遅れていた講義
大学では後期の授業準備が始まり、夏歩は履修相談のため研究室を訪ねた。担当教員は復学の書類を確かめ、無理のない科目数を勧めた。以前なら助言を聞いても忘れてしまい、同じ質問を繰り返していた。今は聞き取った内容を整理し、自分に必要な科目を選べる。その変化が夏歩には何より大きかった。
机の上に古いレポートが残っていた。病気になる前に書き始め、結局提出できなかったものだ。夏歩は内容を読み、自分でも驚くほど途中の論理が抜けていることに気づいた。教員は「書き直していい」と言ったが、夏歩は古い紙を捨てずに受け取った。あの時の自分が努力していたことまで消したくなかった。
教室へ戻る途中、友人が学食の席を取ってくれていた。夏歩は授業の相談を終えたことを伝え、ノートを借りた礼を言った。友人は次の課題について話し始めたが、途中で言葉を止めた。手術後の殺人事件を聞いて以来、何を約束してよいか迷っているのだ。夏歩は気づいても、すぐには問い詰めなかった。
午後の自習室で、夏歩は書きかけのレポートを一頁だけ直した。窓の外には体育館へ向かう学生が見え、誰かが笑い声を上げている。生き延びられるか分からない日々の中でも、明日までに提出する文章は完成させなければならない。夏歩は目の前の一文を推敲し、納得してから次へ進んだ。
帰宅後、母が机の上の資料を見て「大学生に戻ったね」と笑った。夏歩は「戻ったんじゃなくて、続き」と答えた。母はその違いに少し驚き、晩ご飯を温めに立った。夏歩は鞄から古いレポートを取り出し、新しい紙の隣に並べた。二つの紙をつなぐ時間を、今は自分の手で書ける。




