一人分の献立
三橋の小さな食堂が、数か月ぶりに明かりを灯した。常連客がまだ来ない時間に、三橋は仕込み台へ野菜を並べた。発作が治まり、熱い鍋を持つことへの恐怖も減った。妻は入口のガラスを拭き、予約帳に名前を記した。営業再開の知らせを聞いた近所の人々が、祝いの言葉を掛けに来た。
昼の開店直後、最初に入ったのは以前から通っていた運送会社の二人だった。三橋は注文を聞いて、二人の好みを正確に覚えていた。皿を運ぶと一人が「前よりうまい」と言った。三橋は笑いながら「前もこうだった」と返した。店の中に、ごく普通の冗談が戻った。妻は厨房の隅で涙を拭い、次の注文票を取った。
三橋は取材が終わってから、鷺沢へ余った煮物を小皿で出した。味を聞かれると鷺沢は少し困り、ありきたりな感想を言った。三橋は笑って「それでいいんだ」と答えた。特別な言葉を期待しているわけではない。自分が作ったものを誰かが食べ、また来ると約束してくれればよい。鷺沢は皿を空にし、代金を払った。三橋は遠慮せず受け取り、次に出す料理のことを話し始めた。
午後、鷺沢が取材に来た。料理の味について質問すると、三橋は鍋をかき混ぜながら答えた。どんなに良い食材でも、火を急げば台無しになる。料理は、目の前の鍋を見ていなければならない。鷺沢が術後の不安を尋ねると、三橋は手を止めた。「怖いよ。でも、客が来てる間は、まず飯を出さなきゃ」。それから火加減を戻した。
閉店後、三橋は余った材料を整理した。妻は売上を数え、予想より多い客が来たと知らせた。二人は遅い夕食をとり、翌朝の買い出しを相談した。壁には家族が作った再開祝いの紙が貼られている。文字は少し曲がっていたが、三橋はそのままにした。




