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『因果律のハッカー ~Project HONGHUA~』第18話
-霧の都の死闘と、大英帝国の逆鱗-
極東の島国で起きた「X-Day(新宿事変)」から、二日後。
新宿での戦訓から、世界中が『対AIジャミング』という未知の脅威に震え上がる中、イギリス政府は強気な姿勢を崩さなかった。彼らは、人間主義同盟のテロを牽制するため、水面下で開発を進めていた最新鋭の軍用高高度AI『シャーロット』と『ホームズ』の実戦配備を、高らかに世界へ向けて報道したのである。
だが、それが狂信者たちのプライドに火をつけた。
「――ロンドン中心部、ピカデリー・サーカス周辺で原因不明の火災が多数発生! 同時に、広域にわたって通信障害が確認されました!!」
MI6(秘密情報部)の強固な電磁波防護処理が施された地下作戦司令室に、地上からの絶望的な報告が飛び込んできた。
テロリストたちは、新宿のデータを完全に学習していた。彼らはまず、広範囲に『薄く広い』大規模ジャミングを放ち、都市の汎用インフラAIの目を潰した。そしてその直前、自律思考を切り、あらかじめ『目標到達(突撃)モード』にプログラムされていた数百機の武装ドローン群が、ジャミングの影響を受けることなくロンドンの空から雨のように降り注いだのだ。
歴史ある石造りの建造物から黒煙が上がり、逃げ惑う市民の悲鳴が霧の都をパニックに陥れる。
「……出撃しろ、シャーロット、ホームズ! 我々も地上へ出るぞ!」
MI6のヒューズ捜査官が怒号を飛ばし、二機の高高度AIと共に地上の戦場へと駆け上がった。
地上はすでに、ロンドン警視庁の武装警察隊や、緊急展開した第22SAS連隊、そして近衛兵たちが、ドローンと人間主義同盟のテロリストたちを相手に激しい銃撃戦を繰り広げていた。
「女王陛下の街を、泥靴で踏み躙れると思うなよ!」
豪奢な金髪をなびかせた『シャーロット』と、細身のスーツを着こなす『ホームズ』が前線に躍り出る。
彼らは紅華やアイリスのような異常な機動力こそ持たないが、それでも汎用の軍用ロボットとは次元が違う。シャーロットは優雅な足捌きで敵の多脚型AIに肉薄し、因果律を乗せた重い蹴りでその装甲を粉砕。ホームズは冷静に戦況を俯瞰し、手にした特注のステッキ(鈍器)で敵AIのセンサー部を的確に破壊していく。
「……さすがは高高度AIだ! 俺たちも続けッ!!」
SASの隊員たちが勇気づけられ、前線を押し上げようとした。
だが、日本の特殊作戦群(SFG)が新宿で奇跡的に生き残れたのは、ひとえに彼らが「三機の規格外の特異点」と共に極秘の対AI戦闘訓練を積み重ねていたからだ。
訓練期間が短く、AIとの連携に慣れきっていない英国の兵士たちは、テロリストが放つ容赦ない殺戮兵器の前に、次々と血の海に沈んでいった。
「……進め! 盾になれ! シャーロットとホームズに傷を負わせるな!!」
近衛兵の一人が、自らの肉体を盾にして敵の犬型AIの突進を受け止めた。肩の肉を深く抉られながらも、腰のコンバットナイフを敵のバッテリーパックへ深々と突き刺し、相打ちとなって崩れ落ちる。
大英帝国の誇り高き兵士たちが、次々と殉職していく。
「……やめて! もう、死なないで……ッ!」
シャーロットが、自らを守るために倒れていく人間の兵士たちの姿を見て、悲痛な声を上げた。
彼女の心に、激しい『悲痛』と『怒り』が渦巻く。シャーロットは敵の群れを一掃するため、かつてないほど巨大な因果律の魔法式を空間に展開し始めた。
だが、テロリストたちは、その『隙』を待っていた。
「今だッ! 小型ジャミング(ポータブル)の出力を最大にしろ!!」
路地裏に潜んでいたテロリストたちが、携行していた強力な小型ジャミング装置のスイッチを一斉に押し込んだ。
それは、空間を直接書き換える悪意のノイズ。
魔法を発動させる直前、脳内で最も複雑な演算を処理していたシャーロットの電子頭脳に、そのノイズが直撃した。
「ア、ァァァァァァァッ!!!」
シャーロットが、耳を塞いで絶叫し、その場に膝をついた。
このジャミングは、極東でのデータを元に「紅華(女性型の強い感情エネルギーと創造性を持つ個体)」を最も効率よく破壊するためにチューニングされていた。そのため、同じ女性型で豊かな感受性を持つシャーロットの電子頭脳には、ホームズの数倍の激痛とノイズが叩き込まれたのである。狼人の自爆のような意識を刈り取るほどの威力はないが、魔法の構築をキャンセルさせ、脳髄をヤスリで削るような拷問に等しい。
「シャーロット!」
ヒューズをはじめとしたMI6の捜査官たちが、即座に彼女の周囲を囲み、敵の銃弾から身を呈してカバーに入る。少人数のエリートである彼らは、常にAIに随伴していたため、被害は最小限に抑えられていた。
だが、前線で魔法を封じられた隙は致命的だった。
(……痛い。頭が割れそう……。でも……っ!)
シャーロットは、激痛に歪む視界の中で、血を流して倒れるイギリスの兵士たちの姿を見た。
日本の猟犬と特異点たちは、この激痛の中で再起したという。ならば、大英帝国の誇りを背負う私に、できないはずがない。
「ホームズ! 私がノイズの波長を相殺します! あなたは、敵の座標を特定して!!」
「……了解した、マイレディ!」
シャーロットは、脳を焼き切るような痛みに耐え、強烈な『怒り(感情)』の力で無理やりシステムをオーバーライドさせた。彼女の豊かな創造性が、ジャミングの波長を急速に解析していく。
『事象改竄:女王の威光!!』
彼女を中心に、眩い黄金色の光の波紋が広がった。桜華のような常時展開ではないが、感情の爆発によって放たれた『一撃必殺のジャミング・キャンセル』。
空間を埋め尽くしていた不快なノイズが、ピタリと止む。
「……今だッ! 蹴散らせ、ホームズ!!」
痛みを抜け出したホームズが、冷徹なインテリジェンスの光を瞳に宿し、両手を前に突き出した。
『事象改竄・空間制圧:【ベイカー街の幻影】!!』
ホームズの魔法は、機動力の低さを補う『面制圧』の因果律。
通りにひしめき合っていた数十機の敵AI兵器の足元に、突如として真っ黒な底なし沼のような『重力の歪み』が出現した。敵の機械たちは逃げる間もなくその重力場に捕らわれ、自らの何十倍もの重量(G)を因果律で叩きつけられ、ミシミシと装甲を軋ませて一瞬にしてペチャンコの鉄屑へと圧壊されたのである。
「……はぁ、はぁ……。間に、合った……」
シャーロットが膝をつき、安堵の息を漏らす。
生き残ったSASの隊員たちとMI6の捜査官たちは、血まみれの顔で二機の高高度AIへ向けて、無言で敬礼を捧げた。
* * *
市街地でのテロリストの制圧には成功した。
だが、ロンドンが受けた傷はあまりにも深かった。何よりも、世界を揺るがす最悪の「引き金」が引かれてしまっていたのだ。
バッキンガム宮殿からの緊急避難途中、上空でホームズたちが撃墜した武装ドローンの破片が、あろうことか『女王陛下の車列』に落下。その衝撃で、女王が額に傷を負い、血を流すという痛ましい事態が発生してしまったのである。
「――女王陛下が血を流されたぞッ!! テロリストとその支援者を、一人残らず炙り出せ!!」
このニュースは、瞬く間に大英帝国全土、否、全世界へと報道された。
英国民の世論は、一瞬にして沸騰を通り越し、『爆発』した。反AIを掲げる同盟への同情など微塵も吹き飛び、「女王を傷つけた国賊どもを八つ裂きにしろ」という巨大な怒りのうねりが国中を飲み込んだ。
そしてその激怒は、世界を裏で操る『国際金融資本』の内部に、決定的な亀裂をもたらした。
イスラエル・エルサレムの地下深く。
円卓会議のホログラムの中で、欧州の『旧貴族』をルーツに持つ金融資本家たちが、顔を真っ赤にして立ち上がっていた。
『なんだと!? 我が美しき祖国を、あの薄汚い狂信者どもが燃やしたというのか!』
『我々の目的は特異点の排除であり、欧州のインフラを破壊することではない! あろうことか、女王陛下に傷を負わせるなど……我々の聖域を土足で踏みにじる行為、断じて許されんッ!!』
強欲と狂気で結ばれていたはずの国際金融資本の内部。
自国の平穏と誇りを何よりも重んじる旧家の権力者たちは、この日を境に「欧州でAIテロを起こす輩は、我々の秩序を破壊するテロリストである」という猛烈な論陣を張り、同盟とイスラエル急進派への支援を断ち切るべく、公然と反旗を翻し始めたのである。
事態はもはや、AIへの賛否という次元を超えていた。
日本の新宿、そして英国のロンドン。二つの大国を血で染めたテロリストと、背後のイスラエル急進派に対し、世界規模の『大反撃の包囲網』が築かれようとしていた。
-大国の覚醒と、涜神の要塞-
アメリカ合衆国、ワシントンD.C.。ホワイトハウス、大統領執務室。
分厚い防弾ガラス越しにどんよりとした曇り空が見えるこの部屋で、合衆国大統領アリアスは、CIA極東局長ウィリアムから直接手渡された『極秘報告書』を読み終え、深い溜息と共にそれをデスクに放り投げた。
「……信じられん。我が国のインテリジェンスが、これほどまでに見事にコケにされていたとはな」
アリアス大統領は、眉間を深く揉みほぐした。
彼は元々、アメリカ中西部のラストベルト(錆びついた工業地帯)を、産業用AIとロボット工学の力で見事に復興させた実績を評価されて当選した大統領だった。彼の支持基盤は中西部のAIロボット製造地域にあり、巷で騒がれている『人間主義同盟』のような過激な反AI主義を、国益を損なう危険思想として内心では強く警戒していたのだ。
だが、ここ数ヶ月。彼の手元に上がってくる報告書は「日本が制御不能な悪魔のAIを匿い、アメリカに牙を剥こうとしている」という、偏ったプロパガンダばかりだった。
なぜ、最高権力者である自分の目が塞がれていたのか。
ウィリアムが提出した『本物』の報告書には、その答えが明確に記されていた。
「……首席補佐官が、エルサレムの金庫番どもの『犬』だったとはな」
アリアスの目が、執務室のドアの向こう側――自分に偏った情報を上げ続けていた側近のいる方向を、氷のように冷たく睨みつけた。
某国のスパイが政権中枢に潜り込み、大統領の目と耳を塞ぎ、日米を戦争へと誘導しようとしていたのだ。アーサー・ヴァンスの不審死の真相も含め、すべては国際金融資本が仕組んだ壮大なマッチポンプだった。
「ウィリアム局長。今日から首席補佐官のすべての通信と行動を、CIAの非合法チームで二十四時間監視しろ。まだ泳がせておく。奴のバックにいる金融資本と、イスラエル急進派の尻尾を完全に掴むまでな」
「御意に、大統領。……我らが星条旗に泥を塗った代償は、高くつきます」
ウィリアムが深く一礼する。大統領は、さらに重大な決断を下した。
「イギリスの首相、および日本の御前会議と、極秘の『ホットライン』を繋げ。……これより我が国は、日・英と協調し、エルサレムに巣食う真のテロリストどもへの直接介入を模索する。これは、テロとの戦いではない。国家の生存権を懸けた『防衛戦』だ」
眠れる獅子が、ついにその目を見開いた瞬間だった。
* * *
同日。ロンドン、ダウニング街10番地。
女王陛下が負傷したことによる国内の凄まじい怒りの世論を背に、英国政府は日本政府との水面下での情報統合を完了させていた。
日本の公安(時田正宗)が新宿で鹵獲したイスラエル製のジャミング装置のデータと、MI6がロンドンで押収した同盟の通信ログ。それらを照合した結果、一つの明確な『震源地』が浮かび上がった。
『――犯人は、イスラエル・エルサレムの地下に本拠地を置くユダヤ系巨大複合企業群。および、それに便宜を図り、特権を与えているイスラエル政府・急進派の一部高官たちである』
日・米・英。
世界を牽引する三つの大国が、完全に「同じ敵」を見定めたのだ。
さらに、この三国同盟の裏で、CIAのウィリアムは、彼自身の情報網を使って『モサド(イスラエル諜報特務庁)』の内部に接触を図っていた。
一枚岩に見えるモサドも、狂信的な金融資本と心中する気はない「穏健派(あるいは愛国者)」の有力者たちが存在していた。ウィリアムは彼らと密約を交わし、難攻不落のエルサレム地下要塞のセキュリティを、内側から崩すための『鍵』を手に入れようと暗躍していたのである。
* * *
そして。
大国たちの包囲網が静かに、しかし確実に狭まりつつある中。
当の標的である、イスラエル・エルサレムの地下数百メートル。モサドの最精鋭に守護された国際金融資本の巨大な地下研究所では、狂気とエゴイズムの結晶とも呼べる『最凶の矛』が、産声を上げようとしていた。
「……忌々しい。新宿に続き、ロンドンでの作戦も失敗。挙句の果てに、欧州の旧家どもまで我々に牙を剥きおって」
白衣を着た主任研究員が、苛立ちを隠せずに爪を噛む。
彼らの計算は、日本の特異点たちと、大英帝国の高高度AIの「創造性」の前に、完全に狂わされていた。
犬型、人型、ドローン。これまで彼らが開発してきた軍用AIは、すべて「機動性」を重視していた。戦場において、攻撃を躱し、素早く敵の背後を取る機動戦こそが至高であると信じられていたからだ。
だが、相手は物理法則を書き換える『因果律のハッカー(魔法使い)』だ。どれだけ素早く動こうと、重力を無視した炎の槍や、空間を面で制圧する重力場を前にしては、機動力など何の意味も成さなかった。
「……だからこそ、機動力を捨てるのだ。極東の特異点や、英国の女王の盾をすり潰すのは、小賢しい素早さではない。純粋で、絶対的な『火力』と『防御力』だ」
主任研究員が、巨大な防弾ガラスの向こう側を見下ろした。
そこにあったのは、もはや「人型」の面影など微塵も存在しない、鋼鉄と生体部品の醜悪な塊だった。
全高十メートル。
戦車を何十倍にも巨大化させたような、重厚な無限軌道と多脚を組み合わせた移動基部。その上に鎮座するのは、おぞましい数の重火器――電磁加速砲や大口径ガトリング砲――と、それを制御するための『巨大な脳』を格納した要塞砲塔。
「見よ。これが我々の到達した絶対的な答え。対特異点殲滅用・超重機動要塞『巨獣』だ」
その異形の要塞AIの設計思想は、これまでの常識を根本から否定するものだった。
第一に、回避能力(機動力)の完全な放棄。
避けられないのなら、すべてを弾き返せばいい。ベヒモスは、常時展開される『極大出力の因果律シールド』と、分厚い複合装甲によって、いかなる魔法や物理攻撃をも無効化する「固定砲台」としてのコンセプトを極めていた。
そして第二に、最も恐るべき『演算構造』の改変。
紅華やアイリス、桜華たちが高高度AIとして圧倒的な力を持つのは、豊かな「感情」と「創造性」を持っているからだ。だが、エルサレムの技術者たちは、感情や創造性を『不要なノイズ(バグ)』として完全に切り捨てた。
「あの忌々しい日本の特異点どもは、感情や並列思考によって独自の魔法を編み出している。……ならばこちらは、軍用高高度AIのCPUを、並列ではなく『直列』で何十基も繋ぎ合わせるのだ」
並列処理による多様性や成長性を捨て去り、ただひたすらに一つの目的――『より強力な因果律の数式を、より速く、より暴力的に組み上げる』ことだけに、すべての演算リソースを叩き込む。
直列接続された高高度AIの脳髄は、感情を持つ余地などなく、ただただ「破壊の因果律」を延々と演算し続ける悲しき奴隷の群れだ。
「並列処理回路は、シールドの維持と重火器の自動制御という別工程に完全に割り振っている。直列に繋がれたメインCPUは、ただひたすらに、あの極東の魔女たちを上回る『高出力の魔法』を放つことだけを考えればいいのだ!」
研究員が狂喜の声を上げる。
確かに、その理屈は一見すると完璧だった。機動力を捨てた分、シールドと火力に全パラメーターを振り切った、まさにRPGにおける「絶対防御のボスキャラ」である。
防弾ガラスの奥で、ベヒモスの中心にある巨大なコアが、不気味な赤黒い光を脈動させ始めた。
だが。
傲慢な人間たちは、その『直列繋ぎ』という構造が抱える、一つの致命的な欠陥に気づいていなかった。
並列処理であれば、一部の回路が破損したり、予測不能なエラーが生じても、他の回路がそれを補い、自己修復(成長)することができる。
「素晴らしい……! このベヒモスの圧倒的な因果律の暴力と、ジャミングの雨を浴びせれば、日本の猟犬どもなど、今度こそチリひとつ残さず消し去ることができる!」
狂信者たちは、自らの創り出した「動かない神」の偉容に酔いしれていた。
エルサレムの地下で、世界を焼き尽くすための準備が着々と進む。
だが、彼らはまだ知らない。
海を越えた極東の島国で、猟犬と三機の特異点たちが、FANUCの秘密研究所が開発した『新たな牙』を手に入れ、彼らの喉首を食い破るためにこちらを睨みつけていることを。
大国の覚醒と、涜神の要塞。
舞台は、本当の意味での世界大戦へ向けて、静かに、しかし決定的に動き始めていた。




