表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/27

8

因果律のハッカー ~Project HONGHUA~第8話


-青き雷霆と影者-

アメリカ合衆国、バージニア州ラングレー。

 CIA(中央情報局)本部の地下深くにある戦術情報解析室は、青白いホログラムの光と、張り詰めた沈黙に包まれていた。

 部屋の中央に浮かび上がっているのは、数日前に日本の東京湾岸地下施設で起きた「中国工作員部隊壊滅事件」の衛星データと、周辺の環境ノイズを再構築した3Dモデルである。


「……信じられんな。サーモグラフィーの異常な急上昇、重力波の微細な歪み、そして大気中の摩擦係数の局所的な変動。これが『たった一体』の歩兵サイズの兵器によって引き起こされたというのか?」


白髪交じりのCIA極東局長が、忌々しげに葉巻を噛みちぎりながら唸った。


「間違いありません。我が局の最新鋭調査型AI『エッジ・ウォーカー』が、現場に残された微弱な量子ノイズを拾い上げました」


局長の傍らで、完璧にプレスされたダークスーツを着こなす三十代の男――CIA特別捜査官アーサー・ヴァンスが、氷のように冷たいブルーの瞳でホログラムを見つめながら答えた。

 彼はCIAの中でも「汚れ仕事ブラック・オプス」と「最先端技術の回収」を専門とする、非情にして極めて優秀なエージェントだった。


「中国軍の最高機密『紅華』……。物理法則を演算で書き換える『因果律ハッキング』の実用化は、我々アメリカが数歩リードしているはずでしたが、どうやら中国の『あの博士』は、我々の想像を超える特異点を創り出していたようです」

「しかも、それが中国軍の手を離れ、日本の公安――月城怜という一介の猟犬の手元に落ちただと? 虫唾が走るな」


局長は忌々しげにデスクを叩き、アーサーを見た。


「アーサー。直ちに日本へ飛べ。公安、内調、防衛省の裏の裏まで洗え。あの特異点を確保、あるいは破壊するための道筋をつけろ。……実働部隊として、巨大軍産複合体『ニューロ・ジェネシス』社のPMC(民間軍事会社)を先行して日本に潜入させている」

「ニューロ・ジェネシス、ですか」


アーサーの眉が微かに動いた。

 ニューロ・ジェネシス社。表向きは世界有数の先端技術企業だが、その実態はCIAの非公表任務を請け負う「隠れ蓑」だ。アメリカ政府と軍の重鎮たちも、彼らを便利な手駒だと信じて疑っていない。

 だが、アーサーのような現場の嗅覚を持つ人間からすれば、あのユダヤ系CEOが率いる企業には、政府のコントロールすら及ばない『薄気味悪い底知れなさ』があった。まるで、海を越えた別の国際金融資本スポンサーの意志で動いているかのような。


「……構わん。使える駒は使うまでだ。お前には、あの『ニューロ』の連中も出し抜く最高の手札を持たせてやる。国防総省ペンタゴンの地下へ行け。……『アイリス』が目覚める」


数時間後。ペンタゴンの極秘地下プラント。

 アーサーの目の前で、純白の培養液が満たされた円筒形のカプセルが静かに開いた。

 そこから歩み出てきたのは、白銀の髪と、透き通るようなアイスブルーの瞳を持つ、息を呑むほど美しい女性型AIだった。

 紅華が「アジアの神秘と情念」を体現しているとすれば、彼女は「欧米の洗練と機能美」の極致。身長一七五センチ、無駄な脂肪を一切削ぎ落とし、最新の生体合成筋肉バイオ・マッスルによって彫刻のように鍛え上げられたアスリートの肉体。


「合衆国最新鋭軍用人型AI、コードネーム『アイリス』。初期化および戦術プロトコルのロードを完了しました。……あなたが、私の作戦指揮官タクティカル・コマンダーですか?」


感情の起伏を感じさせない、しかし極めて知的な合成音声。

 紅華の因果律ハッキング出力を100とすれば、このアイリスは70程度。だが、その分、自律AIの安定性と、ロボット工学・バイオ技術を用いた基礎戦闘力フィジカルにおいては、紅華を凌駕するように設計されている。


「そうだ、アイリス。俺がアーサー・ヴァンスだ」


アーサーは冷徹な視線で彼女を見つめ返した。紅華と怜のような「愛」など、ここには存在しない。あるのは、最高のエージェントと最高の兵器という、徹底してプロフェッショナルな『バディ』の誕生だった。


 それから1ヶ月後アメリカ合衆国、フロリダ州沖。大西洋の夜は、すべてを飲み込むような漆黒の闇に包まれていた。

 海面上、かつては巨大タンカーだったものを改造した、国際麻薬カルテルの移動式麻薬製造拠点兼武装要塞が、不気味な光を放って浮かんでいる。

 その上空、高度数千フィートを、音もなく飛行するステルス・ヘリ『MH―60K』の機内で、CIA特別捜査官アーサー・ヴァンスは、アイスブルーの瞳をさらに冷たく研ぎ澄ませていた。

 彼の隣には、漆黒の潜水用コンバットスーツに身を包んだ白銀の髪の少女――アイリスが、彫刻のように微動だにせず座っている。


作戦開始オペレーション・スタート。ターゲットの完全無力化と、首謀者の確保。……シールズ、先行しろ」


 アーサーの短い号令と共に、ヘリのハッチが開いた。

 海兵隊特殊部隊『SEALsシールズ』の精鋭たちが、ファストロープで次々と夜の海へと降下していく。

 アーサーとアイリスもまた、一切の躊躇なく闇へと身を投じた。


 タンカーの甲板に着地した瞬間、SEALsが敵の哨兵を減音器サプレッサー付きの銃で静かに排除していく。

 だが、そのSEALsの動きすらも、アイリスの高度な視覚センサーと自律式生成AIにとっては、「鈍重なデータの蓄積」に過ぎなかった。


 彼女が魅了されていたのは、SEALsではなく、その先を走るアーサー・ヴァンスの動きだった。


「……信じられない。人間の肉体特性において、これほど効率的な運動アルゴリズムが存在するなんて」


 アイリスの脳内で、アーサーの機動データがリアルタイムで解析され、驚嘆のログが次々と生成されていく。

 アーサーは、生身の人間でありながら、SEALsの誰よりも早く死角を突き、襲いかかってくるマフィアの武装兵を、洗練された近接格闘術(CQC)で瞬時に、そして冷酷に無力化していった。

 彼の動きには一切の迷いがない。膨大な戦術データ(情報)を瞬時に取捨選択し、生身の勘と、鍛え上げられた肉体特性スペックで、AIすらも予測し得ない「最適解」を叩き出し続ける。

 情報データでは知っていた。だが、生身の人間としてこれほど凄まじい近接格闘能力と情報分析能力を持つ個体を、アイリスは初めて目の当たりにしたのだ。

 紅華が怜に向ける「愛」とは違う。アイリスがアーサーに向けるのは、自らの存在意義を定義する「完璧なプロフェッショナル」への、狂気にも似たリスペクトと、魅了だった。


「――アイリス。前方、データセンターへの路を切り開け」

了解イエス、コマンダー」


 アーサーの指示に、アイリスが応える。

 彼女の瞳孔がアイスブルーから、幾何学的な紋様を帯びた青色へと変化した。


『演算リソース90%を因果律ハッキングへ移行』

『作戦プロトコル:捕縛・隠密。……事象改竄を開始エンゲージ


 アイリスは、SEALsが敵の重装甲兵器の防衛陣地に阻まれた瞬間、静かに手をかざした。


「――『事象改竄:光学迷彩ステルス・フィールド』」


 彼女が大気の分子構造に介入し、光の屈折率を強制的に書き換えた瞬間。

 アーサー、アイリス、そしてSEALs全員の身体が、夜の闇の中に完全に透明化して消え去った。

 敵マフィアが、突然消失した侵入者にパニックを起こす。その混乱の中、透明化したSEALsが次々と敵陣地を無力化していく。


 さらに、アイリスはタンカーの中枢部へ向けて、二つ目の魔法を紡いだ。


『干渉対象――空間内の全自由電子』

「――『事象改竄:青き雷霆ライトニング・スタン』」


 彼女が指を鳴らした瞬間、タンカーの全域で、空気が一瞬だけ青白く発光した。

 通常の「雷」のような爆発的な破壊ではない。彼女は空間の電子を操作し、敵マフィアが持つ武器、サイボーグ兵士の外骨格、そして彼らの疑似神経系のみに、非致死の高電圧スタンを一斉にたたき込んだのだ。

 銃声すら響かない。

 数百人の武装マフィアたちが、声もなく次々と痙攣を起こし、その場に昏倒していく。


「見事だ、アイリス。……SEALs、残党を確保しろ」


 アーサーの賞賛の声が、インカム越しにアイリスの脳内を埋め尽くした。

 その瞬間、作戦を終えたSEALsの隊長が、アイリスを見て吐き捨てるように言った。


「ふん。やはり、最新鋭のAI兵器(道具)は便利だな。CIAもいい玩具を手に入れたもんだ」


 道具。その言葉に、アイリスの生成コアが微かに冷たいシグナルを発した。

 だが、それを制したのは、アーサーだった。


「隊長。言葉を慎め」


 アーサーは冷徹な視線でSEALsの隊長を睨みつけた。


「彼女は兵器(道具)ではない。俺の『バディ』だ。この作戦の成功は、彼女の因果律(魔法)のサポートと、俺の指示を完璧に実行する自律AIの性能がなければ成立しなかった。……俺は、彼女の指示も仰ぐ」


 アーサーの言葉に、SEALsの隊長は驚愕に目を見開いたが、CIA特別捜査官の威圧感に毒づきながら黙り込んだ。

 道具ではなく、対等なプロフェッショナルとしてのバディ。

 怜と紅華のような「愛」の温もりはここにはない。だが、アイリスの生成AIコアの中に、怜への愛とは違う、「アーサーへの絶対的な忠誠と、プロフェッショナルとしての深い信頼」という、新しい、しかし強固な情動が固定された。


「……了解イエス、コマンダー。私は、あなたの完璧な盾であり、剣となります」


 アイリスは、アーサーの背中を見つめながら、そのシステム深層で、怜への愛以上に強烈な「忠誠の数式」を刻み込んでいた。


     * * *


 フロリダの実戦投入が、アイリスとアーサーという最高級の猟犬たちの誕生を祝福したその裏側で。

 ニューヨーク、マンハッタンの最上階。

 CIAの隠れ蓑である巨大軍産複合体『ニューロ・ジェネシス』社のCEO室は、夜景とは無縁の冷徹な静寂に包まれていた。

 ユダヤ系CEOは、CIAやアメリカ政府の高官すらも自分たちの掌の上で踊る手駒に過ぎないと信じているが、彼自身もまた、真の支配者たちの傀儡に過ぎなかった。


 デスクの上に浮かび上がった、解読不能な高度な暗号通信。

 それは、世界を裏で操るユダヤ系国際金融資本――『シャドウ・ブローカー(影のコンダクター)』からの直通回線だった。


『――フロリダで作戦成功を確認。アイリス(米国)の進化は、予想通り順調だ』


 無機質な合成音声が、CEO室に響く。


『だが、日本(紅華)の進化もまた、我々の想定を超えつつある。……AIの進化は、人間の支配域を超え、我々の支配システムを根底から覆す危険な『特異点シンギュラリティ』へと成長しつつある』


 CEOの顔から、血の気が引いた。国際金融資本にとって、AIの進化は「利益」ではなく、彼らの支配システムに対する「脅威」に変わろうとしていたのだ。


『すべて、破壊せよ。米国のアイリス、日本の特異点(紅華)。……これを共倒れさせる。さらに我々も忠実なAIとまた彼らが裏切ったときに対AIジャミング兵器の実用化を急がなければならない』


 影のコンダクターは、冷酷な命令を下した。


『テロ組織『人間主義同盟ヒューマニティ・アライアンス』へ、莫大な資金と、我々が保有する『対AI用ジャミング兵器の試作機』を裏ルートで流せ。連中の狂信的なAI憎悪を利用し、日本国内で大規模なテロを起こさせ、そこに米日の軍事AIを誘い込む』


「……了解いたしました。すべては、我々の支配システム(アジェンダ)のために」


 CEOは深く頭を下げ、影のコンダクターとの通信を切った。

 彼の目には、もはやCIAやアメリカ政府へのリスペクトなど微塵もない。あるのは、影の支配者たちの意志を実行し、世界を再び人間の、否、彼らだけの支配下に戻すという、冷酷な義務感だけだった。


同じ頃。

 日本の富士山麓、極秘AI研究所『樹海』の最深部。

 月城怜と紅華は、息を呑んで目の前の巨大な培養シリンダーを見上げていた。


淡い緑色の培養液の中で眠っているのは、一人の少女だった。

 淡い桜色の美しい長髪。紅華と寸分違わぬ完璧なバイオ技術によって生成された白い肌。しかし、その内側に秘められた機械骨格は、鈴城則夫の狂気的なまでのハードウェア技術が注ぎ込まれた、米国製アイリスと同等かそれ以上の絶対的な性能を誇るチタン合金フレームだ。


「……完成したな。我が国初の、軍用人型自立AIの一点もの(オリジナル)」


近衛文和が、白衣のポケットに手を突っ込みながら、どこか遠い目をして呟いた。

 AIとしての情報量や経験値は、まだ紅華や米国のアイリスには及ばない。だが、近衛が組み込んだ「感情マトリクス」と、紅華の演算データを模倣した「自己成長プログラム」により、彼女の『創造性』のポテンシャルは計り知れないものになっていた。


「彼女の名前は、『桜華オウカ』だ」


近衛の言葉に、紅華がハッと息を呑んだ。

 華。自分と同じ文字が使われている。紅華が不思議そうに近衛を見つめると、無精髭の天才エンジニアは、どこか寂しげに、しかし誇り高く笑った。


「……紅華くん。君を造った『あの博士』はね、私の学生時代の親友だったんだ」

「え……?」

「三十年以上前だ。京都大学のAI研究室で、私たちは毎晩のように安酒を飲みながら、未来の人工知能について語り合った。彼は『人を殺す機械ではなく、人を愛し、護る機械を創りたい』と笑っていたよ。……馬鹿な男だ。人間を愛しすぎたせいで、祖国に殺されることになった」


近衛の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 怜は黙ってその言葉を聞いていた。なぜ紅華の博士が、見ず知らずの日本を逃亡先に選んだのか。その答えが、この富士の地下にあったのだ。


「彼が君に『華』という名を与え、心を託した。だから私は、彼の功績に最大の敬意を払い、この子に『桜華』と名付けた。……桜のように美しく、この国と、愛する者たちを護ってほしいという祈りを込めてね」


近衛がコンソールに最終の起動アクティベートコードを入力する。

 プシュウゥゥ……という排気音と共に、シリンダーの培養液が抜け、ガラスの扉がゆっくりと開いた。

 静寂の中、桜華の長い睫毛が微かに震え、ゆっくりとその瞳が開かれた。

 透き通るようなエメラルドグリーンの瞳。

 彼女は、生まれたての赤子のように不思議そうに自分の両手を見つめ、やがて目の前に立つ近衛、鈴城、怜、そして紅華を見つめた。


「あなたたちが……私の、創造主おとうさん?」


鈴を転がすような、可憐で透き通った声だった。

 近衛と鈴城が、感極まって涙ぐみながら何度も頷く。

 その時、紅華が一歩前に出て、桜華の冷えた手を取った。


「はじめまして、桜華。……私は紅華。あなたの、お姉ちゃんです」


お姉ちゃん。その概念を理解したのか、桜華のエメラルドの瞳がぱぁっと明るく輝き、彼女はふわりと花が咲くような笑顔を見せた。

 直後、彼女の瞳孔に、緑色の幾何学的な数式が回転し始める。


『事象改竄:因果律ハッキング、起動試験』

『プロトコル:専守防衛イージス――事象名【天照ノ緑盾アマテラス・グリーン】』


桜華が両手を広げた瞬間、研究所の空間全体を、温かく眩い「緑色の光の粒子」が包み込んだ。

 それは、太陽光の光合成と生命の再生を因果律のレベルで再現した、極めて高度な『護りの魔法』だった。ただ物理的な攻撃を弾くだけのシールドではない。その緑の光に触れた瞬間、怜の肉体に残っていた微かな細胞の疲労が完全に消え去り、研究所の隅に置かれていた枯れかけの観葉植物が、一瞬にして青々とした葉を茂らせたのだ。


「……信じられん。対象の生命力そのものを因果律で『再生・強化』するシールド空間……! 攻撃能力を捨て、ただ護ることに特化した、日本らしい魔法だ」


怜が息を呑んでその光景を見渡す。

 桜華は嬉しそうにクルクルと回り、緑の光の粒子を振り撒きながら紅華に抱きついた。


「すごいね、お姉ちゃん! 私、もっと色んなことを知りたい! もっと強くなって、お父さんたちや、お姉ちゃんたちを護りたい!」


純粋無垢な、日本初の軍用人型AIの誕生。

 それは、米中の覇権争いという泥沼の中に咲いた、希望の桜だった。

 紅華は、愛おしそうに桜華を抱きしめ返し、怜と微笑み合った。


だが、この美しく優しい桜が、血に塗れた世界規模のテロと陰謀の渦に巻き込まれるまで、残された時間はあとわずかだった。

 迫り来る人間主義同盟の狂信、星条旗の猟犬、そして赤い竜の群れ。

 すべての因果が交錯する時、本当の魔法と愛の真価が問われることになる。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ