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冥府令嬢の天秤1〜三途の川からお嬢様女子大生へ!冥界エリートの華麗なる事件簿〜  作者: たくみふじ
第一章 お嬢様は元・死者の案内人

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未知なる「人間」という不便な生き物㈢

三途の川の『奪衣婆だつえば』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?

 エバは、これ以上この「食」の快楽に溺れれば、修羅道(しゅらどう)餓鬼道(がきどう)に落ちる者たちの底知れぬ欲望に自分自身も染まってしまうのではないかという微かな恐怖を覚えながらも、次々と運ばれてくる魅惑的な皿から手を止めることができなかった。

 そして、それに伴う排泄と清潔の維持もまた、彼女を悩ませる大きな種であった。

 晩餐を終えたエバは、自分の寝室に隣接する豪華なバスルームで、大きなため息をついていた。

 大理石で作られた広々としたバスタブには、適温の湯がたっぷりと張られ、優雅な薔薇の香りのする高級な入浴剤が溶かされている。


「お嬢様、お背中をお流しいたしましょうか?」


 専属のメイドが控えめに、そして(うやうや)しく声をかけてきたが、エバは顔を真っ赤にしてそれを追い出した。


「け、結構よ! 一人で入れますから、あなたは下がっていなさい! 絶対に覗かないでよ!」


 メイドが不思議そうな顔をして退出したのを確認し、厳重にドアの鍵をかけると、エバは再び大きなため息をついた。


「本当に、人間というのはなんて不便で、面倒くさくて、泥臭い生き物なのかしら……」


 冥界は菌やウィルスが存在しない極めて衛生的な環境であり、汗もかかなければ皮脂も分泌されない。そもそも「汚れる」という概念が存在しないため、洗顔や洗髪、洗体といった行為は一切不必要だったのだ。服を着替える必要すらなかった彼女にとって、毎日毎日、自分の肉体を衣服から解放し、布で(こす)り、泡で洗い流すという作業は、非効率の極みであった。

 しかし、人間界の空気は埃にまみれ、食事をすれば体は熱を持ち、わずかに汗ばむ。放っておけば体は不潔になり、悪臭を放つようになるというのだから、耐えられない。

 エバは渋々ながら衣服を脱ぎ、恐る恐るバスタブに足を踏み入れた。


「あつっ……! でも……悪くないわね……」


 温かな湯が、緊張で強張っていた全身を優しく包み込む感覚。それは、無痛で気温の変化もなかった冥界では決して味わえない、不思議な心地よさだった。凝り固まった筋肉がゆっくりとほぐれ、血流が良くなっていくのが、皮膚を通して明確にわかる。

 エバは備え付けの高級シャンプーを手に取り、不器用な手つきで自分の長い黒髪を洗い始めた。泡立てて汚れを落とすという行為自体が初めてだったが、新子の肉体が持つ無意識の記憶と習慣が、看護師の介護の記憶が、彼女の動作を自然とサポートしてくれた。


(それにしても、この人間の体は本当によくできているわ。空腹になれば胃が鳴り、食べたものは消化されて排泄される。暑ければ汗をかいて体温を調節し、疲労すればこうして休息を要求する。すべてが無秩序で非合理的に見えて、実は完璧な法則に従って動いている。……まるで、一つの小さな宇宙ね)


 天使養成校で学んだ「宇宙の調和」を思い出しながら、エバはふと自分の左胸に手を当てた。

 トクン、トクンと、規則正しく力強い鼓動が、手のひらに伝わってくる。

 この体は、確かに生きている。そして、誰かによってその命を無惨に奪われそうになったのだ。


「絶対に許せないわね」


 エバは湯船の中で、鋭く、そして冷酷に目を細めた。

 奪衣婆として、冥府のシステムの一部を担い、罪を裁く予備審問の役割を果たしてきた彼女にとって、私利私欲のために他者の命を平然と奪おうとする行為は、最も醜く、許しがたい「不協和音」であった。


「私を突き落とした犯人が誰かはまだ確定していないけれど、あの勉叔父様たちの態度を見る限り、菱倉家の財産や権力争いが絡んでいるのは間違いないわね。金銭欲、嫉妬、傲慢……人間の抱える陳腐で下等な欲望の典型例だわ」


 エバはザバッと音を立てて湯船から立ち上がると、曇った鏡を手のひらで(ぬぐ)い、そこに映る濡れた自身の姿を真っ直ぐに睨みつけた。


「いいわ。この奪衣婆のエバ様が、人間界のルールに(のっと)って、その薄汚い魂の皮を一枚残らずひん剥いてあげる。私が地獄の何たるかを、たっぷりと教えてやるんだから覚悟しなさい!」


 入浴を終え、メイドが用意してくれた肌触りの良い最高級シルクのネグリジェに身を包むと、エバは自分の寝室のふかふかの巨大なベッドに潜り込んだ。

 これもまた、彼女にとって完全に未知の体験であった。「睡眠」をとることも、「住まい」を持つという概念もなかった彼女は、横になって目を閉じるという行為に激しい戸惑いを隠せなかった。意識を失うということは、無防備になるということだ。死神たちであれば、決して許されない行為である。

 部屋の明かりが消され、深い静寂が訪れる。

 しかし、その静寂は三途の川の無機質で圧倒的な静けさとは違っていた。遠くで聞こえる微かな車の走行音、風が庭の木々を揺らす葉擦れの音、そして自分自身の規則正しい寝息。それらが妙に心地よく、エバの意識は徐々に、(あらが)いがたい微睡(まどろ)みの底へと引っ張られていった。


(意識が薄れていく……これが、眠るという現象。魂の活動を停止させるバグのようなものだと思っていたけれど、悪くない……。温かくて、安心できて、不思議と満たされる……)


 エバの脳裏に、ふと閻魔大王の不器用な顔が浮かんだ。

 硬直化したシステムに苛立ち、自分を不憫に思ってこの世界へ送り出した、哀しき統治者であり元夫。


(バカ閻魔……私、もう少しこの世界で頑張ってみるわよ。この不便で、面倒くさくて、欲にまみれた……でも、少しだけ愛おしい世界でね)


 それは、冥界のエリート官吏が、初めて「人間」としての生を肯定し、受け入れた瞬間だった。

 翌日からは、いよいよ因縁の朱鳥女子大学への復学が待ち受けている。親友や幼なじみ、そして彼女を突き落とした憎き犯人が潜む、華やかで危険なキャンパスライフ。

 エバの意識は、深い眠りの闇の中へと静かに溶けていった。明日から始まる、未知なる人間界での華麗なる闘いに備えるかのように。

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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