読めない献立
真帆の母、由利は夕食の材料を台所へ並べ、娘が病院から帰るのを待っていた。冷蔵庫には大きな文字で書いた献立表が貼ってある。真帆が病気になる前、家族はこんな紙を使わなかった。いまは「味噌汁」の文字の隣に椀の絵が描かれ、冷凍庫の引き出しにも小さな写真が付いている。手伝いを頼みたいのではない。自分で台所へ立ちたがる娘が迷わないようにしたかった。
帰宅した真帆は封筒を食卓に置いた。由利は手術の結果を期待して「先生は何て」と言いかけ、娘の顔を見て口を閉じた。真帆はまず治ると伝え、それから杭による殺害の説明を一行ずつ指で追った。由利は最初、内容を理解できなかった。病気を治したあと、人が殺される。それが一件ではないという話を、食事の支度をしていた自分にどう結びつければよいのか分からなかった。
弟の律が帰ると、三人は椅子を寄せた。律は姉に電話で道を教えることに慣れていたが、今度ばかりは何を言えばいいか見つからなかった。「俺がこれからも案内するよ」とようやく言うと、真帆は礼を言った。ただ、文字を自分の目で読みたい気持ちは消えていないと付け加えた。
由利は真帆が小学生だったころ、初めて一人で料理本を読んで作った卵焼きを思い出した。砂糖を入れすぎて家族全員が笑った。律はその話を聞いて、また食べたいと言った。真帆は「甘すぎるよ」と返し、母と目を合わせた。手術の返事が決まらなくても、昔の失敗なら今すぐ一緒に笑えた。
鍋の湯気が上がり、由利は火を弱めた。献立表には今日の夕食が描かれている。真帆は紙を見つめ、絵があるから分かるのだと笑った。笑ったあと、誰も手術の話を切り出さなかった。食卓の上の封筒を避けながら皿を並べるうち、律が箸を一本落とした。三人が同時に身をかがめ、その拍子に少しだけ笑い声が戻った。




