表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤き星の震える指 ——死神を撃った男の告白  作者: beens
第1章 レニングラードの行軍

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/21

プロローグ:悪夢の終焉、あるいは始まり

本作は、前作で描いた、

シモ・ヘイヘの戦いを描いた物語と対を成す物語です。

『白き死神の挽歌エレジー ——極寒のコッラ、五〇五の墓標』

https://ncode.syosetu.com/n4792ls/

 指の感覚は、とっくに失われていた。

 凍傷で黒ずんだ指先が、ライフルの引き金に触れているのかどうかさえ、目で見なければ分からない。

 だが、震えだけは止まらなかった。寒さのせいではない。身体の芯から湧き上がる、原初的な恐怖のせいだ。

 1940年3月6日、午前9時過ぎ。

 フィンランド南東部、ウルリスマー地区。

 

 俺の名前はニコライ。ソビエト連邦赤軍の一兵卒だ。

 だが、今この瞬間、階級も、国籍も、名誉も、何の意味も持たなかった。

 俺はただの、怯えきった獣だった。

「進め! 止まるな! 止まる奴は俺が撃ち殺すぞ!」

 背後で政治将校コミッサールが怒鳴り散らしている。彼は安全な塹壕の中から、トカレフ拳銃を俺たちの背中に向けていた。

 前へ進めばフィンランドの悪魔に殺される。後ろへ下がれば味方に殺される。

 ここにあるのは、二種類の「死」だけだ。俺たちはその狭間で、雪を血で汚すための肉袋に過ぎない。

 あたりは轟音に包まれていた。

 味方の重砲が森を耕し、敵の機銃が唸りを上げる。

 俺は泥と雪にまみれた湿地帯を、這うようにして進んでいた。

 横にいた戦友のイワンが、不意に前のめりに倒れた。頭がない。

 悲鳴を上げる間もなく、今度は右側のセルゲイが胸を押さえて崩れ落ちる。

 どこだ?

 どこから撃っている?

 俺は必死に顔を上げ、前方の茂みを凝視した。

 白い雪。黒い木々。灰色の空。

 色彩のない世界。

 

 ――いた。

 

 40メートルほど先。倒木の陰から、そいつは現れた。

 真っ白な外套を頭から被り、顔の半分を防寒マスクで覆っている。

 人間ではない。あれは、俺たちが焚き火を囲んで震えながら噂していた、「白い死神ベラヤ・スメルチ」そのものだ。

 時間が凍りついた。

 そいつの構える銃口が、まるでスローモーションのようにこちらを向くのが見えた。

 黒い、底なしの穴。あの中に、俺の死が詰まっている。

 

 逃げられない。

 叫ぶこともできない。

 俺の心臓は、恐怖で破裂しそうだった。

 

(死にたくない、死にたくない、死にたくない!)

 俺の手には、モシン・ナガン小銃が握られている。

 装填されているのは、国際条約で使用が禁じられているはずの「炸裂弾(爆発弾)」だ。だが、そんなことはどうでもいい。相手は悪魔だ。悪魔を殺すには、悪魔の武器が必要なんだ。

 思考よりも早く、生存本能が俺の身体を動かした。

 狙いなど定めていない。

 ただ、目の前の「死」を拒絶するためだけに、俺は銃口を突き出し、感覚のない指で引き金を絞った。

 ――ドォン!

 肩に強烈な反動が走る。

 ほぼ同時に、前方の白い影の顔面で、何かが弾けるのが見えた。

 赤い飛沫。

 砕け散るマスク。

 死神の身体が、まるで糸の切れた人形のように後方へ吹き飛んでいく。

 

 俺は呆然と立ち尽くしていた。

 周囲の喧騒が、一瞬だけ遠のいた気がした。

 

 やったのか?

 俺が?

 あの、数千人の同胞を葬り去った化け物を?

 歓喜はなかった。

 湧き上がってきたのは、安堵でも達成感でもなく、吐き気を催すほどの虚脱感だった。

 雪の上に広がる赤い染みを見つめながら、俺は自分が犯した罪の重さに、ただ震えていた。

 

 神殺し。

 俺は今日、伝説を殺したのだ。

 だが、その時の俺は知らなかった。

 死神は死んでいなかったことを。

 そして、この一発の銃弾が、俺の人生に永遠に消えない呪いを刻み込むことになることを。

更新通知を受け取りたい方は、ぜひブックマークをお願いします!

「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、執筆の大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ