返すべき時間
沙織は時計店の預かり品をどう返すか、近隣の商店主と相談した。父が記した修理票は分かりやすく、所有者と連絡先も揃っている。ただ、捜査が終わるまで動かせない品もある。沙織は警察の説明を聞き、返却可能なものから一件ずつ連絡することにした。初めて電話をかけた客は、受話器の向こうでしばらく黙っていた。
藤倉にも連絡が届いた。祖父の時計はまだ修理の途中だったという。沙織は事情を説明し、引き取り方を相談した。藤倉は「急ぎません」と答えた。古い時計を直してもらうつもりで店へ行った日のことを思い出す。河井は病気を治してから、何も特別なことがないように仕事をしていた。だからこそ、知らせを聞いたとき信じられなかった。
沙織は父の仕事帳をめくり、最後の頁に「針を替えない」という書き込みを見つけた。祖父の時計についての指示だった。動いていたころの姿をできるだけ残したいと、藤倉が頼んでいたらしい。沙織はその一文を電話で伝えた。藤倉は「覚えていてくれたんですね」と言い、礼を述べた。
返却の案内を作るため、沙織は父の古いパソコンを起動した。画面には見慣れない表計算の表が並び、修理票と同じ番号が付いていた。父は手書きだけで仕事をしていたわけではなかった。沙織はデータを消さないよう別の場所へ写し、少しずつ使い方を覚えていくことにした。
夜、沙織は商店街の会長へ、店をすぐ売却するつもりはないと告げた。営業を再開できるかも分からない。それでも返すべきものを返すまでは、父の机を片づけたくなかった。会長は手伝えることを尋ね、連絡用の紙を一緒に作ることになった。店の時計は翌日も動いていたが、沙織は針を揃えようとしなかった。それぞれの時計に、持ち主の時間が残っていた。




