未完成の手紙
夏歩は手術を前に、友人へ手紙を書いていた。自分がなぜ治療を選ぶのか、家族とどんな話をしたのか、うまく整理できず何度も書き直した。まだ治療が終わってもいないのに別れの手紙を書くのはおかしい気がした。それでも、言葉が残せるうちに今の気持ちを置いておきたかった。
弟は机の上の紙に気づいたが、中身を読まなかった。代わりに新しい封筒を買ってきた。「書かなくてもいいんじゃない」と言うと、夏歩は首を振った。「書いたら、少し考えがまとまるから」。弟はそれ以上口を出さず、姉の隣で学校の宿題を始めた。紙をめくる音だけが長く続いた。
便箋には、友人と過ごした昼休みのことも書かれていた。教室の窓際で食べたパン、雨の日に貸した傘、試験の結果を笑い合った午後。夏歩はそれらを忘れたくなかった。手術が成功すれば、これから覚えられることは増えるだろう。だがその時間が長く続かないことも分かっている。夏歩は書き直すたびに、別れの言葉より、また会いたいという言葉が多くなっていることに気づいた。
母は病院へ必要な衣類を揃えながら、何度も手を止めた。手術を止めたい気持ちは変わらない。それでも娘が自分で決めたことを、最後まで否定したくはなかった。夕食後、母は夏歩に手術当日も付き添うと伝えた。夏歩は「ありがとう」と答え、封筒を引き出しにしまった。
眠る前、夏歩は予定帳に翌日の持ち物を書き加えた。何か忘れていないか確認し、もう一度見直す。病気の間ずっと続けてきた習慣だった。手術後も同じように書くだろうか。夏歩は分からないまま机の灯りを消した。窓の外から、遅い電車の通る音が聞こえた。




