折り畳まれた地図
有馬春菜は自宅の周辺地図を広げ、母が通る道を赤い線でなぞった。駅から家までの経路、近所のスーパー、通院に使うバス停。安全な道を選びたかったが、どこが危険なのか見当もつかない。母が退院してから、春菜は出勤前にすべての窓を確かめ、玄関の鍵を二度回すようになっていた。
澄江は台所で梅干しを小皿へ移し、娘に弁当を持たせた。忘れていた調味料の置き場所も戻り、家の中を迷うことがない。春菜は母に一人で外出しないでほしいと頼んだ。澄江は頷いたが、庭の鉢植えまで制限されると困った顔をした。「あなたが仕事に行っている間も、私は暮らしているのよ」。春菜はその通りだと思い、余計に怖くなった。
園芸店から帰った澄江は、鉢の置き場所を何度も考え直した。日当たりが良くても風が強い場所は避けたい。春菜はその様子を見ながら、母が先の季節を考えていることに気づいた。花が咲くころの話を、止めるべきなのか。春菜にはできなかった。澄江は台所から古いじょうろを出し、柄の傷を指でなぞった。病気になる前から使っていたものだった。
週末、二人は近くの園芸店へ出かけた。春菜は母の腕を離さず、店員が声をかけるたび身構えた。澄江は赤い花の苗を二つ選び、どこに植えるか楽しそうに話した。会計のとき、春菜は通路の先に立つ人影を見て顔色を変えた。ただ商品を選んでいる客だった。その人は店員に頭を下げ、反対側の出口から帰っていった。
帰宅後、澄江は苗を植木鉢へ移した。春菜は地図を畳んで引き出しに戻し、母と一緒に土を触った。何が危険で何が安全なのかは、まだ分からない。それでも花には水が必要で、夕方になれば洗濯物を取り込まなければならない。澄江は小さなじょうろを娘へ渡し、「明日はあなたがお願いね」と言った。




