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『因果律のハッカー ~Project HONGHUA~』第19話



 -凍てつく同盟と、樹海へ迫る凶刃-

 二〇六〇年。

 世界中で勃発していた「AIエンジニアの不審死」と「高高度AI研究所の襲撃」という一連の暗殺・破壊工作に対し、各国の情報機関はついにその『見えない敵』の尻尾を明確に踏み躙り始めていた。

 発端は、大英帝国と日本が主導して構築した「高高度AI保護および対ジャミング情報共有ネットワーク」の稼働である。

 これにより、国際金融資本の意を受けて動いていたモサド(イスラエル諜報特務庁)の急進派暗殺ユニットたちは、劇的に活動空間を狭められていた。先週、ドイツのベルリンで次なる標的を狙っていたモサドの暗殺官が、待ち伏せていたGSG―9(ドイツ連邦警察局特殊部隊)によって射殺された。さらに、ロシアのモスクワ潜伏中だった別の工作班は、FSB(ロシア連邦保安庁)の強襲部隊によって完全に捕縛され、現在ルビャンカの地下で苛烈な尋問を受けている。

 モサド急進派と国際金融資本の焦りは、頂点に達していた。

 特に彼らの喉元に深々と刃を突き立てようとしていたのが、自国の高高度AI『ヴィスナー』を破壊され、多大な血を流したロシア連邦であった。

     * * *

 極寒のシベリア、中国国境に近いタイガ(針葉樹林)の奥深く。

 FSBの老練な捜査官ドミトリー・モロゾフは、防寒着の襟を立て、吐き出す白い息と共に、自身の祖国の現状に苦い思いを馳せていた。

 かつて世界を二分した超大国ロシアは、今や緩やかな、しかし確実な衰退の泥沼に沈んでいた。

 二〇二〇年代から三十年にわたって続いたウクライナ紛争の爪痕は、経済制裁の長期化と致命的な人口減少(特に若年層の流出と戦死)という形で、国家の体力を根底から奪い去った。二〇三〇年代に強権的なリーダーが世を去って以降、ロシア政府にはかつてのような絶対的な求心力はなく、経済は慢性的な停滞を続けている。

 さらに彼らの神経を最も尖らせているのが、隣国・中国の動向だった。武力侵攻こそないものの、圧倒的な経済力と量産型AI『饕餮トウテツ』の群れを背景にした「シベリアへの静かな侵食(資源買収と人口流入)」は、もはや止めようのない段階に来ている。

 米国、中国、日英、さらにはインドやドイツにすら、新しい戦争の要である「軍用AI技術」で後れを取っていたロシア。彼らにとって、開発大詰めだった『ヴィスナー』の破壊と有能なエンジニアたちの暗殺は、国家の軍事プレゼンスを完全に崩壊させかねない致命傷だったのだ。

 だからこそ、彼らはプライドを捨て、西側陣営――大英帝国からの『救いの手』を握った。

「……標的ターゲットの偽装拠点を完全に包囲しました。ドミトリー捜査官」

 雪原に伏せるスペツナズ(特殊部隊)の隊長が、無線で静かに報告する。

「よし。……行くぞ、『アナスタシア』。お前の姉妹シャーロットたちを傷つけ、我が国の未来を奪った鼠どもに、永久の冬を教えてやれ」

「ダー(了解しました)、モロゾフ同志」

 ドミトリーの傍らに立つ、純白の軍服に身を包んだ女性型AIが、透き通るような青い瞳を輝かせた。

 彼女の名は『アナスタシア』。英国から極秘裏に調達(供与)された、シャーロットの同型機にあたる軍用人型高高度AIである。

 本土で大規模テロを起こされ、女王を傷つけられた英国政府と王室の怒りは、まさに『地の果てまでも敵を殺し尽くす』という激烈なものだった。英国は、ロシアの国内情勢の苦境につけ込む形で協調ルートを築き、復讐の代行者としてアナスタシアをシベリアへ送り込んだのだ。

 雪原の奥に建つ、放棄された軍事施設。

 そこに潜伏していたのは、ヴィスナー破壊の実行犯たちと、彼らを裏で手引きしていた華僑系の非合法武装組織だった。

「……殲滅開始ナチャーチ

 アナスタシアが、白雪を巻き上げて前衛へと躍り出た。

 敵拠点から、彼女をスクラップにすべく重機関銃の猛烈な弾幕が放たれる。だが、アナスタシアは優雅に両手を広げ、周囲の極寒の『空気』の因果律を強制的に書き換えた。

『事象改竄:【絶対零度の氷城クリスタル・パレス】』

 彼女の前に、空気中の水分が瞬時に絶対零度で凍結し、ダイヤモンドよりも硬い分厚い氷の城壁が立ち上がった。徹甲弾の雨が氷の壁に弾き返され、火花だけが虚しく散る。

「……な、なんだあの化け物は! ジャミングを起動しろ!!」

 華僑の傭兵たちが小型ジャミングを起動しようとするが、そのスイッチを押すよりも早く、アナスタシアの瞳に冷酷な数式が展開された。

『事象改竄・派生:【永久凍土の葬列シベリアン・レクイエム】』

 アナスタシアが指先を振るうと、氷の城壁から無数の『氷の槍』が分離し、吹雪に乗って敵の拠点へと降り注いだ。

 重力と空気抵抗を無視した絶対零度の槍は、コンクリートの壁を軽々と貫通し、ジャミング装置ごと傭兵たちの身体を串刺しにして、その血液を一瞬で凍結させた。

 悲鳴すら凍りつく、圧倒的な氷の蹂躙。

 その後を追うようにスペツナズが突入し、わずか数分で偽装拠点は完全に制圧された。

「……敵の殲滅を確認しました。しかし……」

 制圧された施設内を歩いていたドミトリーは、残された通信機器のログを解析し、忌々しげに舌打ちをした。

「……クソッ。一杯食わされた」

「どういうことですか、モロゾフ同志」

「ここにいたのは、華僑に雇われた『捨て駒(トカゲの尻尾)』に過ぎん。……エルサレムからの実行部隊の『主力』は、すでに陸路で中央アジアを抜け、インド方面へと移動している」

 ドミトリーは、凍りついた傭兵の死体を蹴り飛ばした。

 完全に陽動だった。メンツを潰された英国と、怒りに燃えるロシアの目を極東シベリアに引き付け、その間に真の主力部隊を安全な場所へと逃がすための時間稼ぎ。

「……奴ら、ただ逃げたわけじゃない。我々の目を逸らさせた『本当の狙い』が、他にあるはずだ」

 老練なFSB捜査官の胸に、かつてないほどの嫌な予感が渦巻いていた。

     * * *

 その頃。

 日本の首都・東京。霞が関の官庁街。

 国際金融資本の意を受けた、日本政財界に深く根を張る「影の資本家」の一人が、とある日本政府高官(法務省の幹部)と高級料亭の密室で接触していた。

 莫大なオフショア口座への送金と、次期選挙での絶対的な支援。その引き換えとして渡されたのは、法務省・公安調査庁が保有する「国家機密データベースへのバックドア(裏口)」のアクセス権限だった。

 エルサレムの指示を受けた『ニューロ・ジェネシス社』の凄腕サイバー工作員たちは、このバックドアを利用し、公安調査庁のネットワークへ音もなく侵入。そこを踏み台にして、本命である『防衛省の統合ネットワーク』へと極秘裏にハッキングを仕掛けた。

 彼らが探し求めていたのは、たった一つの位置情報。

 ――対ジャミング拡張オプションを開発した『FANUCファナックの秘密研究所』の正確な座標と、そこにいる特異点たちの現在の配置状況だった。

『――ビンゴだ。研究所の座標は、富士の樹海の地下施設。……現在、特異点【紅華】が、オプション実装のための最終調整で機能停止スリープ状態にある』

 ジェネシスの工作員からの報告を受け、日本国内に潜伏していた『人間主義同盟』の残党たちが、最後の狂信の炎を燃やし始めた。

 彼らは、金融資本から新たに供与された「未知の火器」をトラックに積み込み、深夜の闇に紛れて富士の樹海へと向けて進軍を開始したのである。

     * * *

 事態の異常に最も早く気づいたのは、防衛省のネットワークを監視していた『情報保全隊』のサイバー班だった。

 不自然なアクセスログの痕跡から、樹海のFANUC研究所が狙われていることを察知。通信妨害(ジャミングの予兆)によって本隊への連絡が遅れる中、彼らは急遽、現地付近で警戒にあたっていた情報保全隊の一個分隊(十名)を、敵の迎撃に向かわせた。

 富士の樹海、国道から外れた未舗装の林道。

 深い霧が立ち込める中、保全隊の車両が敵のトラックを捕捉し、アサルトライフルを構えて降車した。

「止まれ! 武器を捨てて投降しろッ!」

 保全隊の分隊長が警告する。

 だが、トラックから降りてきた数名の人間主義同盟の構成員たちは、一切の恐怖を見せず、逆に薄気味悪い笑みを浮かべていた。

 彼らの手には、銃火器ではない『奇妙な形状の長剣』が握られていた。

「……なんだ、アレは。剣……?」

 分隊長が訝しんだ、次の瞬間だった。

 構成員がその長剣の柄にあるスイッチを押し込んだ途端、剣の刀身が不気味な赤い光を放ち、ブゥン……という低い因果律の共鳴音を響かせた。

 ――『剣型AI兵器』。

 それは、機動力や重火器を搭載した従来のロボットとは全く異なるアプローチで作られた、テロリストのための暗殺兵器だった。他国内への密輸を容易にするため「武器の形状」に偽装しつつ、内部に高度な因果律演算チップを内蔵。持ち主の身体能力を因果律で強制的に引き上げ(強化外骨格の魔法版)、さらに刀身から『空間を切断する高熱の刃』を放つことができる悪魔の剣。

「……聖なる鉄槌を、機械の奴隷どもに」

 構成員の一人が、常人にはあり得ないほどの跳躍力で、一気に十メートル以上の距離を詰めてきた。

 その速さは、完全に人間の反応速度を超えていた。

「撃てェッ!!」

 保全隊が一斉射撃を行うが、剣型AIが持ち主の周囲に展開した『極小の偏光シールド』によって弾丸が逸らされる。

 そのまま構成員が赤い光刃を横薙ぎに一閃した。

 ――ズバァンッ!!

「ガ、ァァァァァッ!?」

 凄まじい熱量と空間切断の因果律が、保全隊員三人の防弾ベストと肉体を、周囲の樹木ごと一瞬にして両断した。

 血飛沫が霧を赤く染める。

「ば、馬鹿なッ! ただの人間が、特異点みたいな魔法を使いやがったぞ!?」

「散開しろ! 距離を取って集中砲火だ!!」

 残された保全隊員たちが必死に応戦するが、剣型AIに肉体を強制駆動オーバーライドされた狂信者たちの動きは、あまりにも変則的で凶悪だった。

 彼らは銃弾を躱し、あるいはシールドで弾きながら、獣のように樹海を駆け回り、死角から次々と凶刃を振り下ろしていく。

「本部、応答しろ! 敵は未知の因果律兵器を……アァァァッ!!」

 通信機を握りしめていた分隊長の首が、赤い光刃によって胴体から切り離され、宙を舞った。

 わずか五分。

 防衛省が誇る情報保全隊の一個分隊(十名)は、この未知の『剣型AI兵器』の前に、誰一人として本部へ詳細な情報を伝えることもできず、全滅してしまった。

 情報伝達の遅延。

 それは、樹海の地下深くで眠る『紅華』にとって、最悪の死刑宣告を意味していた。

     * * *

 同じ頃。

 猟犬たちの戦力は、見事なまでに分散させられていた。

 アイリスは、千葉県の習志野駐屯地。

 SFG(特殊作戦群)の真田隊長たちと共に、さらなる対AI戦術の連携精度を高めるための過酷な夜間訓練の真っ最中だった。

「……コマンダー(怜)がいないと、少し演算が寂しいですね」

「文句を言うな、アイリス。月城がいなくても、俺たちが確実にお前の死角をカバーしてやる」

「……はい。頼りにしています、真田隊長」

 汗を流しながら、充実した訓練をこなすアイリスとSFGの精鋭たち。彼らはまだ、富士で起きている惨劇を欠片も知らなかった。

 そして。

 月城怜と桜華は、霞が関の警視庁本庁舎・特務会議室にいた。

「……法務省の公安調査庁のサーバーに、何者かが侵入した痕跡があるだと?」

 公安課長の時田が、相馬からの報告を受けて眉間を険しくした。

 怜は腕を組みながら、モニターに映し出された不自然なアクセスログの経路を睨みつけていた。

「……時田課長。これ、ただのデータ泥棒じゃない。公安調査庁を踏み台にして、防衛省の『特秘回線』にアクセスしようとしてる。……防衛省の特秘で、今一番狙われる価値がある情報って言ったら……」

 怜の背筋に、氷のような悪寒が走った。

 桜華もハッとして、顔面を蒼白にさせた。

「……FANUCの研究所……! お姉ちゃんが、一人で調整に入っている、樹海の地下施設……ッ!!」

「チィッ!! 相馬、情報保全隊に至急連絡を取れ! 樹海の周辺を警戒させていたはずだ!」

 時田が怒号を飛ばす。だが、相馬は震える声で絶望的な報告を返した。

「だ、駄目です! 十五分前から、現地周辺の一個分隊との通信が完全に途絶しています! 妨害電波ジャミングの兆候あり……ッ!」

「……クソったれがッ!! 完全に裏をかかれた!!」

 怜が、会議室のデスクを蹴り飛ばした。

 FANUCの研究所は、極秘施設ゆえに場所を知る者はごくわずかであり、大規模な警備部隊を配置すれば逆に目立ってしまうという理由から、最低限の物理セキュリティしか敷かれていなかった。

 そして何より、対ジャミング拡張オプションの『コアへの直接インストール』を行っている最中の紅華は、完全に意識をシャットダウンしており、魔法はおろか、指一本動かすことすらできない無防備な状態なのだ。

「……桜華、行くぞ! 習志野のアイリスと真田にも緊急出動をかけろ! ヘリを寄越せ、一番速い奴だ!!」

「は、はいッ!!」

 怜は、SIG・P226の弾倉を確認する暇すら惜しみ、血走った目で特務会議室を飛び出した。

 急げ。一秒でも早く。

 愛する女が眠る、死の樹海へ。

 しかし、残酷な時間は刻一刻と過ぎていく。

 深い霧に包まれた富士の樹海。FANUCの秘密研究所の重厚なエントランスゲートの前に、赤い光刃を煌めかせる『剣型AI』を手にした狂信者たちが、ついにその悪魔の足音を響かせていた。


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