第十話 「愛おしい愛おしい我が子よ。安心してお眠りよ」
呼吸と心臓を落ち着けながら、オリヴィアは使用人部屋へと戻る。
「あら、オリヴィア。もうお昼過ぎよ? 遅かったわね」
「お、お母さん〜!」
食堂の殺伐とした空気で荒んだオリヴィアの心に、母の声が優しく染みた。ほっとしたオリヴィアは、先ほどの出来事を母に話して聞かせる。
「オリヴィア、あんた本当に最近ついてないわね〜」
いつの間にか輪に加わっていたマーヤが言った。
ぐうの音もでないオリヴィア。まったくもって最近どうかしている、とため息をこぼした。
「はぁ……オリヴィア、とりあえず陛下のご機嫌を損ねることのないようにね? あなたまでいなくなったら……」
「お母さん……」
オリヴィアの話を聞いた母の眉間には、深い皺が刻まれていた。それを見たオリヴィアもまた、胸が痛くなるのだった。
夜を迎え、オリヴィアが王の部屋を訪れる時間がやってくる。
オリヴィアは昼間のことを思いながらも重い腰をあげ、王城の最上階へと向かうのであった。
部屋の前に立ち、ため息とも深呼吸とも取れる息を吐き出した後、オリヴィアは扉をノックした。
「入れ」
「失礼いたします」
扉を開き、王に向かって一礼をしてから部屋へと足を踏み入れる。
朝来たときよりも、部屋はずいぶんと暗くなっていた。大きな窓から差し込んでいた太陽光はなくなり、部屋を照らし出しているのは小さな照明だけだ。
王はベッドの背もたれに上半身を預けたまま、オリヴィアを見ていた。
てっきり寝る準備の手伝いをするために呼び出されたのだとオリヴィアは思っていたが、王は既に寝る準備を整えている。
何故呼び出されたのか分からず、オリヴィアの頭は疑問でいっぱいになった。
「こっちに来い」
その言葉にオリヴィアの全身が一瞬で強張った。夜更けに男性の自室への呼び出し。いくら男性経験の無いオリヴィアでも、この状況に嫌な想像が膨らむ。王の夜のお相手として呼ばれたのではないか、と。
もしかして……でも命令には従わなきゃ……。
オリヴィアは強張った体を無理やり動かし、一歩、また一歩と王のもとへ近づいていく。
覚悟を決めるのよ、と心の中で自分に言い聞かせる。
オリヴィアがベッドの傍まで近づくと、王は
「ん」
とだけ言い、手を差し出した。オリヴィアは何をするべきか分からず、王の顔と手を交互に見る。
「えっと……何をすればいいでしょうか?」
その返事に王はわざとらしいため息を落とした。王の機嫌を損ねてしまったのではないかと、オリヴィアは焦りだす。
王はもぞもぞと動き出したかと思うと、起こしていた上半身も布団の中に潜り込み、完全に寝る体勢になった。
どうしたら良いのかと焦るオリヴィアの片手を勝手に握り、静かに目を閉じる。
手を握られたオリヴィアは、動けずにその場に立ち尽くす。ふと今朝の王の言葉を思い出した。
『このまま眠れそうだ』
もしかすると陛下はあまりよく眠れていないのかもしれない、とオリヴィアは思った。
ドラゴンの体は人間と比べ、とても強くて丈夫だ。ちょっとやそっとのことで体調を崩したりはしないが、睡眠があまりとれていない可能性は十分にある。
目を瞑ったままの王と、静かにそれを見守っているオリヴィア。
ふたりの間に、静謐な時が流れていく。
オリヴィアが王の顔を見ると、まだどこかぐっすりとは眠れていない様子だった。迷ったあげく、オリヴィアが思いついたのは……。
「愛おしい愛おしい我が子よ。安心してお眠りよ」
前世で親しんだ子守唄だった。
昔、あの子を寝かしつけるときに歌ったことを何となく思い出したのだ。歌と一緒に蘇るのは、母親の温もり。
オリヴィアはベッドの傍にしゃがみこみ、握られていない方の手を王の手に重ねた。温もりというのは不思議な力がある。ただ手から伝わってくるその温かさが、何故か安心感を与えてくれるのだ。
「……懐かしい」
王はそれだけ呟くと、何も言わなくなった。しばらく経ってから、王の寝息がオリヴィアの耳に届いてきた。




