紙面の片隅
記者の鷺沢は、地域紙の編集部で新しい記事の構成を考えていた。久世の手術を受けた人が生活へ戻っていく様子と、相次ぐ殺人事件。その二つをどう伝えるか、記者たちの意見は割れた。事件だけを大きく扱えば患者の暮らしが消える。回復だけを強調すれば、遺族の悲しみが見えなくなる。
編集長は資料を読み、記事に登場する人の同意を改めて確認するよう求めた。患者は取材を受けたあとで気持ちが変わることもある。公開してよい情報の範囲を曖昧にすれば、住所や仕事先が特定される危険もあった。鷺沢は取材票へ線を引き、余計な固有名詞を削った。
午後、三橋の食堂へ取材の礼を伝えに行った。三橋は厨房で魚を焼いており、妻が席を案内した。記事を読んで来店する人は増えたが、中には顔を確かめるだけの客もいるという。鷺沢は謝り、今後の掲載では必要以上に場所を示さないと話した。妻は「店は隠せませんけどね」と静かに笑った。
鷺沢は会計を済ませると、食堂の入口で立ち止まった。客が出入りするたび三橋の妻が頭を下げている。紙面の写真では分からない、店を続けるための仕事がそこにあった。
鷺沢は料理を注文し、店にいる人々の会話を聞いた。常連は値上がりした野菜の話をし、学生は試験の日程を話している。そこにいる三橋も、ひとりの働く人間だった。取材ノートを閉じた鷺沢は、食べ終えてから三橋へ礼を言った。記事にならない時間にも、生活は続いている。
編集部へ戻ると新しい事件の速報が届いていた。記者たちが動き出すなか、鷺沢はまず警察の確認済み情報を確かめた。被害者の治療歴はまだ公表されていない。推測で結びつけることはできなかった。机の片隅には食堂の領収書が置かれ、その裏へ夕食の感想を書きつけたままだった。




