手術台の時計
手術室の時計が八時十分を示したとき、久世は器具の並びをもう一度確かめた。執刀を受けるのは四十七歳の整備士、藤倉賢治だった。数年前の脳出血以来、左手の細かな動きが戻らず、工具の重さを測ることさえ難しい。久世の手術を望んだのは藤倉自身で、妻には最後まで反対された。
麻酔科医の野崎は手術開始前に記録用端末を伏せた。「ご家族には説明したんですね」。久世は短く頷いた。野崎は手術に異議を唱えることを諦めていない。だが病院の倫理委員会は本人の意思と治療の効果を検討し、今回の実施を認めていた。手術室の中にいる者は、その判断が後に何を招くか承知している。
術後の説明を聞くため、妻は夕方まで同じ椅子に座っていた。看護師が水を勧めても、何杯飲んだか覚えていない。手術室から誰かが出るたび立ち上がり、違う患者の家族だと知って座り直した。ようやく夫の名を呼ばれたとき、立ち上がる足が震えた。待つあいだ、過去にも未来にも戻れなかった。それでも無事な手術の知らせに、まず胸が軽くなった。
久世の動きには劇的なところがなかった。助手が額の汗を拭う回数も少なく、器械出しの看護師が次の器具を待つ時間も短い。モニターの波形と画像が変わるたび、野崎は息を詰めた。普通なら避けるしかない領域で、久世はそこを傷つけずに手を進めていた。誰も仕組みを理解したわけではない。ただ患者の状態だけが、確かに良い方向へ変わった。
夕方、藤倉は病室で左手の指を一本ずつ動かした。小指が持ち上がると、妻はベッドの柵に額を押しつけて泣いた。本人は笑いもせず、かすかな震えを確かめ続けた。久世は回診で指の動きを見て、仕事への復帰は急がず体力を戻すよう伝えた。妻は礼を言わなかった。言葉にすれば、夫が一年以内に殺されるという約束まで認めてしまう気がしたからだ。




