二人だけの教室 Ⅳ
避難訓練。
学校全体がもぬけの殻と化す特殊なイベントだ。
不気味なまでに閑散とした空間。
この数時間だけは、学校という物理的概念すらも忘れてしまう程の静けさに包まれている。
有事の際にマニュアル通り逃げられるよう真面目に参加するべき行事なのだが、この機に乗じて人目に付かずに様々な事が出来てしまう。
例えば告白。
状況にそぐわないのは言うまでもないが、避難訓練が終わった瞬間に一組のカップルが成立していた……なんてこともあったりする。
同様に、一人きりになるチャンスとも言えるだろう。
誰にも邪魔されず、密かに実行に移せてしまう絶好のタイミング。
優月は前もってこの五月七日を決行日として選んでいた。
「もっと早く気付くべきだった」
俺がスマホを取りに戻らなければ、優月は避難訓練に参加することなく自ら命を断つ選択をしてしまう。
まさに偶然が重なり合ってできた産物。
ゴールデンウィーク明けの五月七日という分岐点に戻ってきたのには、明確な理由があった。
「優月が俺をどう思っているか確定的なことは言えないけど……こんな悲惨な運命は絶対許さない……」
俺は学校を飛び出して優月が運ばれる予定の病院へと電車で向かった。
学校からそれ程離れていない大型病院。
到着してから数分で救急車のサイレン音が聞こえてきた。
程なくして、医師や看護師が血相を変えてタンカを転がしながら走り去っていく。
俺は病院の廊下で緊急治療室へと運ばれた優月をひたすら待っていた。
百パーセント助かる見込みがないと分かっていても、しっかりと見届けなければならないと考えたからこそここへ来た。
この世界線に生きていた彼女の死という事実を、生涯背負うべき戒めとして心に刻むとしよう。
こうして俺は、新たな決意を胸に次なる試練へと立ち向かう。
「悲しみに暮れている暇はない」
今日はミカが自宅に訪れる日だ。
現在の時刻は午後九時を回っている。
今頃、謎の少女ミカが何食わぬ顔で部屋の中にいるはずだ。
俺は玄関の鍵を開けて自室へと入った。
誰かが部屋の中に滞在している気配がする。
リビングへと向かうもミカの姿は見当たらない。
……やはり窓が空いている。
単純にミカがここから侵入したのならば色々と辻褄が合うのだが。
ふと背後に人の気配を感じた。
俺は声をかけながら振り向く。
「ミカか! またお前の力を貸してくれ!」
だが、俺の目の前に立っていた人物は予想とは全く違う怪しい人物だった。
黒のパーカー姿でフードを目深に被っている。
顔は不気味な仮面を付けているため確認できず、どっからどう見ても不審な人物だ。
当然面識などなく部屋に入れた覚えもない。
俺は瞬時に危険を察知して一歩下がるも、その場で突き飛ばされてしまった。
「誰だよお前!!」
「……」
返事はない。
分厚いパーカーと仮面の上からでは表情どころか、体格や性別すらも不明だ。
「俺から離れろ!」
「……」
不審な人物と揉み合いになる中、何とか距離を取り窓の方へと後ずさりする。
窓から逃げるしかない。
サッと振り返って窓の格子に手をかけると同時に、背中に強烈な痛みと重さを感じた。
「うがっ…………!」
咄嗟に腹部に手を当ててみると……手の平には夥しいほどの血が付着していた。
長い人生の中で初めて感じる痛み。
俺の背中から腹部までを貫通する鋭い刃。
殺人鬼は何の躊躇もなく得物を身体から引き抜く。
俺は激痛を我慢しながら奴を見上げた。
仮面の上からでも分かる隠しきれない憎悪の感情。
手には研ぎ澄まされた日本刀が力強く握られている。
紅に染まった床を土足で踏み荒らし、ただただ俺を上から見下ろして嘲笑っていた。
「な……なんで……こんなことを……する……」
「お前に話す事は何も無い」
尋常ではない殺意だ。
俺はここで死ぬのか……。
こんな訳の分からない状況で、訳の分からない人間に消されるのか……。
「優月……ごめん。結局お前を助けられなかった」
これが不用意に歴史を変えてしまった代償なのだろうか……俺は死を受け入れざるを得なかった。
その後、命を枯らすまでに何度も斬りつけられたが、もう痛みすらも感じなくなってきた。
徐々に脳内が真っ暗闇に包まれていく――――。
〜
ーーーー5月7日木曜日 午後9時30分
ここは八神彰人の自宅内。
日本刀に付着した血を拭き取りながら、何者かと連絡を取る仮面の人物がいた。
「任務は無事完了した。例の物は回収済みである」
『後処理はこちらにまかせろ。ご苦労だった』
一度だけ言葉のキャッチボールを交わした後、電話はすぐに切られた。
仮面の男は絶命した直後の死体の前に立ち、不気味な表情を浮かべながら高笑いをしている。
一人の人間を見下し、嘲笑うかのように長々と……。
こうして、八神悠の物語は幕を閉じた。
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