母と娘の献立
有馬澄江は台所で、昔から作っていた煮物の味を確かめていた。娘の春菜が帰る時刻に合わせ、火を弱めて鍋を置く。手術前は同じ具材を二度入れたり、火をつけたことを忘れたりした。今は献立を考え、買い物の順番を覚えられる。澄江はそれを嬉しく思い、台所の窓を少し開けた。
春菜は仕事帰りに母の好きな菓子を買って来た。見知らぬ番号からの電話は減ったが、完全になくなったわけではない。警察へ相談した記録を残し、必要な着信だけ確認するようにしている。母は娘の顔を見て「疲れた?」と尋ねた。春菜は大丈夫と答えかけ、正直に少し疲れたと笑った。
夕食の間、澄江は近所の園芸会の話をした。以前から誘われていたが、病気で約束を忘れるのが怖くて断っていた。今なら参加できるかもしれないと言うと、春菜は賛成した。しかし夕方に一人で出歩くのはどうかと付け加える。母は箸を置き、誰かと一緒ならよいのかと尋ねた。
澄江は買い物から戻ると、袋の中身を自分で棚へ収めた。春菜はその手順を見守り、以前なら一緒に確かめていた品物を今は母に任せられることを嬉しく思った。
二人は少し黙ったあと、園芸会の代表に活動内容を聞いてから決めることにした。危険が消えるわけではないが、家に閉じこもれば治ったことの意味まで小さくなる。春菜は母の安全を考えながら、母の願いも尊重したかった。澄江は娘の手を握り、ありがとうと伝えた。
食器を片づけた澄江は、翌日の買い物を手帳に書いた。春菜は横で着信記録を確認し、警察へ相談する内容を整理していた。二人の手元には違う紙がある。どちらも今の暮らしに必要なものだった。鍋の底に残った煮物は小鉢へ移され、明日の朝のおかずになった。




