第3話:深淵の決戦――排水口ヌメリ討伐と魔の黄昏タイム
幼稚園での『ジュース争奪紛争』を 無事に調停(おやつで買収)。
帰宅を果たした時刻は1730(ヒトナナサンマル)。
ここから夕食完成までの1時間半は、 家庭内における
【魔の黄昏タイム】と呼ばれる 最も危険度の高い時間帯である。
長旅(登園)の疲労により、 要人たち(子どもら)の精神メーターは底をつき、
些細なきっかけで【理由なき暴走(イヤイヤ期)】が 発動するリスクが
跳ね上がるのだ。
「ママぁー! お腹すいたー!」 「アイス! 今すぐアイス食べるのー!」
「待ちなさい、今から夕飯を作るわ。
ポテトチップスで飢えを凌ぐのは禁止です!」
要人たちの暴動を言葉の迎撃ミッションで抑え込みつつ、
私は司令部のシンクへと向かう。
だが、夕食の調理に取りかかる前に、 避けては通れない『深淵の敵』が
立ちはだかっていた。
排水口の奥底に潜む、暗黒の生命体――
『ヌメリ&生ゴミの魔物』である。
昼間の調理くずと湿気が生み出したこの邪悪な物体を 放置したまま
夕食作りに突入すれば、 悪臭という名の化学兵器が蔓延し、
キッチン全体の衛生環境が崩壊する。
「……行くぞ。塩素系漂白剤、装備」
私はビニール手袋を装着し、 液体スプレーという名の聖水を構えた。
シュッ! シュッ!
シンクの奥深く、深淵の闇に向かって 聖水を容赦なく噴射する。
ツンと鼻をつく刺激臭。
それは闇の勢力が浄化されていく証だ。
「5分間の放置時間を置く。 その間に夕食『豚の生姜焼き作戦』を開始!」
排水口の浄化と並行して、 私はフライパンを熱し、昼間に激戦の末 獲得した
『半額の豚肩ロース』を投入する。
ジュワァァァ……!
香ばしい醤油と生姜の香りがキッチンを満たしていく。
「お肉のいい匂いー!」
リビングで暴れていた要人たちが、 肉の香りに誘われてキッチンへと
吸い寄せられてきた。
食欲という本能を刺激し、 暴動の気配を鎮圧することに成功!
すかさず、浄化の終わった排水口へ 大量の温水を叩き込む!
ドババババ……!
「ぬめり討伐完了!」
ピカピカに輝くシンク。
完璧に焼き上がった豚の生姜焼き。
時計の針は1830(ヒトハチサンマル)を指していた。
「ご飯できたわよー!」
食卓に群がる家族たち。
長男と長女が「おいしい!」と頬張り、 遅れて帰宅した夫が
「ふぅ……家の中が綺麗だと落ち着くなぁ」と のんきに笑う。
その綺麗な空間を保つために、 裏でどれほどの特殊作戦が展開されたか、
彼らは知る由もない。
(フッ……知らなくていい。 我が家の平和が保たれているなら、それで……)
私が安堵の溜息をつき、 ようやく椅子に腰掛けようとした、その時――。
バシャァァァン!!
「あ……メイちゃん、お茶こぼしちゃったぁ……」
長女の手から滑り落ちたコップ。
テーブルから床へと広がる、深緑の日本茶の大海原。
「――オールグリーン(全域汚染)確認! 雑巾部隊、直ちに出動せよ!!」
専業主婦の戦場に、ノーサイドの笛は鳴らない。
夜の第二波(お風呂・寝かしつけ)に向けて、
私は再び立ち上がるのだった――!
(第1章 第3話 終わり)
第3話もお読みいただき、ありがとうございます
夕方の「ご飯作らなきゃいけないのに子どもがぐずる」
「なぜかこのタイミングで排水口が気になる」
「そして畳みかけるようにお茶がこぼれる」
という怒涛のピタゴラスイッチ(いわゆるマーフィーの法則の一種)、
(洗濯すれば雨が降る、という)
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