第九話 向き合う……。
「眩しいわね……」
翌朝、憎らしいほどの快晴と燦々と輝く太陽にリリーは起こされた。
薄っすらと目を開け、恨めしそうに太陽を睨みつける。さらに彼女を不快にさせるかのように、腹の虫が大きく鳴った。
よく考えてみれば、昨日のあの果物以来、リリーは何も口にしていなかった。一度食事のことを考えだすと、飢餓感だけが増幅していく。
リリーは人型になり、昨日のあの菜園へと向かうのだった。
菜園が見えてくると、リリーは周囲を警戒しながら忍び足で中に入っていく。
もう昨日のようなことは懲りごりだった。
人の気配がしないことを確認したリリーは、奥へと進んでいく。辿り着いたのは、あの美味な赤い果実の木だった。
熟れた果実へと手を伸ばし、できる限り音を立てないようにもぎ取る。
ひとつ、またひとつ。
リリーはいくつか果物を取ったら、さっさとここを立ち去ろうと考えていた。どこか落ち着ける場所で、ゆっくり食べられるように……。
よし。あと、もうひとつだけ……。
リリーが少し高い位置にある果実に手を伸ばす。
「あーー! いたーーー!!」
突然、リリーの背後から大きな声が響き渡った。
リリーはビクッと肩を跳ね上げ、いくつか果実を落としてしまう。
嫌な予感を覚えつつ、恐る恐る振り返ると、女の子が勢いよくリリーに向かって走ってきていた。そう、昨日リリーが怪我させてしまったあの女の子、リーゼルだ。
リリーは手の中に残った果実を持ち直し、逃げ出すが……
「おっと、また泥棒か?」
いつの間にやってきたのか、あの黒髪のドラゴンがリリーの行く手に立ちふさがっていた。
「おねーちゃん!」
ついに追いついたリーゼルは、もうリリーを逃すまいと腰にしがみつく。
人間に触れられたことなど、人生でほとんど皆無であるリリー。まとわりついている未知の生命体に、全身を強張らせていた。
「昨日はごめんなさいーーー!!」
リーゼルが涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、リリーを見上げる。
「昨日はいきなり手を引っ張ろうとして、お姉ちゃんを驚かせちゃって、ごめんなさいー!」
リーゼルは昨日のことを大声で謝罪しだした。
リリーはというと、予想もしなかった展開に当惑していた。傷つけてしまった相手から、まさか謝られるとは思ってもみなかったのだ。
何と答えたものかと、口をぱくぱくさせてしまう。
「この傷のことも、お姉ちゃんは悪くないの!」
「え、あの、あんた、泣き止みなさいよ!」
しがみついたまま大号泣するリーゼルを、リリーは何とかしなければと思うが、どうすれば良いのか分からず、お手上げ状態に。
「うあああああああん」
困り果てたリリーは黒髪のドラゴンに助けを求めようと視線を向けるが、白々しく肩をすくめるだけだった。
どうやらリリーを助けようという意思はないらしい。
「分かったわ! 分かったわよ! そんなの気にしてないから、泣き止みなさいって!」
「ううう……許してくれるの?」
「許すわよ!!」
許すという言葉を聞き、リーゼルはまだ目に涙を溜めながらも、リリーに笑ってみせるのだった。純粋無垢なリーゼルの笑顔は、リリーを何やらくすぐったい気持ちにさせた。
こんな笑顔……今まで私に向けてくれた人はいたかしら……。
リーゼルは腰に抱きついたまま、にこにことご機嫌な様子だ。
「あら〜仲直りできたのねえ!」
「お! 良かったじゃねーか」
気づけば、リリーとリーゼルを囲むように村人たちが集まってきていた。
「ちょっと! いつまでくっついてんのよ! 離れなさいって!」
人に見られていると思うと、この状態が恥ずかしくなり、リリーはリーゼルを腰から剥がそうとする。
昨日とは違い、力を加減してリーゼルと接するリリーの姿がそこにあった。
村人たちもふたりの様子を微笑ましく見ていたが、次の瞬間、真剣な眼差しをリリーに向け、一斉に頭を下げた。
「昨日は咄嗟にリーゼルを庇ってしまった。すまない」
「いくらこの子が怪我したといっても、あなたをひとりにすべきではなかったわ」
「ちゃんと何があったのか聞くべきだった。私たち向き合うべきだったわ」
村人たちが次々に謝罪の言葉を述べた。
向き合う……。
リリーはその言葉を聞き、考え込む。
今まで私は誰かと『向き合う』ということをしてきただろうか……。
気に入らないことがあれば、喚き散らした。
ドラゴンが相手なら、力でねじ伏せた。
人間とは会話すらまともにしたことがないわ……。
リリーの頭に浮かんだのは、頭を下げる城の使用人たちの姿だった。誰の顔も見えない。いや、覚えていないのだ。
それに対して、この村の人たちは真っ直ぐにリリーを見ていた。真剣な眼差しを向け、リリーの言葉を待っているのだ。
「もういいのよ! 私だって、そんな器は小さくないわ!」
今までろくに対話をしてこなかったリリーの返答はつっけんどんだったが、それがただの照れ隠しであることを村人たちは感じとっていた。
「さて! ここの果物以外にも村には美味しいものがたくさんあるのよ!」
「お詫びにとっておきの朝ご飯をご馳走するぜ!」
「さっ! 行きましょう!」
村人たちがリリーを村の中心部へと誘う。
「だ、誰が人間なんかと……!」
その言葉とは裏腹に、リリーの表情からは人間への嫌悪感が消え去っていた。代わりに、ほんのりと頬に赤みがさしている。
「行くよ、お姉ちゃん!」
「あ、え、もう。仕方ないわね。分かったわよ」
視線を反らしながら、反抗的な言葉を放つリリーの足は、ゆっくりと村の中心部へと向かっていくのだった。
リリーはリーゼルの言葉には弱いようだ。
「ほらほら、行くわよ!」
「お姉ちゃん!」
リーゼルが腰から離れながら、呼びかけた。リリーが下を向くと、嬉しそうにリーゼルが手を差し出していた。
その手をじっと見つめるリリー。
今日は初めてのことばかりだわ。
人間と初めて『対話』した。人間が初めて手を差し出してきた。
見下してきた人間が、ドラゴンである自分と対等な態度を取ってくる。
これはリリーにとって屈辱的なはずなのだが、何故か怒りは湧いてこない。リリーはそんな自分自身にも戸惑っていた。
私は……この小さな手を……。
差し出された手を見つめたまま固まってしまったリリー。リーゼルはどうしたのかと、首を傾げている。
トン
背中を押されたリリーが、一歩前に出る。振り返ると、そこに立っていたのは黒髪のドラゴンだった。
「変化は怖いことじゃない。大丈夫だ」
リリーは一度唾を飲み込み、緊張した面持ちでリーゼルの手に自分の手を重ねた。リーゼルは今日一番の笑顔で、その手をぎゅっと握る。
「行こっ!!」
リーゼルに引っ張られるように小走りで進むリリーは、いつの間にか村人たちに溶け込んでいるのだった。




