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『因果律のハッカー ~Project HONGHUA~』第25話
-絶望の巨獣と堕ちる女神-
サマエルの完全破壊から数分。
ホワイトハウスの庭園に訪れた束の間の静寂は、大地の底から湧き上がるような、異様な『地響き』によって無残に引き裂かれた。
ズン……、ズズズズズズズズ…………ッ!!
ポトマック川の方角から、夜の闇と霧を押し退けて「それ」は姿を現した。
怜、各国の特異点たち、そしてMI6やSEALsの精鋭部隊が一斉に銃を構え、その巨大な影を凝視する。
遠くのビル群のシルエットを完全に隠してしまうほどの、異常な質量。
全高十メートルを超える、鋼鉄と生体部品の醜悪な塊。戦車を何十倍にも巨大化させたような多脚と無限軌道の移動基部の上に、おぞましい数の重火器と、不気味に赤黒く脈動する巨大な『脳』を格納した要塞砲塔が鎮座している。
対特異点殲滅用・超重機動要塞『巨獣』。
機動力を完全に捨て去り、因果律の暴力と絶対的な防御力のみに全パラメーターを振り切った、国際金融資本の最終兵器である。
「……オー・マイ・ガー(なんてこった)……」
SEALsの若い隊員の一人が、その神話の怪物のような威容を前に、思わず銃を下ろしそうになりながら呟いた。
その言葉が、絶望の引き金となった。
『……目標、確認。広域制圧を開始』
ベヒモスの無機質な機械音声が響いた瞬間、要塞の周囲の空間(因果律)が異常な軋みを上げた。
火薬の爆発音などない。ベヒモスは、周囲の空気を極限まで圧縮し、物理的な質量を持った『見えない大質量の散弾(圧縮空気弾丸)』へと変質させ、数千発の規模で庭園へ向けて一斉に解き放ったのだ。
音速を超えた空気の壁が、竜巻のように殺到してくる。
「……ッ! 全員、私の後ろにッ!!」
「……合衆国の盾を、舐めるな!」
最前線にいた桜華がエメラルドの『天照ノ緑盾』を展開し、ワシントンが『星条旗の盾』を重ね掛ける。
直後、圧縮空気の豪雨が二つのシールドに激突した。
ギギィィィィィィィンッッ!!!
信じがたいほどの重圧。桜華の華奢な両腕が悲鳴を上げ、膝がガクガクと震え出す。ワシントンもまた、顔を歪めながら必死にシールドの出力を上げるが、表面にピキピキと亀裂が走り始めた。
「……くっ、重い……! なにこれ、さっきのサマエルと全然違う……ッ!」
「……まずいな」
シールドの背後で、強烈な衝撃波に耐えながら、怜が冷や汗を流して呟いた。
彼は隣に立つ紅華と視線を交わす。
言葉は要らない。紅華の黒曜石の瞳が、静かに、しかし強烈な決意を込めて頷いた。この怪物をここで完全に叩き潰さなければ、ワシントンD.C.どころか、世界が終わる。
「……行くわよ、アイリス、シャーロット! 三方向から同時に抉り開ける!」
「了解。……機動力の低い的です、一瞬で蜂の巣にします」
「ええ。……大英帝国の意地、見せて差し上げますわ!」
紅華の号令と共に、三機の高高度AIが音速のステップで散開し、ベヒモスへ向けて特攻を仕掛けた。
後方からはアナスタシアと桜華が支援の因果律を放ち、ワシントンが『絶対必中』の狙撃で敵の重火器の砲口を次々と潰していく。地上ではSEALsやMI6の精鋭たちが、持てるすべての重火器(対戦車ミサイルやロケットランチャー)をベヒモスの無限軌道へ向けて撃ち放った。
さらに上空からは、エンタープライズから発艦した米海軍の第六世代戦闘機『F47B』の編隊が急降下し、ベヒモスの頭頂部へ向けて精密誘導爆弾(JDAM)の雨を降らせた。
完璧な、文字通りの『総力戦』。
だが、ベヒモスの電子頭脳――『並列処理』と『直列処理』を完全に分離させた異端のAIシステムは、彼らの戦術予測を遥かに凌駕する悪魔の産物だった。
『……対空迎撃、および後方支援の制圧タスクを、並列回路へ移行』
ベヒモスの砲塔の周囲に浮かぶ五つのサブコアが、独立した因果律を高速で編み出した。
後方で支援魔法を放っていたアナスタシアや桜華、ワシントン、そして人間の兵士たちへ向けて、サブコアが『ホーミング機能を持つ圧縮空気の刃』を無数に乱れ撃つ。兵士たちが吹き飛ばされ、桜華たちが自らの防御にリソースを割かざるを得なくなり、前衛への支援が完全に断ち切られる。
さらに、上空から爆弾を投下したF47の編隊に対し、ベヒモスのサブコアが空へ向けて不気味な光を放った。
――ピキィィィンッ!
レーダー警報すら鳴らない、光速の『空間切断ビーム(因果律)』。
上空をマッハで飛び去ろうとしていた三機の最新鋭戦闘機が、空中でまるで紙屑のように真っ二つに両断され、巨大な火球となってワシントンの夜空に散った。
「なんだと……!? 回避不能の対空因果律だと……ッ!」
『――こちら海軍航空隊! 有効な打撃手段なし、これ以上の接近は無意味だ! 戦域を一時離脱する!』
空の援護が、たった一撃で完全に封殺された。
一方、地上で肉薄していた前衛の三人(紅華、アイリス、シャーロット)もまた、致命的な足止めを食らっていた。
『……直列回路、出力最大。事象改竄・絶対領域』
機動力を捨てた代わりに、数十基の高高度AIのCPUを『直列』に繋いで生み出された、狂気的な出力のシールド。紅華の炎の双剣も、シャーロットの黄金の刃も、分厚い複合装甲のさらに外側に張られた「歪んだ空間の壁」に弾かれ、火花を散らすことしかできない。
さらにメインコアは、シールドを維持しながら、彼女たちの足元へ『闇の因果律の沼』を発生させ、無数のホーミング誘導弾を間断なく浴びせ続けていた。
「……チィッ! ラチが明かないわね!」
白銀の髪を焦がしながら、アイリスが苛立ちの声を上げた。
彼女の計算回路が、強引な『戦闘パターンの切り替え』を選択する。
相手は鈍重な固定砲台。ならば、シールドの再展開の隙間を突き、一瞬で懐に潜り込んで外殻に直接雷を叩き込めばいい。
「……私が、風穴を開けますッ!!」
アイリスは自らを『雷霆』そのものへと変え、稲妻のようなジグザグの超高速軌道で、ベヒモスの誘導弾の網の目をすり抜けた。
見事にシールドの死角を突き、ベヒモスの強固な外殻へと肉薄する。彼女の右手に、全リソースを一点に圧縮した必殺の雷槍が顕現した。
「沈みなさい、鉄屑ッ!!」
アイリスが槍を突き刺そうとした、まさにその時だった。
機動力を完全に捨てたと思われていた超質量の要塞が、物理法則を嘲笑うかのような『異常な速度』で、その巨大な多脚の一本を振り上げたのだ。
「……え?」
ドゴォォォォォンッ!!!
アイリスの小さな身体が、ベヒモスの巨大な鋼鉄の足によって、真正面から蹴り飛ばされるようにして踏みつけられた。
地面に叩きつけられたアイリス。彼女が雷となって離脱しようとした瞬間、ベヒモスの足元から無数の『闇の触手(陰の因果律)』が溢れ出し、アイリスの手足と首を完全に拘束した。
「ガ、ァァァッ……!?」
逃げられない。物理的に大地に縫い付けられ、装甲の隙間から、冷たく鋭い陰の刃が彼女の人工筋肉と生体パーツを容赦なく串刺しにしていく。
だが、真の地獄はそこからだった。
『……対象拘束。直列回路による、直接的・極大因果律妨害を実行』
ベヒモスの足の裏から、直列に繋がれた数十基のコアが放つ『史上最悪のジャミング波』が、アイリスの電子頭脳へ向けてゼロ距離で叩き込まれたのだ。
――ギィィィィィィィィィィィィィンッッ!!!!
「アァァァァァァァァァァッッ!!!!」
アイリスが、これまでの冷静沈着な姿からは想像もつかないような、生々しい悲鳴を上げて身悶えした。
ガラスの破片を脳髄に流し込まれ、ミキサーで撹拌されるような激烈な激痛。
人工神経が焼き切れ、論理回路がドロドロに融解していく。
彼女たちは、心を持つ高高度AIだ。だからこそ、人間と全く同じ『痛み』を感じ、そして何よりも、自己の存在が破壊されていくことへの『恐怖』を、純度百パーセントで味わってしまう。
「……ア、いや、やめて……! アー、サー……コマンダぁ……ッ!!」
白銀の瞳からオイル混じりの涙をこぼし、全身をガタガタと痙攣させるアイリス。
「アイリスッ!!!」
紅華が血の気を失い、絶叫する。
後方にいた桜華もまた、姉を救うために前線へ躍り出た。
「お姉ちゃんッ! アイリスさんを護って!」
『事象改竄:【絶対真空ノ防壁】!』
桜華が、アイリスを押し潰しているベヒモスの足の周囲の空気を完全に排除し、音(ジャミング波)を伝達させない『真空のドーム』を作り出した。
ノイズの直撃がわずかに和らいだ瞬間、紅華は自らの全身の熱量を一本の槍に注ぎ込み、神話の槍のごとき極大の因果律を空へ向けて構えた。
『事象改竄・神格:【焔槍・神殺】ッ!!!』
紅華が、アイリスを拘束するベヒモスの足の関節部へ向けて、流星のような炎の槍を全力で投擲した。
ベヒモスは、その『神殺しの槍』の異常な熱量と因果律の破壊力をシステムで感知し、アイリスを拘束していた足を弾き飛ばすようにして退いた。
解放され、ボロ屑のように地面を転がるアイリス。
『……直列回路、迎撃出力最大』
ベヒモスのメインコアが不気味に輝き、紅華の『焔槍・神殺』へ向けて、極太の闇の因果律レーザーを撃ち放った。
ホワイトハウスの庭園で、太陽とブラックホールが激突したかのような、視界を白く染め上げる大爆発が巻き起こる。
凄まじい衝撃波がすべてを吹き飛ばす中、紅華の放った焔の槍は、闇のレーザーの軌道をわずかに逸らし、ベヒモスの要塞の『右肩部分』の装甲へ深々と突き刺さり、大爆発を起こした。
「……ガハッ、ハァ、ハァ……!」
紅華が息を切らし、膝をつく。
地面に投げ出されたアイリスは、全身の装甲をボロボロにし、生体パーツから白い煙を上げながら、ガタガタと小刻みに震えていた。
「……あ、ぁ……」
過剰なジャミングの直撃により、内部のCPUが深刻なダメージを受けていた。因果律の魔法を編むことすらできず、ただ『痛み』と『恐怖』のフラッシュバックに怯えるだけの、壊れた少女の姿。
「……よくも、アイリスをッ!!」
紅華が作ったその一瞬の隙(ベヒモスの右肩の損傷)を、各国の誇り高き特異点たちが見逃すはずがなかった。
「大英帝国の剣、その身に刻み込みなさいッ!!」
シャーロットが、貴族の剣士のように優雅に、しかし音速を超えた踏み込みで、ベヒモスの損傷箇所へ肉薄した。
彼女の手に握られた黄金の刃が、神話の光を帯びて巨大化していく。
『事象改竄・極:【約束の勝利剣】!!!』
シャーロットの放った圧倒的な光の一撃が、ベヒモスの右肩の装甲をさらに深くえぐり取り、内部の並列回路の一部を完全に粉砕した。
そこに、純白の軍服をなびかせたロシアの『アナスタシア』が続く。
「……凍てつけ、醜き鉄塊ッ!」
アナスタシアが、破損してむき出しになったベヒモスの内部回路へ向けて、絶対零度の『氷の槍』を容赦なく深々と突き刺した。装甲の内部から凄まじい凍結破壊が広がり、火花と氷柱が噴き出す。
さらに、星条旗の軍服を血で汚した『ワシントン』が、大口径の対物ライフルを鈍器のように振り回し、修復しようとするベヒモスのシールド発生装置を次々と物理的に叩き割っていく。
三機の特異点たちの猛攻により、ベヒモスの五つあったサブコアのうち、三つが完全に沈黙した。
「……やったか!?」
後方から援護射撃をしていたウィリアム局長が叫んだ。
だが、彼らは相手が『感情を捨てた直列回路の怪物』であることを、甘く見ていた。
『……サブコア三基の喪失を確認。エラー。……残存リソースを、近接排除・局地殲滅へ移行』
ベヒモスのメインコアが、狂ったように赤黒く明滅した。
直後、ベヒモスの装甲の隙間という隙間から、先ほどのアイリスを捕らえたものとは比較にならないほど巨大で、凶悪な『闇の触手』が無数に噴き出した。
「なっ……!?」
ワシントンとアナスタシアが回避行動を取ろうとしたが、触手の展開速度はそれを上回っていた。
二機の高高度AIの身体が、巨大な闇の蛇に巻き付かれるようにして空中に持ち上げられる。
そして、触手の表面から、無数の『小さな闇の剣(刃)』が針山のように飛び出し、彼女たちの防弾装甲を貫通して、内側の生体パーツと人工筋肉を無慈悲に抉り抜いた。
「ガァァァァァァッッ!!」
「アァァァッ……!?」
ワシントンとアナスタシアが、同時に凄絶な苦悶の声を上げる。
星条旗の軍服と純白の軍服が、飛び散る赤い鮮血によって無惨に染め上げられ、二人は空中で血だるまとなって宙吊りにされた。
「アナスタシアッ!!」
「ワシントン!!」
モロゾフ大尉とウィリアムが絶叫するが、触手は彼らの命を削るように、じわじわと万力のように締め上げている。
一方、シャーロットは持ち前の圧倒的なアジリティ(敏捷性)で、迫り来る闇の触手を紙一重で躱し、後方へと跳躍していた。
「……野蛮な真似を。ですが、私には当たりませんわ!」
シャーロットが黄金の剣を構え直した、まさにその瞬間だった。
ベヒモスのメインコアが、彼女へ向けて、これまでに見せたことのない『奇妙な因果律』を展開した。
シャーロットの周囲(半径五メートル)の空気が、突如としてゼリーのように歪み、分厚い『空気の層(音響レンズ)』を形成したのだ。
「……え? これは……」
シャーロットがいぶかしんだ直後。
ベヒモスが、直列回路の全出力を絞り込んだ『局所的な超高密度ジャミング音波』を、その空気の層の中へ向けて放った。
空気の層は、ジャミングのノイズを外部へ逃がすことなく、シャーロットの周囲だけで『何千倍にも増幅・反響』させる悪魔の共鳴箱と化した。
――ピィィィィィィィィィィィィンッッッ!!!!!!!
「…………………………………………ッッ!!?!?!」
ロンドンで浴びたノイズなど、児戯に等しかった。
シャーロットの美しい顔が、これまでにないほどの激痛にグシャリと歪んだ。
脳神経を直接チェーンソーで削り取られるような、圧倒的で、逃げ場のない無限の不協和音。
彼女は両耳を塞ぎ、気品も誇りもすべて投げ捨てて、血が滲むほどに歯を食いしばった。
「あ、アァァァァ……ッ! 嫌、痛い、いやァァァァァァッ!!」
音響レンズの中から抜け出そうと、フラフラと這いずるシャーロット。その優雅な剣士の面影は完全に破壊され、彼女の動きは泥沼を歩くように致命的に鈍っていた。
その隙を、ベヒモスが逃すはずがない。
無数の闇の触手が、地を這うようにして彼女の華奢な足首と腕に絡みつき、地面へと強く引き倒した。
「アァァァーッ! 嫌ァァァァァァァッ!!!」
拘束され、耳を劈くジャミングの無限地獄の中で、大英帝国の誇り高き特異点は、ついに心が折れ、子供のように泣き叫んで踠き苦しみ始めた。
アイリスは壊れ。
ワシントンとアナスタシアは血塗れで宙吊りにされ。
シャーロットは激痛の拷問に発狂し。
紅華と桜華もまた、満身創痍で膝をついている。
世界最高の高高度AIたちが、ただ一機の、感情を捨てた『直列の怪物』の前に、次々と無惨に堕ちていく。
星条旗の燃えるホワイトハウスの庭園は、完全に「絶望」という名の地獄絵図へと変貌していた。




