雨の日の面会
雨が続いた週、久世の病棟では面会の人数が減った。遠方の家族は移動を控え、近所の人も傘を差して来るのをためらった。井沢は病室を巡り、会えない家族への連絡を手伝った。手術を終えた患者は、身体が回復するほど病院の外の生活を気にし始める。元気になったからこそ、取り戻したい予定が増えていった。
三階の病室に入院する男性は、脳の損傷で文字を読めなくなっていた。久世の治療後、新聞の見出しを声に出せるようになった。妻は毎朝新聞を持ってきて、一緒に記事を読む。雨で来られない日は電話で天気の話をした。男性は文字の輪郭を指でなぞり、「ちゃんと読める」と何度も確かめた。
雨の合間、清掃員が病棟の窓の曇りを拭いて回った。ガラスの向こうで道路を走る車が、少しだけ鮮明になった。入院中の男性はその作業を眺め、「外の文字が読める」と嬉しそうに言った。清掃員は事情を知らず、よく見えるようになりましたねと返した。男性は何度も頷いた。大きな病院には患者の名前を知らない職員も大勢いる。その人たちの仕事も、日々の回復を支えていた。
その晩、男性は井沢に、退院したら図書館へ行きたいと話した。家の近くには小さな分館があり、長年通っていたらしい。井沢は体力と生活環境の確認をしながら聞き、退院後の過ごし方を本人と相談した。死の危険があるからと、外出の希望をすべて取り上げることはできない。医療者としての助言と本人の選択は、分けて考える必要があった。
消灯後、井沢は窓に当たる雨の音を聞いていた。病室の内線が鳴り、別の患者から水が欲しいと連絡が入った。彼女は記録を閉じ、廊下へ出た。静かな病棟には機械の音と人の息遣いがあり、誰も事件の話をしない夜にも、看護の仕事は途切れなかった。




