院長の机
院長室の窓際には、寄付された古い振り子時計が置かれていた。榊原院長はそれを止めたままにしている。大きな音が診療の邪魔になるからだ。久世は向かいの椅子に座り、外来への問い合わせと警察への対応について報告を聞いた。病院には治療希望者だけでなく、手術の中止を求める手紙も届いていた。
「結果が分かっていて続ける以上、病院も責任から逃げられない」。榊原は声を荒らげずに言った。「私たちは患者を治療する機関だ。死を約束する場所ではない」。久世は机の上の手紙へ視線を落とした。封筒の差出人には、かつて自分の患者だった人の家族の名前があった。何を訴えているのか、開かなくても想像はできた。
榊原は机の引き出しから、病院の設立時に書かれた理念を取り出した。患者の尊厳を守る、という短い言葉があった。「尊厳のためだと言えば、何でも許されるわけじゃない」。そう言いながら、榊原は紙を元の場所へしまった。久世は反論しなかった。誰も患者の未来を所有していない。それでも医療者として決めなければならないことがあり、会議はいつも結論より責任を残した。
榊原は医療行為そのものを否定していなかった。手術を受けた患者の病状が治るのは、すべての検査が示している。ただ、その後の殺人は病院の外で発生し、医療機関だけでは防げない。法務担当は説明の方法を見直すべきだと言い、看護部は家族の相談窓口に人員を増やしたがっていた。どの部門も他人事にはしていなかった。
「今の説明を続けるつもりか」。久世は頷いた。「治療を希望する方には、私が知っていることをすべて伝えます」。榊原は長く黙ったあと、会議の日程を決めた。院長室を出ると、廊下の隅で清掃員が床を磨いていた。久世は道を譲り、清掃員は礼を言った。病院の一日は、会議の結論を待たずに続いている。




