退院の階段
島崎が退院する朝、佳代は病室の荷物をまとめていた。筆記帳と朗読会の本、家族から届いた写真。どれも入院中に何度も手に取ったものだった。島崎は自分で衣服を畳み、鞄に入れた。言葉だけでなく、何をどこへしまったかも覚えていられる。佳代はその様子を見て、少しだけ肩の力を抜いた。
井沢が退院後の注意事項を説明した。手術で障害は消えても、体力を戻すまで無理をしないこと。必要な検査を受け、困ったことがあれば相談すること。殺人についての説明書も改めて渡された。島崎はすべて読んだあと、署名をした。帰れる喜びと不安が、同じ鞄に収まっていた。
長男が迎えに来ると、島崎は病室から廊下へ歩き出した。入院前には自分の考えを言葉で伝えるのも難しかった。今は歩きながら孫の名前を呼び、次に家族で会う日を相談できる。長男は返事をするたび、父の声が戻ったことを確かめるように頷いた。
島崎は病室の棚の奥から、入院した日に買った筆記具を取り出した。佳代が忘れていたものだ。二人は小さく笑い、家へ帰ってからも使うため、鞄の外側へしまった。
玄関へ着く前、島崎は売店へ寄って小さな菓子を買った。朗読会の仲間に渡すためだという。佳代は数量を数え、足りるか確認した。島崎は「また行くんだから、足りなければ次でいい」と笑った。長男はその会話を聞き、顔を伏せて荷物を持ち直した。
病院の自動扉が開き、外の風が入ってきた。島崎は空を見上げ、家へ帰ったら朗読の練習をしようと話した。佳代は頷き、夫と一緒に車へ向かった。帰り道の交通情報を確認するのは長男の役目だ。車内には、久しぶりに三人の会話が続いた。




