窓口の二つの道
市の相談担当である田宮は、病院から届いた案内の改訂版を区役所の窓口へ持って行った。片面には治療を希望する人の支援、もう片面には治療を選ばず生活を続ける人の支援が載っている。窓口の職員は紙を裏返し、どちらを先に見せるべきか尋ねた。田宮は「本人の話を聞いてから」と答えた。紙の順序で選択を促してはいけないと思った。
その日の相談者は、母の病気に悩む会社員だった。父は手術に賛成しているが、母は決めていないという。相談者は公的な制度で何が使えるかを確かめに来た。田宮は介護サービスや就労支援の窓口を案内したあと、医療については病院で十分に説明を受けてほしいと伝えた。行政が患者の命を選び取ることはできない。
昼休み、職員の一人が「こんな説明で足りるでしょうか」と尋ねた。田宮にも自信はなかった。殺害事件が続く一方で、治療の成果は確かにある。どちらか片方だけを見れば、もう片方を必要とする人を置き去りにする。田宮は案内文の文字を少し大きくし、問い合わせ先を見直すことにした。
案内の紙を束ねたあと、田宮は一枚を自分用の鞄へ入れた。窓口を離れた場所でも質問されることがある。公務員として答えられる範囲を越えないためにも、紙に書かれた連絡先を示した方がよい。帰り道、田宮は配布台の減り具合を思い出し、明日の補充分を職員へ頼んだ。
夕方、窓口に残った紙を数えると、手術希望者向けの面だけを取った人はいなかった。皆一枚の紙を持ち帰る。帰宅してから何度も裏返す人もいるだろう。田宮は机を拭き、翌日の分を補充した。庁舎の外では買い物帰りの人々が行き交っている。窓口で決まるのは生活のすべてではない。けれど、明日も来られる場所があることは小さくなかった。




