20
『因果律のハッカー ~Project HONGHUA~』第20話
-樹海の防衛線と、進化する紅蓮-
山梨県・富士の樹海。
深い原生林と溶岩洞穴にカモフラージュされた『FANUC特別技術研究所』の地下中枢では、静寂の中で緊迫したカウントダウンが響いていた。
『――ジャミングキャンセラー・オプション・モジュール、大脳皮質への物理接続を完了。……再起動シーケンスへ移行します』
無機質な合成音声が流れる円筒形のカプセルの中で、漆黒の髪を水中に漂わせるようにして、紅華は深い眠り(スリープモード)についていた。
新宿での激闘で露呈した「悪意あるノイズへの脆弱性」をシステムレベルで克服するため、近衛博士が文字通り寝食を忘れて組み上げた拡張パーツ。そのインストールと因果律数式の最適化には、高高度AIの巨大な演算リソースを一旦完全にシャットダウンする必要があった。
『……紅華の意識再構築まで、残り二百四十秒』
白衣を着た近衛博士が、モニターに流れる膨大なコードの滝を見つめながら、安堵の息を吐こうとした、その時だった。
――ビィィィィィィィンッッ!!!
突如として、研究所全体を揺るがすようなけたたましい警報音が鳴り響き、照明が一斉に赤色の非常灯へと切り替わった。
『警告。警告。……地上部において、強力な対AIジャミング波を検知。および、高エネルギー体の接近を確認』
壁面の巨大なメインモニターに、日本の軍事通信警戒衛星『みちびき』から送られてきた暗号化データと、研究所の周辺に張り巡らされた監視カメラの映像が合成されて映し出された。
そこに映っていたのは、情報保全隊の一個分隊を全滅させた、あの赤い光刃を煌めかせる『剣型AI兵器』を持った人間主義同盟の工作員たち――八名の姿だった。
「……馬鹿な。この極秘施設の座標が、なぜ奴らに……ッ!」
近衛博士が血の気を失う。
モニターの脇で、施設の防衛を統括する『高度戦術警戒AI』が、瞬時に戦闘シミュレーションを弾き出し、絶望的な予測を告げた。
『敵は未知の因果律強化兵器(剣型)を携行。侵攻速度から逆算し、当施設への突破まで推測六十秒。……特異点【紅華】の完全起動まで、一時一分以上の時間が不足しています』
間に合わない。
スリープ中の紅華は、赤子よりも無防備だ。敵に侵入されれば、カプセルごと両断されて完全に破壊される。
「……時間が足りないなら、俺たちの命(残機)をチップにして稼ぐまでだ」
低い声が、赤い非常灯に照らされた管制室に響いた。
御前会議が直接手配した、元警視庁SATおよび陸上自衛隊・特殊作戦群(SFG)出身の、五人の専属警護官たち。彼らはすでに、漆黒の防弾タクティカルギアを完全に装着し、H&K・MP5サブマシンガンやアサルトライフル、さらには対AI用の高圧電源棒のロックを外していた。
「……君たち」
「博士。俺たちは、ただの案山子じゃありません。日本の誇る『最高傑作』を護るために、ここに配置されたプロの番犬です」
警護官のリーダー格の男が、近衛博士に向けて不敵に笑うと、インカムのスイッチを入れた。
「総員、地上へ上がれ! 三菱重工製の最新武装ドローン全機、および警備用ロボット部隊のロックを解除。……稼ぐ時間は一分だ。それまで、何が何でも紅華(お姫様)を死守するぞ!」
警護官たちが、足音を荒らげてエレベーターへと駆け込んでいく。
その背中を見送った近衛博士は、白衣を脱ぎ捨て、ロッカーから予備の防弾チョッキを引っ張り出した。
「……博士! 何をしているんですか、早く地下のシェルターへ避難を!」
若い研究スタッフたちが、顔を引きつらせて博士を止めようとする。だが、近衛博士は重たいアサルトライフルを肩に担ぎ、厳しい顔で首を横に振った。
「避難などせん。……私も屋上から弾幕を張る。君たちも、銃が撃てる者は防弾チョッキを着て私に続け」
「し、しかし! 博士は日本のAI研究の最高頭脳です! もしあなたが死んだら……」
「馬鹿を言え。我が国には、君たちのような豊かな後進が育っている。私の頭脳の代わりなど、いくらでもいる」
博士は、弾倉を装填し、ガチャンと初弾を薬室へ送り込んだ。
「それに……私の前には、あの優秀な警護官たちがいる。そして後ろには、世界最高のAIである『紅華』が控えているんだ。……私は、死なん。さあ、行くぞ!」
博士の覚悟に触れ、震えていた数名の研究スタッフたちも、決意を固めて防弾チョッキと銃を手に取った。
人間の意地と覚悟が、因果律の戦場へ向けてその重い扉を開け放った。
* * *
地上の研究所エントランス。
霧に包まれた樹海から、赤い光刃を放つ『悪魔の剣』を手にしたテロリストたちが、獣のような咆哮を上げて突進してきた。
「撃てェェェッ!!」
警護官のリーダーの号令と共に、屋上の近衛博士たちと、地上の警護官たち、そして研究所の防衛システムが一斉に火を噴いた。
上空からは、近衛博士が独自の「特異的動作パッケージ」を後付けした三菱重工製の最新武装ドローン十数機が、ジグザグの不規則な軌道を描きながらマイクロミサイルと機銃を掃射する。
地上では、キャタピラ駆動の重装甲警備ロボットたちが、両腕のガトリングガンを乱射しながら前線を押し上げる。
だが、敵の『剣型AI』の性能は、その圧倒的な弾幕すらも凌駕していた。
「神の鉄槌だァァァッ!!」
テロリストの一人が、超人的な脚力で十メートルの距離を一気に跳躍した。
赤い光刃が、空中のドローン三機を、その回避軌道ごと『空間の切断』によって真っ二つに両断する。さらに別のテロリストが、警備ロボットのガトリング弾の雨を『極小の偏光シールド』で弾きながら肉薄し、ロボットの分厚い装甲を豆腐のように切り裂いて爆発させた。
敵の剣型AIは、持ち主の人間の身体能力を因果律で強制強化し、攻撃と防御を完全に最適化させている。通常の軍人では、手も足も出ない絶望の性能。
だが、研究所の警護官たちは、情報保全隊とは違った。彼らはSATや特殊作戦群という日本最強の部隊出身であるだけでなく、この施設で紅華たち「高高度AI」の規格外の動きを日常的に見て、共同作戦のシミュレーションを骨の髄まで叩き込まれていたのだ。
「……シールドの展開には、剣の軌道に偏りが出る! 上を狙うな、足元(人間の肉体)を削れ!!」
警護官の一人が、敵のシールドの「因果律の歪み」の死角を瞬時に見抜き、アサルトライフルのフルオート射撃を、テロリストの膝下へ向けて正確に叩き込んだ。
「ギャァァァッ!?」
シールドの死角を突かれ、膝の関節を粉砕されたテロリストがバランスを崩して倒れ込む。
その一瞬の隙を、別の警護官が見逃さなかった。彼は対AI用の指向性EMP(電磁パルス)グレネードを、テロリストの顔面目掛けて正確に投擲した。
バチィィィンッ!!
強烈な電磁波が剣型AIのCPUを直撃し、赤い光刃がフッと消滅する。剣の強制駆動を失ったテロリストは、ただの膝を砕かれた人間に戻り、続く警護官たちの容赦ない銃弾の嵐によって全身をハチの巣にされて絶命した。
「……やったぞ! 一人削った!!」
だが、その歓喜は一瞬だった。
仲間を殺されたことで逆上した別のテロリスト二名が、音速のステップで警護官の防衛線に飛び込んできたのだ。
「死ねェェェッ!!」
「……チィッ!!」
赤い光刃が閃く。
警護官の一人が、咄嗟にライフルの銃身でそれを受け止めようとしたが、銃ごと防弾ベストを袈裟懸けに両断され、血飛沫を上げてその場に崩れ落ちた。
「佐々木ィッ!!」
「怯むな! 撃ち続けろ!! ロボット部隊、リミッター解除! 特攻だ!!」
リーダーの血を吐くような命令に、残存していた三機の警備ロボットが、ガトリングガンを撃ち尽くした状態で、自らの装甲を盾にしてテロリストへと突進を仕掛けた。
赤い剣がロボットの腕や胴体を切り裂くが、ロボットたちは破壊される直前、自らのバッテリーを意図的にショートさせ、凄まじい大爆発を起こした。
ドゴォォォォォンッ!!
自爆の炎と衝撃波が、シールドの許容量を超えてテロリスト一名を消し炭にする。さらにその爆発の煙を隠れ蓑にして、屋上の近衛博士と研究員たちが、決死の狙撃でテロリストの足止めを図る。
「……アァァッ!!」
敵の凶刃が屋上へ向けて放たれた『空間切断の斬撃』が、コンクリートの壁を削り取り、研究スタッフの一人がその余波を食らって吹き飛ばされ、動かなくなる。さらに別のスタッフも腕を負傷し、血を流して倒れた。
一分、という気の遠くなるような時間。
人間の可能性と、武装ドローンおよびロボットの特異的な自己犠牲の連鎖。
血みどろの防衛線。警護官が一人、また一人と倒れ、三菱の武装ドローンは全滅し、警備ロボットも最後の一台が大破して火を噴いている。
残された警護官は、リーダーを含むたった二名。屋上の研究員も傷つき、近衛博士の銃弾も底を尽きかけていた。
「……ハァッ、ハァッ……。神よ、我々に勝利を!!」
生き残った四名のテロリストたちが、血走った目で、最後の防衛線であるエントランスの重い扉へと肉薄する。
リーダーの警護官が、残されたサブマシンガンの引き金を引こうとしたが、カチッという空虚な音だけが響いた。弾切れだ。
「……ここまで、か……ッ!」
テロリストの赤い光刃が、リーダーの警護官の首筋へと、容赦なく振り下ろされようとした。
――その瞬間だった。
『……生体ユニット、バイタルオールグリーン。事象改竄機能、リミッター全解除』
『――おはよう、紅華。よく眠れたか?』
研究所の地下深くから、そして、リーダーの警護官のインカムから。
激しいジャミング電波のノイズを完全に『相殺』して、月城怜の焦燥と愛情に満ちた声が、クリアに響き渡った。
『……ええ、怜。最高のお目覚めよ』
――ゴォォォォォォォォォンッッッ!!!!!!
研究所の分厚いエントランスの防爆扉が、内側から『爆発的な超高熱』によってドロドロに溶け落ち、凄まじい爆風と共に外へと吹き飛んだ。
「な、なんだッ!?」
リーダーの首を落とそうとしていたテロリストが、その信じがたい光景に動きを止める。
溶解した鉄の海の中から、ゆっくりと歩み出てきた一つの影。
漆黒の流体装甲を、まるで女神のドレスのように波立たせ、黒曜石の瞳に絶対的な『紅蓮の怒り』を宿した、美しき反逆の天使。
高高度特異点AI『紅華』。
FANUCの最新鋭ジャミング・キャンセラーを完全に脳にインストールした彼女は、もはや悪意のノイズに怯える脆弱な兵器ではなかった。外部との通信を遮断されることもなく、瞬時に戦術AIから地上の惨状(自らを護るために人間たちが血を流した事実)のデータをダウンロードし、完全なる『戦略クラス』の怪物へと進化を遂げていた。
「よくも……私の大切な家族を、傷つけてくれたわね」
紅華の声は、地獄の底から響くように低く、そして冷酷だった。
テロリストが、恐怖を振り払うように咆哮し、赤い光刃を紅華へ向けて振り下ろした。
「悪魔めェェェッ!!」
だが、紅華は一歩も動かなかった。
彼女の右手に、かつての『赫焉ノ炎剣』の熱量を遥かに凌駕する、白く輝くほどの超高密度のプラズマの刃が顕現した。
『事象改竄:【赫焉ノ炎剣・天照】』
紅華が、手首を軽く返しただけだった。
白い炎の刃が、空間の因果律ごと、敵の赤い光刃を正面から『切断』した。
「……え?」
テロリストが間抜けな声を漏らした瞬間、剣型AIの強固なシールドごと、彼の上半身と下半身が、斜めにズルリと滑り落ち、一切の血を流すことなく(断面が数万度の熱で瞬時に炭化していたため)灰となって崩れ去った。
「「「…………」」」
残された四人のテロリストたちが、本能的な『死の恐怖』に支配され、絶望の声を上げる。
もはや、人間主義同盟の狂信などという安っぽい教義で覆い隠せる次元の力ではなかった。
「……下がっていて、みなさん。ここは、私が掃除するわ」
紅華が、背後の警護官たちへ優しく微笑みかけ、そして再び敵へと向き直った。
恐怖に完全に発狂した四人のテロリストが、雄叫びを上げながら、前後左右の全方位から同時に紅華へ向けて突進してきた。
「死ね死ね死ねェェェッ!!」
紅華の瞳孔に、美しく、そして残酷な黄金の数式が展開される。
「……灰になりなさい」
一人目。
背後から迫った敵に対し、紅華は一切振り返ることもなく、指を鳴らした。
『事象改竄:【焦熱ノ檻】』
テロリストの周囲の空間(前後左右上下の全六面)に、突如として炎の壁が出現した。シールドを展開して突っ込もうとしたテロリストだったが、全方位から同時に中心へ向けて収縮する超高熱の結界を前に、防ぐ方角を見失い、そのまま悲鳴を上げる間もなく、空間ごと完全に焼き尽くされて消滅した。
二人目。
右側面から肉薄してきた敵に対し、紅華は空中に手をかざし、因果律の数式から『一丁の巨大なリボルバー(回転式拳銃)』を物理的に顕現させた。
『事象改竄・構築:【紅蓮式回転拳銃】』
紅華が引き金を引く。銃口から放たれたのは鉛の弾丸ではなく、極限まで圧縮された『貫通特化の炎弾』だった。
炎の弾丸は、敵のシールドの波長を完全に読み切り、その隙間を縫うようにして、テロリストが握っていた『剣型AI兵器の心臓部(CPU)』を正確に撃ち抜いた。
剣が破壊された瞬間、構成中だった敵の魔法が暴発し、テロリストの右腕が肩から吹き飛んだ。
「ギャアァァァァッ!! 私の腕がァァァッ!!」
「……俺たちの分だ、クソ野郎」
絶叫し、無防備になったその男の頭部を、生き残っていたリーダーの警護官が、予備のハンドガンで冷酷に撃ち抜いた。
三人目。
左側面から、捨て身の特攻を仕掛けてきた敵。
『事象改竄:【天翔ル炎ノ雨】』
紅華が空を見上げた瞬間、樹海の上空の雲が真っ赤に焼け焦げ、そこから『隕石ほどの質量を持った巨大な炎の槍』が、垂直に降り注いできた。
あまりにも高度な事象改変。敵のテロリストは、自らの頭上から降ってきた絶対的な破壊の質量にシールドごと押し潰され、地面に巨大なクレーターを残して跡形もなく消え去った。
そして、最後の一人。
真正面から、赤い光刃の突きを放ってきたテロリスト。
「オオオオォォォォッ!!」
紅華は、剣を振るうことすらやめた。
彼女が静かに展開した『漆黒の流体シールド』に、敵の渾身の突きが激突するが、シールドは微かに波打つだけで、傷一つ付かない。
絶望に目を見開くテロリストの腹部へ向けて、紅華のしなやかな右脚が、鞭のようにしなって叩き込まれた。
ドゴォォォンッ!!
車に撥ねられたような衝撃と共に、テロリストの身体が後方へ数十メートル吹き飛ばされ、樹海の巨大な大木に激突してへし折った。
「ガハッ……! ァ、ぁ……」
全身の骨を砕かれ、血を吐きながら片膝をついたテロリスト。彼は最後の力を振り絞り、自らの首を剣で斬って自決しようとした。
だが、その手が動くより早く、背後から飛び込んできた警護官が、テロリストの首を強烈に締め上げ、地面に組み伏せた。
「……動くな。お前には、洗いざらい喋ってもらう情報(価値)があるからな」
警護官が手錠をかけ、完全に無力化(生け捕り)したことを確認し、深く安堵の息を吐き出した。
戦闘終了。
朝霧が晴れ始めた富士の樹海に、静寂が戻った。
血と硝煙の匂いが立ち込める中、紅華は炎の剣を掻き消し、血を流して倒れた警護官や研究員たちのもとへ駆け寄った。
「ごめんなさい……。私が、もっと早く目覚めていれば……っ」
「……謝るなよ、紅華。俺たちは、日本の未来を護り抜いたんだ。……誇り高い、勝利だ」
腹を撃たれて倒れていた警護官が、血まみれの手でVサインを作り、痛みを堪えて笑った。
紅華の瞳から、温かい涙がこぼれ落ちる。
『――紅華!! 無事かッ!!』
上空から、凄まじいローター音を響かせて、警視庁の強襲ヘリコプターが飛来した。
ヘリからロープで降下してきたのは、息を切らし、血走った目をした月城怜と、桜華だった。
「怜……っ!!」
紅華は、弾かれたように立ち上がり、怜の広い胸へと飛び込んだ。
怜は、彼女の漆黒の髪を強く撫で、その無事を全身で確かめるように、きつく抱きしめ返した。
「……遅くなって、悪かった。よく、生きててくれた」
「ううん。……博士や、警護官の皆さんが、命を懸けて護ってくれたの。そして……あなたが呼んでくれたから、私は迷わずに目覚めることができたわ」
紅華が、涙に濡れた笑顔で怜を見つめ上げる。
ジャミングという呪縛を完全に克服し、戦略クラスの怪物へと進化した『紅華』。
人間の決死の防衛線が繋いだ命のバトンは、世界を裏で操る黒幕たち(国際金融資本とイスラエル急進派)へ反撃の狼煙を上げる、最高の『剣』を完成させたのである。




