62話 温泉施設プレオープン2
トルネの行く手を阻むように立ち、鋭い眼光でトルネのことをじっと見つめる片眼鏡の老人。
何の意図があってトルネのことを足止めしたのか分からず、警戒しつつ様子を眺めていると、片眼鏡の老人はいきなり深々と頭を下げ、丁寧に礼を述べた。
「ありがとうございました」
「え?えぇっ!?頭を上げてください!!」
流石に急に頭を下げて礼を言われても理由が分からないトルネは動揺を示す。
温泉に満足した礼?
そういえば温泉でもサウナの後で俺に意味深な礼をしてたな。
あの片眼鏡の老人、ただの将棋の優勝者じゃないのかな?
そんな微妙な雰囲気を打ち壊したのは温泉エリアの方からこちらへ向かってきていたラーサンだった。
「おーい。スライムの餌やり終わったぞ。俺がなんです――」
「鉱山」
トルネがそう言った瞬間、背筋を伸ばすラーサン。
せめて愚痴を聞いてから黙らせてあげない?
ナンの自己紹介みたいになってるから。
せめてスライムのスラくらいまでは言わせてあげて。
ってかスライムの餌やりって何!?
スライム飼ってるの!?
……今は流石に聞ける雰囲気じゃないし後で聞いてみよう。
直後、ラーサンは頭を下げている老人を見て、驚いた顔をしてその場から逃げるように去っていった。
やっぱ知り合いだったのか。
「あっ!ちょっと待ちなさい!ラーサン!」
トルネの呼び止めも無視して走り去っていくラーサン。
あの逃げっぷりからするとなにかこの人に対してもやらかしてたのかな?
片眼鏡の老人はラーサンが走りさっていくと、ようやく頭を上げたかと思うと意外なことを口にする。
「ラーサン様はさておき、私の話を聞いていただけますかな。トルネ様」
老人が口にした、ラーサン様という敬称を聞き、一気に場の空気が張り詰めるのを皆が感じた。
急変した空気の中で老人は続けた。
「まずは自己紹介を。私の名はバルモアと申します。現在会頭が不在のグエル商会で会頭代理を務めさせていただいております」
バルモアと名乗った老人がそう告げた瞬間、トルネの表情が一気に真剣な顔へ変わった。
無理もない。
完全な商売敵だし、会頭代理ということはラーサンが会頭を務めていたころからそれに近しい地位に居た人だということだ。つまりラーサンの直参である可能性が高い。
「話を聞かせてください。何故わざわざ私と話を?それにどうして私に先ほど礼を述べたのですか?」
若干の敵意を含んだトルネの質問に対し、バルモアは静かに口を開く。
「順を追ってお話いたします。私はグエル商会の前会頭であるグエル様に数十年程前に命を助けられたことがあります。その後、私は助けてくれたグエル様に忠誠を誓い、グエル様の仕事を手助けするのに注力しておりました。その後、グエル様はその人柄の良さもあり、多くの販路を確保しグエル商会は一代で国内有数の商会と称されるほどに発展することができました」
「先代の人柄の良さと商才の素晴らしさは私も両親から伺い知っています。私も実際に先代には手形の件でお世話になりました。ですが先代の話は今は関係ないでしょう」
トルネの指摘に対し、バルモアは小さく頷き続けた。
「その後、グエル様は良縁にも恵まれ、子宝にも恵まれました。それがラーサン様です。しかしグエル様の奥方はラーサン様を生むと同時に亡くなり、グエル様は忘れ形見のラーサン様を大層可愛がって大切に育てられました。そして昨年、グエル様が病気で突如亡くなりラーサン様が急遽商会を継ぐこととなったのです」
「ですが、甘やかされて育ったからと言って、他者を苦しめるような横暴を働いたり、他者を虐げるような悪事に加担していいことにはなりませんよ?」
トルネがきつい目つきでバルモアを睨みつける。
「ええ。それはもちろんです。私もそう思っております」
「バルモアさん。結局あなたは何が言いたいんですか?ラーサンに同情しろと!?現グエル商会会頭代理であるあなたが、私に頭を下げる理由も、こうしてグエル商会やラーサンの生い立ちを話した理由も理解できません!」
「私は謝罪と感謝、そしてお願いをしにまいりました」
トルネはまだバルモアの真意が分からず、若干眉を顰めながら聞き返す。
「……どういうことですか?」
「先ほど前会頭がラーサン様を甘やかしていたお伝えしましたが、それは私も同じ――いや、私は両親を失ったラーサン様が道を踏み外していくのを見ても叱ることが出来ませんでした。ずっと傍についていたにもかかわらずです。ですのでラーサン様が罪を犯したのも、フランゼ商会に対しこれまで様々な嫌がらせをしてきたこともラーサン様に代わって私が謝罪いたします」
「事情は分かりました。ですが納得はしかねます」
「それで結構でございます。私のことは恨んでいただいて構いません」
「……」
「続いて礼に関しまして。トルネ様、そして丁度この場に居られるクラリス様、両名に心からの感謝を述べさせていただきます」
「私には礼は不要です。ラーサンのしてきたことや性格はどうあれ、その能力は遊ばせておくには勿体ないと思っただけですので」
クラリスは淡々とした口調で返事を返した。
「それでもです。犯罪奴隷は鉱山か戦場送りが基本ですが、それは実質死罪を意味します。ラーサン様が死地送りにならずに済んだのはクラリス様のおかげです。そして少なからず遺恨があるにもかかわらず、ラーサン様だけでなく、他のグエル商会関係者も従業員として受け入れてくださっているトルネ様の心に広さにもとても感謝しております」
「はぁ……。私は心が広いわけではありません。ラーサンが使えないと思ったらすぐに鉱山にでも戦場にでも送り飛ばすつもりですよ?他の犯罪奴隷となった従業員の方を受け入れたのも即戦力が欲しかったからです。商会出身の者であればこの施設を運営する労働力としては申し分ありませんからね。それで?私にお願いというのはなんですか?」
「はい。私はグエル商会の会頭代理を務めさせていただいていると先ほど述べましたが、罪深い私にはグエル様が築き上げた商会を率いるには荷が重すぎます。私は会頭代理の座を降りますので、グエル商会をフランゼ商会に吸収してはいただけませんか」
バルモアの衝撃的な提案に場は静寂に包まれる。
隣にあるプレイエリアで遊戯を楽しむ他の客の声だけが静かに響いていた。
トルネは頭を掻きながら重い口を開いた。
「はぁ。あなたが一体何を願うのかと思えば……。くだらないですね。お断りします」
バルモアはトルネであれば受け入れてくれるかと思っていたのか。面倒くさそうな様子で、ため息まじりに断られたことに多少の動揺をみせていた。
国内最大の販路を持つグエル商会を吸収できるとなれば、どの商会も断る理由などない。それも権利が混在する合併ではなく吸収なのだ。
誰が聞いてもフランゼ商会に一方的に利がある話にしか聞こえないはずだった。
断られて動揺を示すバルモアに、トルネが拒否した理由を突き付ける。
「いいですか?私は商人です。商人とは物事を実利があるかどうかで考えてしまうものなんです。だから先ほどのバルモアさんの提案は受け入れることが出来ません」
どう考えてもフランゼ商会には利が多いはず、なのにどうして、そう考えたバルモアは流石に問い返す。
「グエル商会の販路が得られるとあってもフランゼ商会には実がないと……?」
トルネは小さく首を横に振る。
「違います。販路も従業員も使える者はすべて使いたいのです。ですから私から条件を提示します」
「条件、ですか……」
「グエル商会を吸収するのではなくそのまま残して、フランゼ商会の下部組織として完全な傘下に加わっていただきます。そうなると会頭不在では回りませんよね。ってなわけでバルモアさんの引退も却下です。あなたのような人材を無駄に遊ばせておくつもりはありません。グエル商会を傘下に加えた上で、会頭代理の貴方をこの温泉施設の責任者として雇い入れます。もちろん傘下に入る以上、会頭代理といえど、フランゼ商会の指示には全て従っていただきます。この条件を飲めるなら考えてあげます」
「グエル商会を残し、私にラーサン様の傍でもう一度働ける機会を頂けるとは……」
バルモアは目頭を指で掴み誰にも聞こえないような声で呟いた。
トルネはそんなバルモアの様子に構わず、間髪入れずに問いただす。
「それで?どうするんですか?私の提案を受けますか?受けませんか?」
「……トルネ会頭の提案をすべて受け入れさせていただきます。此度の恩情に報いるため、老骨に鞭を打って誠心誠意務めさせていただきます所存です」
バルモアは、トルネが全てを呑み込んで、利の為といいつつもバルモアとラーサンに恩情をかけたことを理解し、目に涙を浮かべていた。
しかし、トルネは手のひらを前に出しバルモアの表明を一部否定する。
「あ、フランゼ商会の傘下になる以上、鞭は打たなくて結構です。代わりに栄養ドリンクを飲んでもらいます」
トルネさん?それ鞭を打つより過重労働になるやつ。
「栄養ドリンク……ですか?」
……なんか俺、この会話に一言も挟めてないな。
いいところに落ち着いたのかな?
鞭を打たれるよりも大変だと思うけど頑張って、バルモアさん。
「それでもどうしても会頭代理を辞めたいというのであれば、ラーサンが更生して犯罪奴隷としての懲役を終え、グエル商会会頭に復権してからであれば辞めるのを許可します。まぁ辞めた後も私は逃がしませんけどね。その時はとっ捕まえてフランゼ商会に務めてもらいますとも。そして復権したその時はラーサン共々、こきつかってあげます!」
トルネがそういうと、バルモアは涙を浮かべ、一言だけ。
「感謝します……」
と呟いた。
通路の陰に潜み、二人の会話を隠れ聞いていたラーサンはバルモアの想いを知り、これまで自分がしてきたことを鑑みたのか、拳を握りしめ、俯いたまま動かなかった。
フランゼ商会はこうして、グエル商会を傘下に加えられることが決まり、グエル商会がこれまで独自に築き上げてきた流通網も手に入れることとなった。
これにより、名実ともにファーランド王国最大の商会が誕生したのだった。
所持金 金貨47枚 銀貨6枚 黄銅貨7枚 青銅貨3枚
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