相談会の椅子の間
地域の相談会には、患者本人と家族だけでなく、治療を受けた人の遺族も来ていた。田宮は席を特定の立場で分けず、出入口に近い場所にも椅子を置いた。途中で帰ることを止めるつもりはない。会が始まると、ある男性が「救えるなら救うべきだ」と話し、別の女性が「殺されると知っているのに」と返した。どちらも声を荒らげる前に言葉を失った。
かつて夫を亡くした女性は、手術を選んだ夫を今も責められないと語った。退院後に散歩へ出られたこと、孫へ手紙を書けたこと。それらがなかった日々を思うと、受けなければよかったとも言い切れない。隣の男性は目を伏せ、「それでも生きていてほしかった」とだけ言った。田宮はどちらの発言も議事に残した。
休憩では、参加者が紙コップの茶を持って廊下へ出た。年配の男性が、以前受けていた介護サービスの資料を若い家族へ渡した。議論では意見が合わなくても、困っている人を目の前にすれば知っていることを伝えたかったらしい。若い家族は礼を言い、電話番号を控えた。
片づけの途中、一人の女性が座ったまま動けずにいた。田宮が声をかけると、女性は誰とも話せなかったことを気にしていた。参加して聞くだけでもよいと伝えると、女性は小さく礼を言った。会場の隅に置いた椅子は最後まで使われていた。発言しなかった人にも、考えていた時間があった。
終了時刻になっても答えは出なかった。田宮は今日の議論を結論として発表しないと伝え、次回の相談窓口だけ知らせた。片づけの手伝いを申し出る人が二人いた。椅子を重ねながら、一人が「毎回苦しくなるね」と呟いた。田宮は頷いた。会場の照明を落とすと、窓の向こうでは商店街の灯りが一つずつ点いていた。




