第七話(前編)「我ら王都探検隊!」
今日の哉兎のテンションは絶好調だった。理由は他でもない、休みだから。
「や、す、み、だぁああああーーーー!!!」
「うるせぇ」
「哉兎朝礼あるからね?」
フリーズ。空を見つめて。ベッドの上で屍と化した。
「おーい哉兎?」
「死んだか」
理人の声を受け止めても石像のように動かない。結局統弥が「今日はすぐ終わるって言ってたからさ」と小さな嘘をついたことでようやく雪解けした。
今日は食堂での朝食がない。すぐに朝礼だ。しかしそれが終われば、消灯の時間まで一日休暇。王都の中であれば自由に歩き回って良いそうだ。
「つーか、港に帰れないのやだな…」
「まだ確実に信頼されたわけじゃないんだよ、俺たち」
「まあ…去年もこの休暇の日に逃げ出して、そのまま帰ってこなかった人がいるくらいだからね」
「まじかよ」
朝礼が終わって直後の会話だった。朝礼では教育係代表であろう教官一人が前に立って、
「今日は初給を受け取った後は自由行動になる。一人で行動するもよし、班で行動して絆を深めるもよしだ。勿論、本部でこのまま過ごしても構わない」
その言葉を思い返しながら統弥についていくと、ある部屋の前で止まった。窓ガラスが張られた受付で、人当たりの良さそうな老婆が新兵に袋を渡している。哉兎が呆然と見ていると、後ろから恋花の声。
「お給料はここでもらうんだよ。わたし達まだ仕事はしてないから、お祝い金みたいなものなんだ」
「なるほど」
哉兎の番になった。老婆が棚から硬貨と紙幣を見せて、手元で数えた。
「えー3500ティカルだから、1000ティカル紙幣3枚と、100ティカル硬貨5枚ね。どうぞ」
「さ、3500!?!?」
哉兎の港でのお小遣いでは到底辿り着けない数字だった。カジメの相場はだいたい70ティカル。哉兎が半年近く小遣いを貯めてようやく手に入る金額だ。しかし今手元には、カジメ50匹を平らげられる量の金が握られている。
反射的に胸に抱きしめて抱え込み、老婆に頭を下げまくってその場を後にした。老婆の「丁重に扱うんだよー」という声が背中に反響する。丁重って大事にって意味だっけ。
恋花と統弥も自身の手元にある袋を見て目を丸くしている。理人はすんっとしていたが、まあ内心驚いているだろう。
「よし。じゃあ今日は前から言ってた通り、哉兎と理人に王都を紹介しよってことで良い?」
哉兎と理人は同時に「なんて?」と声に出した。正面には統弥と恋花の笑顔。どうやら二人に内緒で計画を練っていたらしい。
「聞いてねえぞ」
「言ったら面白くないからね〜」
「理人くんも哉兎も王都来たことないんでしょ?」
「一回もねぇ!」
統弥が「じゃあ行こう!」と切り出し、4人並んで本部を出た。1週間ぶりの外。空が少し高くなったように感じた。
「…にしても広いな。どこまであんだこれ」
「標高が高いからそうみえるだけだよ、ほらあそこ。海見える」
「わぁ…」
港町は流石に見えないが、自分が1週間前まで走り回っていた海が見えた。果てしなくどこまでも続く海。遠くの遠くには地平線と、青々とした空。境界線の白。光の水色と白銀。
「きれーだな」
「王都の人もみんなそう言うよ」
「あー!見てみて!ここのパンすっごく美味しいんだよ!」
恋花がぴょんぴょんしながら指差したのは、平日の昼でも客が立ち込めるパン屋だった。4人で中に入ると上質なパンの香りがふわっと漂ってくる。ショーケースには黄金色をはじめとした色とりどりのパンが並んでおり、見ているだけでお腹が鳴る。
「ここはねー、干しパン茹でパンに、あとカレーパンとか潮パンも美味しいんだけど、一番はこれ!穂パン!」
ショーケースの一番目立つ場所にでかでかと並ぶパンを恋花は示した。哉兎と理人は物珍しくそれを覗き込む。それは哉兎の顔の大きさほどもあるパンだった。表面にはきつね色の焼き色がついており、軽く小麦か何かの粉がかかっている。中央や下の生地は対照的に健康な小麦色で、側面は空気を感じるパイ生地のような質感だった。
4人とも同じく穂パンを買って、街頭で食べる。哉兎がかぶりついた瞬間、口の周りに粉が飛び散った。焼き立てだったらしく熱くて、ふわっとパンの香り。小麦の味を感じるものの甘かった。空気を含んだ生地は5巻全部で食欲を刺激してきて、「哉兎」と統弥に声をかけられた際哉兎は口いっぱいにパンを捩じ込んだ状態で振り返った。
「がっつきすぎだよ」
「やべぇなこれ…食っても食ってもなくなんないんだけど」
理人は調子がいいらしく、頬を紅潮させながらパンにありついていた。何かを食べている理人は普段よりも幼く見える。口を大きく開けているからだろう。ふと哉兎がパン越しに理人の手首へ目をやると、あの腕輪をしていなかった。肌身離さず持ってんのにな、と首を傾げたのも束の間。恋花が何やら持って走ってくる。
「見てー!今日はゲットできちゃった!」
「え!すごいな、おれ一回も貰ったことないのに」
まじまじとそれを覗き込む統弥の後ろから、哉兎の視線が銀の小さな缶で止まった。
「…はんふぁほへ」
「飲み込んでから喋りなさい…これ。薄桜のバター」
「なんそれ」
受けとる。缶の中で、少し桜色がかったバターがてらてら湿っぽい光を浴びた。昔港の住人全員でパーティーをした時、野菜屋のおじちゃんが野菜をこれで炒めてバターソテーっていって食わせてくれたっけ。その時のバターは黄色だったのだが。
「これ塗るってこと?」
「そうそう、美味しいんだって」
「朝に数量限定で無料配布されてるの!わたしもいつも通ってるけどこれ手に入れたのまだ3回目なんだ。はい理人くん!」
理人に至っては一度も見たことがないらしく、なんだこれと口には出さなかったものの隅々まで観察して匂いを確かめて、と挙動が完全に未知のものを見つけた人間のそれだった。
バターを一緒に渡された小さなヘラでとり、パンの齧った断面に塗りつける。するとバターの油っぽい匂いではなく、さっぱりとした華やかな匂いが鼻腔に広がった。「うぉお…」と感嘆の声を上げつつさっきよりは丁寧に頬張る。美味い。小麦の香ばしさとバターのさっぱりした味わいが合わさってどれだけ食べても腹に溜まらない錯覚を起こすとさえ感じた。
パン屋を離れ、やっと半分ほどの量になった穂パンを片手で持ちながら哉兎が統弥の肩を叩く。
「そういやさ、王都って他の都市と比べて随分雰囲気違うよな」
「あ、そうそれ。説明しないとね」
統弥は手を広げて、もう一度周りを見回した。
「この天龗島上部層は、エデン戦争まで他の島にずっと植民地にされてきたんだ」
「植民地ってあの、他の国を使って自分の国成長させるやつか?」
「大体合ってる。それで、この王都は特に、トロイア島とシスティーナ島にたらい回しにされたらしいからね。あと…」
「だから、様々な国の文化が集結してるってことか?どうりで異色なわけだ」
理人が手元の穂パンを見下ろす。まず港や他の都市では見ない形状、味だ。
「そう。万国の文化が入り乱れる、まさに凝縮した世界地図みたいな場所なんだ、この王都は」
統弥が説明している間に一番お目当てにしていた市場に着いた。その途端、全員の目が爛々と輝き始める。
別世界だった。目が眩むほどの喧騒。色とりどりの出店が並び、馴染みのある料理や見たこともないものまで、全てが混在した世界。まさに、世界地図だった。




