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冥府令嬢の天秤1〜三途の川からお嬢様女子大生へ!冥界エリートの華麗なる事件簿〜  作者: たくみふじ
第一章 お嬢様は元・死者の案内人

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黒塗りベンツと不思議な胸の鼓動㈠

三途の川の『奪衣婆だつえば』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?

 小鳥の甲高い(さえず)りと、木々の葉が風に揺れて擦れ合う微かな音が、エバの意識を深い眠りの底からゆっくりと浮上させた。

 重いシルクのカーテンの隙間から、容赦なく突き刺さってくる朝の陽光が、彼女の網膜をチカチカと刺激する。エバはゆっくりと重いまぶたを押し上げ、見慣れない豪奢(ごうしゃ)な天蓋付きのベッドの天井をぼんやりと見つめた。

 三途の川のほとりは、完璧な静寂に支配された世界であった。川の流れや、渡し船が櫓をこぐ音さえ一切存在しない。無色であり、ただ白と黒だけが存在する空間。無臭であり、いかなる痛みも存在しない。気温や湿度、明暗を意識することはなく、季節の移ろいもなければ朝昼晩という時間の概念すらなかった。ましてや、睡眠をとるという行為自体が、彼女にとっては完全に未知の体験であった。住まいという概念すらない冥界において、意識を意図的に途切れさせ、肉体を無防備な状態に(さら)す「眠り」というシステムは、最初こそ魂のバグのように感じられてひどく恐ろしかった。

 しかし、今こうして目覚めてみると、昨日まで全身を支配していた鈍い疲労感や、初めての人間界での生活による精神的な摩耗が、まるで嘘のように消え去っていることに気がついた。関節を伸ばすとポキポキと小さな音が鳴り、温かい血液が全身の血管の隅々にまで勢いよく巡っていく感覚がはっきりとわかる。


(なるほど。意識を強制的にシャットダウンすることで、肉体と魂の修復を行うというわけね。ひどく非効率的で無防備なシステムだと思っていたけれど、このスッキリとした目覚めの感覚は、思いのほか悪くないわ)


 エバはふかふかの巨大なベッドの上で大きく背伸びをすると、ふと自分の手のひらを見つめた。透き通るような白い肌。細くしなやかな指先。それは、間違いなく菱倉新子という二十歳の令嬢の肉体であった。体温があり、脈を打っている。自分が本当に、あの無味乾燥な冥界から、色彩と欲望にまみれた人間界へと放り出されてしまったのだという事実を、エバは改めて噛み締めていた。

 コンコン、と控えめで上品なノックの音が部屋に響き、専属のメイドが朝の身支度を手伝うために静かに部屋へ入ってきた。


「新子お嬢様、おはようございます。今朝のお加減はいかがでしょうか?」


 メイドは(うやうや)しく頭を下げ、ワゴンに乗せた温かい紅茶のカップをサイドテーブルに置いた。芳醇(ほうじゅん)なアールグレイの香りが部屋いっぱいに広がる。


「ええ、とても良いわ。ありがとう」


 エバは、新子の記憶と天使養成校で学んだ完璧な所作を融合させ、非の打ち所のない令嬢の微笑みを浮かべて応えながら、ベッドから降りた。メイドが備え付けの巨大なウォークインクローゼットを開け、今日大学へ着ていくための衣服をいくつか見繕ってくれる。ずらりと並んだ高級ブランドのワンピース、ブラウス、スカート、そして色とりどりの靴や装飾品の数々に、エバは内心で大きなため息をついた。

 汗も出ず汚れることもないため、服を着替えるという概念自体がなかった冥界とは違い、人間界では毎日違う衣服を身に(まと)い、他者からの評価を常に気にしなければならない。お金がないと飲食も衣服も住まいも得ることが出来ないという、ひどく不思議で物質的な世界だ。幸いなことに、この菱倉新子という令嬢は、昭和初期まで財閥と呼ばれた家系であり、欲しいものは何でも手に入る環境にあったため、衣服の調達に苦労することはない。

 エバはメイドが選んだ、上品なネイビーのワンピースに袖を通し、鏡台の前に座った。メイドが高級な獣毛のブラシで彼女の長い黒髪を()かし、メイクの準備を始めるのを、エバは静かに手で制した。


「メイクは自分でやるわ。あなたは下がっていてちょうだい」


「かしこまりました。では、一階のダイニングルームに朝食の準備を整えてお待ちしております」


 メイドが深くお辞儀をして退室し、一人になった部屋で、エバは鏡に映る自分自身の顔をじっと見つめ直した。

 艶やかなカラスの濡れ羽色をした長い黒髪と、透き通るような白い肌。切れ長で涼しげな瞳。容姿端麗な令嬢の顔立ちだが、エバの厳しい目から見れば、まだ「完璧」には程遠かった。

 エバの本来の姿は、誰もが息を呑むほど容姿端麗なツンデレ系の美女である。「老女の鬼」というのは人間界からの勝手な想像に過ぎない。そして彼女は、女性や子供の守護神という側面も持っており、歯の痛みを癒やし、容貌を美しくするという、歯科や美容整形、化粧、スタイリスト等に極めて長けているという特殊な能力が備わっているのである。

 彼女は鏡台の上に並べられた無数の化粧品を手に取ると、流れるような、そして洗練され尽くした手つきでメイクを始めた。どのアイテムを、どの角度で、どれくらいの量だけ使えば最も効果的に美しさを引き出せるか。彼女の異能はそれを直感的に、そして完璧に理解していた。

 肌の微細な凹凸を整え、陶器のようになめらかな質感を作り出す。切れ長で涼しげな瞳をより印象的に、かつ意志の強さを感じさせるようにアイラインを緻密に引き、唇にはほんのりと血色を感じさせながらも、決して下品にならない上品なローズ系のルージュを乗せる。

 ほんの数分の作業であった。しかし、鏡の中の菱倉新子は、以前の(はかな)げで、どこか周囲の言いなりになりそうな「守ってあげたくなるようなお嬢様」から、誰もがひれ伏したくなるような近寄りがたい凄みと、圧倒的な美しさを放つ気高い令嬢へと、劇的な変貌を遂げていた。


(ふふっ、悪くないわね。天使養成校で徹底的に学んだ『完璧なる美の体現』に比べれば、人間の化粧術や道具など児戯(じぎ)に等しいけれど、私のこの能力は人間界で生きていく上でかなり役に立ちそうだわ。人は見た目の美しさとオーラに容易(たやす)く支配される生き物だもの)


 エバは満足げに微笑むと、部屋を出て一階のダイニングルームへと向かった。

 豪勢な朝食を済ませたエバは、玄関の車寄せで待機していた黒塗りのメルセデス・ベンツに優雅な動作で乗り込んだ。運転席には、昨日と同じく専属運転手の河上啓祐が背筋を伸ばして座っている。


「おはようございます、新子お嬢様。今日からいよいよ大学への復学ですね。くれぐれもご無理はなさらぬよう、少しでもお疲れを感じたらすぐにお迎えに上がりますから」


「おはよう、河上さん。ありがとう、でも心配はいらないわ。安全運転でお願いするわね」


 車は滑るように静かに発進し、横浜の美しい街並みを縫うように走っていく。芦屋の高級住宅街の鬱蒼(うっそう)とした木々を抜け、なだらかな丘を登っていくと、次第に異国情緒が色濃く残る朱鳥二番地のエリアへと入っていく。車窓からは、元町公園の豊かな緑や、歴史の重みと静寂を感じさせる外国人墓地、そして海風が心地よく吹き抜ける港の見える丘公園が見えた。この高台のエリアは、周囲に「お嬢様学校」と称される名門校が三校も集まっており、まさに深窓の令嬢たちが集う、俗世から切り離された花園であった。

 やがて、重厚なレンガ造りの正門が見えてきた。朱鳥女子大学である。

 車寄せでベンツが静かに停まると、周囲を歩いていた学生たちの視線が一斉にこちらへ向けられるのを、エバの肌は敏感に感じ取った。後部座席のドアが河上の手によって開かれ、エバが気品に満ちた優雅な動作で車から降り立つと、周囲の視線は驚きと羨望、そして(かす)かな戸惑いの入り混じったものへと一瞬にして変わった。


「嘘、あれって菱倉さんよね……?」


「あんな恐ろしい転落事件があったのに、もう復学したの? 信じられない」


「でも、なんだか雰囲気が全然違わない? 以前よりすごく綺麗というか……なんていうか、オーラが桁違いよ。ちょっと近寄りがたいくらい」

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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