工場の雨音
朝から雨が降り続き、藤倉の工場には濡れた車が次々と運ばれてきた。作業場の床が滑りやすくなり、工場長は入口へ注意札を置いた。藤倉は点検表を挟んだ板を持ち、入庫した車の状態を記録する。昔なら単純に感じた仕事を、今は自分の手で続けられることが嬉しかった。
若い整備士が雨で見えにくい配線の位置を尋ねた。藤倉は照明を移動させ、指で経路をたどった。どの線を先に確認するか説明すると、整備士は自分で作業を始めた。藤倉は必要以上に手を出さず、少し離れたところで見守った。教えることも技術の一つだと、病気で職場を離れてから気づいた。
休憩室のテレビでは、例の杭打ち殺人について短い続報が流れた。捜査に進展はないという。食事をしていた同僚が藤倉を見たが、誰も話題を振らなかった。藤倉は画面の音量を下げず、弁当の蓋を閉じた。事件を知らないふりをする必要はないが、仕事の日の全てを事件に奪われるのも嫌だった。
退勤の確認をする事務員は、藤倉の体調を尋ねた。藤倉は無理をしていないと答え、次に担当する点検表を受け取った。働く時間を管理するのも復帰の大事な一部だった。
工場長は午後の仕事量を確認し、雨が強まれば納車を延期すると決めた。顧客へ電話するのは若い事務員だった。事情を伝えると、相手は安全が先だと了承した。藤倉はそのやりとりを聞き、事故を防ぐ判断に理由があることを思った。自分たちの外にある危険には、準備と相談で減らせるものもある。
退勤時、藤倉は工具箱を棚へ戻した。雨はまだ止まず、駐車場の水たまりに工場の灯が映っていた。迎えに来た妻へ、今日は若い人に配線の見方を教えたと話した。妻は「お給料に先生代を足してもらわないと」と冗談を言った。藤倉は笑い、傘を少し妻の方へ傾けた。




