専門医の沈黙
久世の手術記録を検討するため、病院は外部の脳神経外科医を招いた。教授の滝川は全国の医療機関で難しい症例を見てきた人物だった。映像を何度も止め、器具の扱いと神経の反応を細かく確認した。映像そのものに偽りはなく、術後の検査値も確かだった。それでも、再現できる方法として理解するには足りない。
「これを他の医師ができると思いますか」。榊原院長の問いに、滝川はすぐには答えなかった。医学は手順を共有し、他者が検証して初めて広がる。久世の治療は結果だけが確かで、同じ操作を真似れば治せると保証できない。滝川は患者に危険を生む模倣が広がることを懸念していた。
滝川は映像の一場面で停止し、別の角度の画像を求めた。久世は保存された記録を示し、術野の状態を説明した。映像を見せることと、理解を移すことは違う。滝川は若い助手が安易に模倣しないよう、研修の扱いも病院へ助言した。会議のあと、助手の一人が「自分にはできません」と漏らした。滝川は「できないと分かることも大事だ」と返した。治せるという結果に、技術者ほど心を揺らされていた。
久世は検討会に出席したが、自分の技術を神秘化するような説明はしなかった。解剖の話をし、画像の読み方を示し、手術で確認した変化を淡々と述べた。滝川は専門家としていくつもの疑問を投げた。答えを聞いてもなお、理解が追いつかない場所が残った。会議室の空気は重く、誰も容易に拍手をしなかった。
帰りの新幹線で、滝川は報告書の冒頭に「観察された回復は否定できない」と書いた。続けて、再現性について追加検証が必要だと記した。久世の患者が殺される問題には、外科医としての自分の知識だけでは踏み込めなかった。車窓には夕焼けの町並みが流れ、診察を待つ患者たちの顔を思い出した。




