01.運び屋と少女
容赦のない雨だった。
湿り気を帯びた重い空気が肌にまとわりつき、視界を白く濁らせている。
普段は軽口を叩く仲間たちも、今日ばかりは口を開こうとしない。
御者も前だけを見据えて馬を走らせていた。
三日も降り続く雨は、街道の土壌を確実に泥沼へと変えてゆく。
俺たちは依頼を受け、北へと続く街道を教会へ急いでいた。
荷物は、一人の少女だ。
素性は一切明かされていない。「大切な娘だから、丁重に届けてほしい」という言葉が添えられているだけだった。
身につけた法衣からすれば教会の関係者なのだろうが、詮索する気にはなれなかった。
この業界、下手に裏の事情へ首を突っ込めば、翌日には川に死体となって浮かぶのがオチだ。
教会へ子どもを一人送り届けるだけの、手堅い任務のはずだった。
だが、どうにも嫌な予感が拭えない。
その直感だけで、ギルドの正式な依頼を投げ出すわけにもいかない。
運べと言われれば、仕事をまっとうするまでが……。
「マジかよ……!」
前方の御者台から、ルークの吐き捨てるような声が飛んだ。
「どうした、ルーク!」
雨で緩んだ崖の斜面で、木々の根が引き裂かれる嫌な音が響き渡り、轟音とともに膨大な土砂が崩れ落ちて目の前の街道を飲み込んでいった。
ため息をついたルークが、御者台から飛び降りて状況を確認する。
「おい、駄目だ……完全に道が塞がってる!」
ルークの報告に合わせるように、馬車に同乗していたエリスも怯える少女を一瞥しただけで、ルート確保用のロープと杭を抱えて崩落を免れた斜面へと走り出した。
「ルーク、ロープの固定急げよ!」
「わかってる!」
ルークはすぐさま足場の悪い泥に両膝をつき、杭を地面深くねじ込んでいく。
エリスもさらに斜面を登り、素早く杭を打ってロープを結びつけていた。
「馬車を捨てるぞ」
俺は馬車の後部で待機していたバッシュに短く告げ、中にいた少女を無理やり外へ引きずり出す。
その瞬間、それまで震えていたはずの少女が突然、バッシュの腕をすり抜けて生い茂る森の中へと駆け出した。
「バッシュ、追え!!」
俺が怒鳴り声を上げたのと同時に、エリスが支えていた斜面がさらに崩れ、張られたロープが激しく弾けた。
「くっ、ロープがっ……!」
崩落の重みに耐え切れず、ロープが引きちぎれそうな悲鳴を上げる。
即座にルークが泥まみれの杭にしがみつき、必死で全体重を預けた。
俺は少女を追ったバッシュの背中を追う。
「離して! お願い!」
「黙れ、喚くな!」
泣き叫ぶ少女の襟首を掴み上げた瞬間、自分の行為の荒々しさに我ながら嫌気が差す。
だが、今はこうして強引に黙らせるしかなかった。
俺は少女をバッシュに放り投げ、バッシュはそのまま少女を押さえつけた。
「大人しくしてろ!」
バッシュに少女を任せ、俺はエリスが待つ崖側へと駆け戻る。
俺は途中、馬車から予備のロープを引き抜き、彼女へと投げ渡した。
エリスは震える手で杭にロープを回しながら、斜面の先を鋭く睨んだ。
「カイル!」
エリスが振り返り、切羽詰まった声を上げる。
「こちらに、向かってくる奴らがいるわ。すぐに追いつかれる!」
バッシュが少女を肩に担ぎ上げ、斜面を登り始める。
足場の悪い土砂に足を取られながらも、俺はルークと交代するように杭の頭へ肩をねじ込んだ。
一瞬でも力を抜けば杭が抜け、上にいるバッシュが墜落する。俺は全体重で泥の中にしがみついた。
「交代だ、行け! 杭は俺が抑える!」
俺の肩とルークの腕が激しく擦れ、ルークが這い上がるように斜面へ飛び付く。
バッシュがロープを力任せに引き絞り、ルークの体が泥の壁を越えて向こう側へと消えた。
「登り切ったわ! カイル、早く!」
頭上からエリスの叫び声が降ってくる。
俺は杭から肩を外し、ロープを伝って一気に斜面を駆け上がった。
「エリス、街道に出るな。そのまま北の斜面へ飛び込め!」
「えっ、そっちは崖よ!」
「下に沢がある。雨音に紛れて滑り降りるぞ」
頭上の街道から、重い蹄の音が響いてくる。
だが奴らがこちらに気づくより早く、俺はバッシュの肩を叩いた。
「飛べ!!」
バッシュが少女を抱えたまま北側の斜面へ身を投じ、ルーク、エリス、そして俺もそれに続いた。
◇
追っ手の視界から完全に外れた岩陰。
バッシュは周囲に目を光らせ、ルークは対岸へ渡る足場を探して水際を駆けている。
少女は水際にうずくまり、ガチガチと激しく歯を鳴らしていた。
もう叫ぶ元気すらないらしく、濁った瞳で自分の冷え切った指先ばかりを見つめている。
エリスが一瞬少女に視線を落としたが、すぐにルークを追ってルートを探し始めた。
俺は膝まで水に浸かりながら、少女の隣に歩み寄る。
「立て。移動するぞ」
差し出した手に、少女は反応しない。
ただ、力なくぽつりと呟いた……。
「もう、いいです……。どうせ私は、殺されるんだから」
その投げやりな言葉に、胸の奥で燻っていた何かが逆立った。
「殺されるだと?」
気づけば、自分の声は低く、冷たく響いていた。
「お前を殺すために、俺たちがこの雨の中を這いずり回ったとでも思っているのか!」
「でも……あなた達は、お金のためなら、殺せと命じられれば、平気でやるんでしょ。それが、あなたたちの仕事なんでしょ!」
俺は少女の細い腕を乱暴に掴み、強引に立たせた。
「ああ、そうだ。俺たちは金のために動く。だが、こんな雨の中を這いずり回り、仲間を危険に晒してまで、ただの死体を運ぶ趣味はない!」
「俺だって、こんな仕事をしたかったわけじゃない。無抵抗なガキを荷物みたいに運ぶために、俺は剣の振り方を覚えたわけじゃないんだ……!」
荒い息を吐き出しながら、俺は吐き捨てるように言った。
「……死ぬつもりなら、勝手にしろ!」
少女が、弾かれたように顔を上げた。
雨音だけが、冷たく二人の間に降り注ぐ。
少女は震えながら、か細い声をもらした。
「勝手に死ねって……そんなの……」
「嫌だ……。まだ死にたくない!こんなところで、終わりたくない!」
俺は、掴んでいた腕をそっと離した。
顔を上げた彼女の瞳にはまだ恐怖が色濃く残っているが、その奥には確かな光が戻っていた。
彼女は震える膝に力を込め、自分の足でしっかりと立ち上がる。
足首から滲んだ血が雨水に洗われ、足元の沢へと流れていった。
「歩けます。置いていかないで」
その言葉に、藪の中からルークがひょっこりと顔を出した。
「おいおいカイル、愛の告白が始まるのかと思ったぜ。まあ、歩く気が戻ったなら万々歳だ」
ルークはいつもの調子で軽口を叩きながらも、手近にあった頑丈な枝を折り、少女の方へと放り投げた。
「ほらよ。この先はもっと足場が悪いぞ」
少女は飛んできた枝を、泥まみれの両手でしっかりと受け止めた。
一歩……。
泥濘に足を取られながらも、少女は自分の足で前へと歩き出した。
主人公は、イゾルデではありません。
カイルです。
迷われた方、すいません。
カイル中心に、この後は話が進んでいきます。




