第四話 「すごい! すごいよノア!!」
「やあ、イザベル! そろそろ僕と結婚する気になったかい?」
声をかけてきたのは、イザベルを悩ませている領主の息子、カーター・アドラムだった。
両親や村の人たちと畑仕事をしている最中だというのに、大声でイザベルに話しかけてくる。土で靴が汚れるのは嫌なのだろう。畑の中には一向に入ってこようとしない。
仕方なくイザベルが移動し、普通に会話ができる程度の距離まで近づく。あのまま大声で会話していては、みんなに迷惑をかけてしまうと思ったためだ。
「お坊ちゃま、ご冗談はよしてください。私はしがない村娘です」
「だから何だというんだ! お前の美貌は僕の隣に置いておくのに相応しい!」
カーターの物言いに絶句してしまうイザベル。どうしたものかと頭を悩ませる。両親や村の人たちもイザベルを助けたい気持ちは山々だが、領主の息子であるカーターに言い返すことはできない。
「はぁ」
それから何やかんやと無駄なやり取りを重ね、ようやくカーターが帰っていった。
「イザベル、何もしてやれなくてすまない……」
イザベルの周りにみんなが集まっている。見回すと誰もが俯き、申し訳ないという顔だ。イザベル自身、これは仕方のないことだと十分理解している。もちろん村のみんなを恨むような感情は一切ない。
とはいえ、疲れるものは疲れるのだ。心も体もどっと重くなったように感じ、思わずため息をついてしまった。
「イザベル、明日は仕事休んでも良いわよ」
「でも……!」
「そうよイザベルちゃん! 明日はゆっくり休みなさい!」
イザベルの疲れた様子を見かねた大人たちは、ゆっくり過ごす時間が必要と判断したようだった。
みんなの気遣いに申し訳無さを感じつつ、イザベルの頭に浮かぶのはしばらく会えていない洞窟のあの子。きっと良い子に自分を待っていてくれる白銀の子。
イザベルはありがたく休みの提案を受け入れたのだった。
翌朝のイザベルの目覚めは気持ちの良いものだった。
今日はピクニックと決めていたイザベルは、朝からサンドイッチをたくさん作り、森の洞窟へと向かう。
「ノア!!」
「きゅー!!」
寝ていたノアは洞窟を覗き込むイザベルに気がつくと、顔を上げ、翼をバッタバタと荒げながらイザベルのもとへと飛んでいった。同じくらいの大きさのノアが勢いをつけて乗っかってきたため、イザベルは受け止めきれず尻もちをついてしまう。
ノアはそれでもすりすりと頭を寄せて、イザベルに全力で甘え続ける。数日ぶりのイザベルなのだ。
「きゃ! くすぐったいわノア!」
ずっと会いたいと思っていたのはイザベルも同じで、まんざらでもないのだろう。口では注意しつつも、会えなかった時間を取り戻すようにノアを甘やかすのだった。
「こーら! め!」
数分間、ノアの甘えん坊ぶりは続き、そろそろ解放して欲しいイザベルはノアを制した。
止められたノアは少ししょんぼりとしていたが、ふと良い香りがすることに気づく。香りのもとを辿っていくとイザベルが持ってきたかごからだった。顔を近づけてくんくんと匂いを嗅ぐノア。
「それはサンドイッチよ! 一緒に食べましょう!」
「きゅ〜!」
ふたりは洞窟を出ると、見晴らしの良い場所へと移動し、ピクニックをはじめた。
並んで腰をおろし、イザベルは目の前に広がる広大な森と地平線の先で交わる青い空を眺める。気持ちの良い風が頬を撫で、心の内のもやもやも洗い流されていくようだ。隣を向くと、ノアはサンドイッチを見て、今か今かと待っているようだった。
「ごめんごめん! はい、どうぞ」
かごの蓋を開け、サンドイッチを手渡してあげると、ノアは嬉しそうにもぐもぐとそれを頬張っていた。
穏やかな時間が流れる。
「ベラも来られたら良かったんだけど……」
「きゅ……」
この数年間で、イザベルとノアは成長した。身長が伸びたり、翼が立派になったり。
一方、ベラは体が弱くなってきていた。もともと三人の中で最年長のベラ。もう以前のように一緒に森に来ることが難しくなってしまったのだ。
イザベルとノアはお互い寄っかかるように寄り添っている。頭の中には三人で森の中を駆け回った日々。ベラを想っていた。
静かな森の中で、イザベルがぽつりぽつりと話し出す。
「村での仕事は大変なんだけどね、メラニーさんがとても助けてくれるの」
「きゅ!」
「本当に村のみんなは良い人たちなんだあ。だから……みんなを守れるなら……」
「きゅ?」
イザベルにはひとりで抱えている悩みがあった。
カーターが、この前、誰にも聞こえないほどの小さな声で囁いてきたのだ。
『僕と結婚すればこの村の人たちも楽になるのにね。よく考えてみて?』
呆然としたイザベルは何も言えなかった。どこか諦めに近い感情で、もう逃げられないのではないか、そう思ってしまった。この件を誰にも言えず、ただひとりで不安と戦っていたのだ。
「きゅ!」
急に無言になり辛そうな表情を見せるイザベル。
それを見て、ノアはあることを思いついた。立ち上がり数歩前に出たかと思うと、イザベルの前で低く体を伏せる。まるで背中に乗ってというように。
ノアが今までにこのような仕草をしたことはなく、イザベルは戸惑ってしまう。しかし、いつも楽しそうに上空を舞うノアを見て、空を飛ぶのはどんなに気持ちが良いのだろうかと常々考えていた。その欲望に逆らえず、おずおずとノアの背中に乗るのだった。
「きゅ〜!!」
ノアはイザベルがしっかり掴まったことを確認すると、大きく翼を広げる。
「きゃ!」
そしてその立派な翼で空気を掴み、空へと舞い上がった。
今までに経験したことのない感覚に、思わずぎゅっと目を瞑るイザベル。少し経ってから、ゆっくりと目を開けた。
「わあ!!」
イザベルが目を開けると広がっていたのは、真っ青な空だった。どこまでも続く綺麗な青に、太陽が燦々と輝いている。勇気を出して下を見ると、先ほどまで自分が居た森が眼下に広がっていた。森も村も、イザベルがまだ行ったことのない土地まですべてを一望できるほどの高さまで昇ってきていた。
「すごい! すごいよノア!!」
「きゅー!!」
落ち込んでいたイザベルを笑顔にできたことが嬉しくてノアは大はしゃぎ。ぐるんぐるんと大空を飛び回る。
「ノア! 落ちちゃうよ!」
そう言いつつ、風に包まれるような、風になったような感覚を楽しんでいるイザベル。ノアはいつもこんな風に空を飛んでいたのか、と思う。気づけば、先ほどまでの悩みはすべて吹き飛んでしまっていた。
「ノア、本当にありがとう!」
「きゅっ!!」
ピクニックをしていた場所に戻ってきたふたり。イザベルはノアの首に抱きついて心からお礼を伝えた。
ノアもそれに応えるように、イザベルにすり寄る。幸福に満たされた穏やかな時間が過ぎていった。
少しずつ日が傾きはじめ、イザベルは名残惜しくも帰路についた。
今日はいつもより濃い時間を過ごした分、帰り際のノアの駄々のこね方もいつも以上で大変だったな、なんてことを思い出し苦笑いをこぼす。
それでも、今日のことを思い出せば、また明日から頑張れそう、そんな前向きな気持になっていた。
森を抜け、家が見えてくると、庭のあたりに人影が見えた。
両親がもう帰ってきたのか、とイザベルは首を傾げた。




