印刷所の朝
印刷所では、亡くなった男性の弟が機械の前に立っていた。兄が治療を受けて戻ってから、二人で立て直した小さな会社だった。朝になれば納期の迫った注文がある。弟は職人たちを集め、今日の仕事をどう分担するか話した。泣くことも休むことも必要だが、取引先へ渡す約束を無かったことにはできなかった。
兄の机には、紙の仕入れ先と顧客の連絡先が整然と並んでいた。病気の時は文字の読み書きさえ難しかった兄が、回復してから手を入れた帳簿である。弟は頁をめくり、字の癖が変わっていないことを確かめた。机の引き出しからは、兄が孫へ作った小さな絵葉書も見つかった。
午前、取引先から事情を聞いたという電話が続いた。納品を延期してよいと申し出る人もいれば、急ぎの仕事を心配する人もいる。弟は一件ずつ対応し、できない約束をしなかった。職人たちは機械の音を絶やさず、紙の束を運んだ。誰かが欠けたことを埋めるには、まず今ある仕事を見直す必要があった。
昼休み、弟は兄の妻と電話で話した。葬儀の準備について確認し、会社のことは当面自分が見ると伝えた。妻は礼を言ったあと、兄が最後まで仕事の予定を話していたことを教えた。前日に頼まれた紙を、帰りに買って来るつもりだったという。弟は机に置かれた買い物メモを見つめた。
夕方、最初の注文が完成した。弟は束の角を揃え、印刷にずれがないか確かめた。兄ならいつも同じ場所を見たはずだと思い、そこへ目を向ける。機械を止めたあと、仕事場には静けさが戻った。兄が取り戻した時間は終わった。それでも兄が直した帳簿と仕事の手順は、明日の作業へ引き継がれていく。




