第一話 「ふう。千年でこんなにも世界は変わるものなのね」
「オリヴィア〜! 次はこっちお願い」
「は〜い」
ここはリヴァグン王国。悠久のときを経てもなおその威厳を放っている王城。湖の真ん中にそびえ立ち、昼時は湖面が空とともに城の上部を映し出す。
今日のオリヴィアの担当は廊下掃除だ。王城の長い廊下を端から端までモップで水拭きしていく。
同僚のマーヤに呼ばれたのは、ちょうど一階の清掃が終わったときだった。
年齢の近いマーヤとは普段から親しく、仕事の当番も一緒に行うことが多い。幼い頃からずっと時間をともにしてきた仲なのだ。
今日もまだまだ終わりそうにないな、と思いつつ、オリヴィアは呼ばれた方へと歩いていった。
幼い頃から家族とともに、この城の使用人として働いてきたオリヴィア。慣れた手つきでそつなく今日の仕事もこなしていく。
カツンカツンカツンカツン
「オリヴィア!!」
足音が聞こえるやいなや、周囲の使用人が一斉に頭を下げた。足音は徐々に近づき、前を通り過ぎ、そして離れていく。この間、誰もが頭を下げたまま、ただその足音が過ぎ去るのを待っていた。
「はぁ〜 緊張した」
足音が聞こえなくなり、しばらくしてから誰かがため息混じりに口にした。それを合図に他の使用人たちも顔を上げ、ほっと息をつく。無意識に息を殺していたせいだろう。オリヴィアもまた例外ではなかった。
新しい人生を歩むこと十六年。
オリヴィアは未だにドラゴンの気迫に慣れることができずにいた。
オリヴィアの知っているドラゴンといえば、あの子――愛しい白銀の子だけだった。いつの日だったか、背中に乗せてもらい青空を飛び回ったことを思い出す。
今では、とてもじゃないがそんなことは考えられない。人間がドラゴンの背中に乗せてもらうことなど、あるはずもない。少し想像しただけで、オリヴィアは背筋が冷たくなった。
では、いったいあの光景は何なのか。
オリヴィアには物心ついたときから不思議な記憶があった。
子どもの頃はそれを記憶とは捉えておらず、夢で見る不思議な世界だと思い込んでいた。
夢の中の世界では、周囲の人々が自分のことを『イザベル』と呼び、自分自身もまた『イザベル』として生活をしていた。夢から覚める度、自分は『オリヴィア』なのに、と何度も奇妙な気持ちになったものだ。
そんなある日、オリヴィアは今は亡き祖母から今住んでいるリヴァグン王国の成り立ちを聞く。
その話の中に出てきた聞き覚えのある国名に、オリヴィアは目を見開いた。夢の中の自分が暮らす国、ヴァユマン王国はかつて実在していたのだ。
祖母の話を聞いてから、オリヴィアはあれがただの夢ではないのかもしれないという疑念を抱くようになった。
徐々に『イザベル』が他人のようには思えなくなっていく。
あまりに現実感のある夢と、実在した国。いつしかオリヴィアは、あれは夢ではなく自分の前世なのだと考えるようになった。
「ふう。千年でこんなにも世界は変わるものなのね」
掃除をしながら窓の外を見て、独り言ちるオリヴィア。
前世の『イザベル』は田舎の村娘だった。記憶の大半は農村での出来事で、山の中で駆け回ったことや、村人と畑仕事をした思い出が多い。
ただ一度だけ、城のある都市に行ったことがあった。そこでは王城を囲むようにして王都が栄えており、城の周囲には華々しい建築物が並んでいた。
それが今では、窓の外に見えるのは大きな湖のみ。この王城は湖の真ん中に建っているため、どの窓から外を見ても、まず視界に入るのは湖なのだ。視線を上げれば、少し離れたところに陸地も見えるが、建物という建物も少なく、だだっ広い殺風景が続いている。
中でも、一番の変化は国の統治者であろう。
このリヴァグン王国は人間ではなくドラゴンによって支配されている。ここで働いている人間は、王城に住んでいるドラゴンたちに仕えているのだ。
オリヴィアの家系は代々この王城で使用人として仕えてきたため、オリヴィアもその流れを受け継ぎ、現在に至る。
王城に仕えて十六年経つが、オリヴィアはこの城の主であるドラゴンの王に一度も会ったことがない。見かけたことすらないのだ。
ドラゴン。彼らの王という存在は、過去の人間たちのそれとは大きく性質が異なる。
人間の王とは、その時代における実力者、有力者、はたまた財に富む資産家がなるものだった。
一方のドラゴンは、この世に生を受けた瞬間にその血筋によって王が定められ、王としての運命を背負うことになる。
その王への謁見が許可されているのは、王に直接仕えている五人のドラゴンのみ。ドラゴンの中で最も強い彼らが、王を守るため王城で暮らしているのだ。
「あ、飛んでいらっしゃるわ」
ドラゴンにはふたつの姿が存在する。ひとつは大きな翼を持ち、分厚い鱗に覆われ、鋭い爪と牙を持つ巨大な体。これが本来の姿だ。
もうひとつは人間と同じような姿。使用人たちはそれを人型と呼んでいる。
オリヴィアが窓の外を見ていると、本来の姿に戻ったドラゴンが大きな翼を広げ、空を飛んでいくところが目に入った。
生まれて以来、一度もこの王城から出たことのないオリヴィアは、その姿に目を細める。
城が湖に囲まれているため、人間が外に出るには船が必要となる。だけども、王城内の決まりで、乗船するのは外へ狩りに出る男性陣のみとされていた。
魔物狩りには体力と力が必要となるし、もちろん死の危険も付きまとう。事実、オリヴィアの父も数年前に狩りに出かけて帰らぬ人となった。
それでも、王城内の女性たちの外界への憧れは大きい。
『イザベル』としての記憶を持つオリヴィアのそれは人一倍強かった。




