第三話 「キャア! か、か、隠してください!!」
あの食堂での事件以降、オリヴィアはいつも通りの平穏な日常を過ごしていた。
今日の当番は大浴場の掃除。用具入れから必要な掃除道具を取り出し、大浴場へと向う。
大浴場に着くと、何故か扉が開けられたままになっており、中からは湯気が溢れ出していた。
どうしたのかしら、とオリヴィアは首を傾げた。
この大浴場はドラゴンの命令に応じて、都度水を溜め、お湯が沸かされる。
今は清掃の時間だ。ドラゴンから特別に命令があったという話もオリヴィアは耳にしていない。にも関わらず、扉の内からは湯気がもくもくと湧き出ているのだ。
オリヴィアは不審に思いながら、モップの柄を両手で握りしめ、大浴場の中へと入っていった。
そういえば今日はドラゴン様たちは外出されると言っていたはず。いったい誰が中にいるのかしら、とオリヴィアはいっそう警戒心を強め、ゆっくりと進んでいく。
恐る恐る進んでいくと、浴槽の中に人影があることに気づいた。
あるはずのない人影に気を取られたオリヴィアは、床に置いてあった何かを蹴飛ばしてしまう。足元を見みると、しまい忘れられた桶が落ちていた。
「誰だ」
水音が聞こえ視線を戻すと、そこには白銀色の髪の男性が立っていた。
こんな綺麗な方、この王城内にいたかしら、とオリヴィアは半ば見惚れるように立ち尽くす。やがて、徐々に湯気が流され視界が晴れてくると……。
「キャア! か、か、隠してください!!」
白銀の男は浸かっていた湯から立ち上がり、オリヴィアの方を向いていた。何も身に纏わぬ状態で……。
それに気がついたオリヴィアは慌てて両手で目を覆い、男を見えないようにした。
「どうでもいい。さっさと出ていけ」
「どうでもよくありません!」
「はぁ」
男の呆れたようなため息が聞こえた後に、ちゃぽんっと水の音が響いた。
おそらく湯に浸かってくれた音だろうと判断したオリヴィアは、ゆっくりと手を離した。
「もう一度言う。出ていけ」
「いいえ! 不審者をこのままにしておくわけには……!」
冷静になってきたオリヴィアは男性の顔を見つめ返し、気付いた。
男性の瞳の色が金色であるということに。
金色の瞳はドラゴンの証だ。オリヴィアは、前にいる男性がドラゴンだと今になってようやく気がついたのだ。
「ド、ドラゴン様……! 申し訳ございません!!」
「分かったなら出ていけ」
「失礼いたしました!」
オリヴィアは急いで大浴場から出ると、扉を閉じ、横の壁に身をもたれかけ呼吸を整えた。
見たことのないドラゴン様だったわ。どなたかのお客様かしら? 使用人にはそんな話は来ていなかったけれど。
オリヴィアは壁に寄りかかったまま思考を巡らす。考えついたひとつの可能性……。
この王城に居て、オリヴィアが未だにその姿を見たことがないドラゴン。この城の主、ドラゴンの王だ。
すぐにありえない、とオリヴィアは首を横に振り、その可能性を否定した。
オリヴィアたち使用人が知る限り、王は自室に籠もりっきりだ。そのため、王の部屋が位置する城の最上階には近づくことさえ禁止されている。
それに加え、今いる大浴場は王城の一階だ。わざわざ王が最上階から降りてくるとは考えられないのだ。
「まだいたのか」
オリヴィアが色々と考え込んでいると、白銀のドラゴンが扉を開き中から出てきた。
「はい。お上がりになられた後に、掃除をしようと思い」
白銀のドラゴンは横目でちらりとオリヴィアを見たが、何も言わずに歩き出した。
オリヴィアは頭を下げてそれを見送る。その視界に入るぽたぽたと滴る水。あまりの水滴の量にオリヴィアは目を丸くする。
普段であれば人間がドラゴンに話しかけることなどあってはならないのだが、どうにも気になってしまったオリヴィア。
掃除用具とともに持ってきていた、補充用のタオルを下を向いたままさっと取り、俯いた状態で差し出した。
「あの……これを……」
白銀のドラゴンが足を止め振り返ったのは足元の動きで分かったが、どういう表情をしているのかまでは見えない。そのまま数秒の沈黙が流れた。
「……面倒だ。お前が拭け」
想像もしていなかった言葉に、オリヴィアは思わず顔を上げ、きょとんとした顔で白銀のドラゴンを見つめ返した。
この事態がまったく理解できていないが、ドラゴンからの命令には従わなければならない。躊躇った後に、オリヴィアはタオルを両手で広げた。
「失礼いたします」
オリヴィアは恐る恐る白銀の髪にタオルを近づけ、優しく丁寧に拭いていく。長い白銀色の髪はさらさらで、天井の明かりを反射し輝いている。
「綺麗……っ! 申し訳ございません!!」
思わず呟いてしまった独り言を、急いで謝罪するオリヴィア。仕事の最中に、しかもドラゴンの前で無駄口を叩くなど、普段では許されないことだ。
「人間と普通に会話したのはいつぶりだろうな」
「え?」
オリヴィアは思わず聞き返す。けれど白銀のドラゴンはそれを気にする様子もなく、歩いていってしまった。




