記事の余白
鷺沢は遺族の会の世話役へ連絡し、次の取材について相談した。世話役は参加者全員が取材を望んでいるわけではないと答えた。鷺沢は会場へ押しかけず、話したい人がいれば連絡してもらう形を提案した。悲しみの席を記事のために変えるつもりはなかった。
数日後、一人の男性から手紙が届いた。妻を亡くしてから、夕食の献立を決められなくなったという。生前、妻は久世の治療で長く失っていた記憶を取り戻し、二人で同じ料理を作るようになっていた。男性はその時間を良かったと思う一方、結果を知って手術を選んだことへの後悔も消えないと書いていた。
鷺沢は返事を書き、掲載しなくても話を聞けると伝えた。男性が伝えたいことは、久世を許すべきかどうかという結論ではなかった。妻が生きていた日のことを、事件の被害者としてだけ覚えてほしくない。その願いが手紙の行間に残っていた。
手紙の封筒には差出人が迷ったような消し跡があった。鷺沢はその跡を見つめ、文章の外にも長い時間があると感じた。返事の宛名は間違えないよう丁寧に記した。
編集会議では新しい記事の見出しが議論された。強い言葉を使えば人目を引く。しかし患者も遺族も、見出しのための存在ではない。鷺沢は候補をいくつか書き直し、掲載前に取材対象者の範囲をもう一度確認した。事実を伝えることと、知らなくてよい私生活をさらすことは違う。
帰宅した鷺沢は冷蔵庫に残った野菜で簡単な夕食を作った。包丁を動かしていると、手紙にあった献立の話が思い出された。記事を書く人間にも毎日の食事がある。その当たり前のことを、取材する相手について忘れてはならないと思った。




