶壁の上に王都をはじめとした中流から貴族階級の人間が暮らしている。崖の下には他島と貿易を行う、下流階級から上がった商人の住む港町があり、彼らが王都に出ることはまずない。上と繋がるロープウェイが設置された駅は港町の外れ、しかも行先は都市郊外の中下流の街だというから酷いものだ。ゴンドラが空中でがたごと揺れる中、同じように哉兎の心臓も暴れていた。上に出るのは今回が人生で初めて。じいちゃんや町の人から聞いたことはあるが、実際行ったことのない恐怖というのは根強い。
ゴンドラが最後の衝撃を吸収したのち、止まった。自動で開くドアに飛びのきそうになりながら、荷物を担ぎ直して外に出る。
そこに広がっていたのは、知らない世界だった。人、建物、雰囲気、何もかもが知らないことで埋め尽くされている。ゴンドラはドアを閉じて無慈悲に下へとまた下がって行った。追いかける気は起きなかったらしい。未知のものに対する怖いという感情よりも好奇心がそれを上回った。中下流の街で気をつけろとは言われていたが、それでも港町より数段は技術が発達している。第一馬が人の入ったお洒落な箱を引き連れて歩いたりしない。
じいちゃんに手渡された地図を広げる。王都艦隊本部はその名の通り王都の中枢に位置しており、国家本部を押し除けそうな勢いであるのが平面的な地図からでも分かった。この駅から東に2時間ほど歩いた位置。電車とかいうものに乗っていけばすぐ着くと商人のおじさんに告げられたのを思い出した。しかし件の駅が見当たらない。
「…すみません、艦隊本部に行きたんですけど、駅ってどこにありますか!」
港町で培ったコミュニケーション能力の高さと声の大きさは、ここでは厄介にしか映らないようだった。声をかけられた警備隊の男二人は明らかに眉を顰め、目配せしてから怪訝そうに口を開く。
「本部に行きたい?あそこはお前みたいな奴が行く場所じゃないよ」
「そうだ。何があるのか知らんが、全く港のやつは空気を読めない馬鹿が多い」
馬鹿と言われ哉兎も眉を寄せた。袋に入れていた手紙を取り出して男に見せる。1人はそれをまじまじと見つめ、もう片方は見る気もなかったようだが、同僚が「おい、これ」と袖を引かれたことで手紙に目を向けた。興味のなさそうだったその目が見開かれる。
「…こ、ここの角を曲がると看板がある。それを道なりに行けば左手にあるはずだ」
2人の信じられないという表情を抜きにして哉兎は「ありがとうございます!!」と深く頭を下げ、角に向かっていった。交差点に着くと男の言った通り黒い看板がある。何やら彫られていたが哉兎にはよく分からなかった。
5分ほど走ったらすぐに駅が見えた。哉兎の知るあの小さな、ゴンドラが行き来しているだけの駅とはまるで違う、大きな屋根に覆われ、巨大な鉄の塊が動いている。それで哉兎の口から出た第一声が「すげーー!」だから呆れるべきなのか賞賛に値するのか。改札近くで駅員にまた怪訝な顔をされながら切符を買い、まじまじと眺めながらホームに急ぐ。すでに多くの人が電車を待機していて、中には荷物を背負って地図を広げる者や、家族と抱き合って感動の別れに興じる者も居た。恐らく哉兎と同じ、艦隊に推薦された者達なのだろう。
それまで嬉々として民衆を観察していた哉兎だが、突然異変が起きた。往来が急にぐにゃりと歪み、視界が多分歪んでいるのだ。足がふらついてその場に座り込んだ。哉兎は何が何か分からず混乱している。人酔い。普段から過疎気味の町で暮らす哉兎には縁のない話だった。いきなり何百人が行き来する民衆の中に放り込まれたのだから無理ない。哉兎の体から力が抜け、意識が朦朧になりかけ_
「ねえ君。大丈夫?」
頭上から声が降ってきた。見上げると、1人の影が自分に屈んでいるのが見える。「え…?あ…俺…」とまだはっきりしない意識の中で何とか答えようとすると、「あ、無理しないで。多分酔ってる君」と言いながら目の前にしゃがまれた。水を差し出され、奪い取る勢いで飲む。視界がはっきりしてきた。目の前にいるのは自分と同じくらいの年恰好の少年。薄い黄緑色の髪が印象的だった。軽く整えられた前髪の下で、メガネのレンズ越しに明るいエメラルドグリーンの瞳がこっちを真っ直ぐ見据えている。哉兎の焦点が合ってきたとわかると身を乗り出して顔を覗き込んだ。
「君…もしかしてここ初めて?」
「あ…はじめて…」
「なるほどね。とりあえず無理しないで座りな」
促されるまま立ち上がりかけた腰をもう一度下ろした。左隣にすとん、と軽い空気抵抗が音で伝わる。元通りになった視界の端では未だに人が蠢いていた。それを遮るように左に目線を向ける。少年は哉兎と一度しっかり視線を通わせ、直後安心したように体から力を抜いた。
「良かった〜…。心配したよいきなりふらついて、どうしたんだろって思ったら倒れちゃって」
「あ、ありがとう。俺、俺哉兎。桂木哉兎」
額に当てた手に埋めていた顔を上げて、少年はふっと笑っている。
「やと。やとか…珍しいね。どうやって書くの?」
「え?あー…これ。こうやって、こう」
空に人差し指で書いてみるが、第一、説明に足る語彙がない。試行錯誤しつつあれだ、これだと話していると本当に分かったのか、それとも優しいだけなのか、どちらにせよ「あー!それね、分かった分かった」と納得してくれた。哉兎は手を下ろして、
「お前は?」
「ん?」
「名前」
少年はポケットから白紙のメモらしきものとペンを取り出して、慣れた手つきで何か書き始めた。俺あんま漢字読めねぇんだけどなー、と思っている哉兎を尻目に、書き上がった字をとんとんペン先で叩く。
「久遠統弥」
くおん、とうや。どうやったらそう読めるんだと思う前に、そもそも哉兎はその漢字を知らなかったようだ。少し考えて、結論が出たらしい。
「久遠統弥!」
「統弥で良いよ」
呆れともつかない笑い方で肩をすくめてみせる。統弥な、と哉兎が言い直していると、轟音と共に地響きがこちらに近付いて来た。数秒後、哉兎の目の前にあの鉄塊が現れた。哉兎がまた腰を抜かしかける。
「もしかして、見たことないの?電車」
「で、電車ってなんだそれ…」
じいちゃんから聞いたことはあるものの実物なんて本当に見てないのだ。でも悪い癖なのか、知らぬ間に好奇心が勝つというのは。荷物を背負って気合いを入れ直し、開いたドアに駆け込む。横で「危ないよ」と制すあたり統弥はこの状況に慣れているのだろう。ただ哉兎という存在は予想外を極めたが。




