買い足した鉛筆
島崎の孫、悠人は祖父が朗読会から持ち帰った原稿を見て、学校の宿題みたいだと言った。島崎は笑って頷き、自分にも練習が必要なのだと答えた。悠人は机から鉛筆を二本持って来て、祖父に一本渡した。父親が夕方迎えに来るまで、二人は居間でそれぞれの文章を読んだ。祖父の文章は随筆、孫の文章は町の歴史についての作文だった。
悠人は祖父が病気だったころ、言葉が通じずに苛立ったことがある。それを思い出したのか、途中で「前に怒ってごめん」と言った。島崎は鉛筆を置いて顔を上げた。「あの時はじいちゃんも怒っていたと思う」と答えると、悠人は首をかしげた。何に怒ったのか尋ねられ、島崎は言いたいことが届かない自分に腹が立っていたと話した。
台所で聞いていた佳代は、二人の会話へ入らなかった。手術の説明書は書棚の引き出しに入っている。いま居間で交わされる言葉がいつまで続くか、考えない日はない。それでも帰ってきた息子へお茶を出し、悠人が書いた作文を褒めた。書き損じの字を赤で直す役目は島崎が引き受けた。
悠人は祖父の声が戻ったことを、友だちへどう説明したらよいか迷っていた。学校では難しい手術の話を詳しく知らない子もいる。島崎は無理に説明しなくてよいと伝え、「今は普通におしゃべりできるよ、で十分だ」と言った。悠人は少し考え、祖父に読んでもらう本の名前を手帳へ書き足した。
帰り支度をする悠人は、鉛筆を祖父に一本残した。「次も使うでしょ」。島崎は礼を言い、先を削って机へ置いた。佳代が夕食の支度を始めるころ、島崎は次回の原稿を開いた。何度も読み返すための紙に、悠人の鉛筆で小さな印を付ける。直すべき箇所があることを、今夜は少しも嫌だと思わなかった。




