未知なる「人間」という不便な生き物㈡
三途の川の『奪衣婆』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?
剛志が落ち着いた声で窘めると、剛蔵は「おお、そうだな、そうだった」と慌てて体を離した。
しかし、その温かく幸福な家族の輪から少しだけ離れた場所で、冷ややかでねっとりとした視線を送ってくる者たちがいた。エバの鋭い感覚は、玄関に足を踏み入れた瞬間から、彼らの放つ異質な空気を正確に捉えていた。
別邸に住む、祖父の妾である小嶽雪美の息子、すなわち新子の叔父にあたる専務の勉。そして、勉の息子であり外商部で働く友貴哉。さらに、朱鳥女子大学の三回生であり、新子にとっては直属の先輩にして従姉にあたる香々美の三人である。
「退院おめでとう、新子ちゃん。本当に奇跡的な回復力だね。おじさんも心から安心したよ」
勉が、口元だけを三日月型に歪めて笑いながら歩み寄ってきた。高級なスーツを着こなしてはいるが、その笑顔の裏に隠されたどす黒い感情を、エバの目は決して見逃さなかった。
エバは奪衣婆である。三途の川のほとりで、数え切れないほどの亡者の衣を剥ぎ取り、そこに染み付いた罪の重さを量ってきたプロフェッショナルだ。彼女には、人間界での覚醒能力として、善人と悪人を見分け、その魂にこびりついた悪の重さを正確に量ることができるという恐るべき異能が備わっていた。
エバの目に映る勉の魂からは、強烈な「金銭欲」と「権力欲」の腐臭がヘドロのように立ち上っていた。人間界の犯罪の多くは、金銭や経済的利益を得たいという強欲から生まれる。勉の妻は過去に謎の死を遂げており、一部では自殺ではないかと囁かれているという黒い噂があるが、エバはこの男の魂の淀みを見た瞬間、その死が単なる自殺などではないことを直感した。
そして、隣に立つ友貴哉からは、他者を見下す「自己顕示欲」と「傲慢」のオーラが、さらにその後ろに立つ香々美からは、新子に対するドロドロとした「嫉妬」の感情が、それぞれまとわりつくように渦巻いていた。
(なるほどね。見事なまでの悪人揃いじゃない。もしこの三人が今すぐ死んで三途の川にやってきたら、間違いなく渡し船には乗せずに、重罪人として縄錠をつけて地獄行きの船に蹴り落としてやるレベルだわ。特にあの香々美とかいう小娘の嫉妬心は、見ているだけで吐き気がするわね)
エバは内心で冷たく毒づきながら、表向きは恭しく、そして非の打ち所のない完璧なカーテシーで頭を下げた。
「ありがとうございます、勉叔父様。友貴哉お兄様も、香々美お姉様も、わざわざお出迎えいただき恐縮ですわ」
「ふふっ、本当に良かったわね、新子。大学のみんなも、あなたのことをとても心配していたのよ? 特に、あなたが突き落とされたあの屋上は、今でも警察の立ち入り禁止テープが張られたままだし。あんな恐ろしい経験をしたのだから、無理して大学に戻らなくてもいいのよ?」
香々美が、いかにも親身になって心配しているような甘い声色を作りながら歩み寄ってきた。しかし、その実、わざと「突き落とされた屋上」や「恐ろしい経験」という言葉を強調することで、新子の心にトラウマを植え付け、恐怖心を煽ろうとする明確な悪意があった。
その底意地の悪さと、見え透いた浅薄な心理操作に、エバは思わず鼻で笑いそうになるのを必死に堪えた。
(本当に小物ね。自分の醜い嫉妬心を隠し切れてもいないくせに、賢いフリをして相手をコントロールしようだなんて。天使養成校の教官が見たら、調和も美しさの欠片もないと一蹴して、即座に不合格の烙印を押すでしょうね)
以前の菱倉新子であれば、この露骨な悪意とトラウマの刺激に怯え、顔を青ざめさせてしばらくは部屋に引きこもってしまったかもしれない。しかし、今の彼女の中身は、冥界のエリート官吏であり、あらゆる悪事の方法を知り尽くした奪衣婆である。人間の小賢しい嫌がらせなど、文字通り児戯に等しかった。
「ご心配をおかけしました、香々美お姉様。でも、私はもうすっかり大丈夫ですの。むしろ、すぐにでも大学に復帰して、休んでいた分の学業を取り戻さなくてはなりませんわ。それに……私をあんな目に遭わせた犯人が、まだのうのうとキャンパスを歩いているかもしれないと思うと、早く自分の目で確かめたくてウズウズしてしまいますの」
エバが、わざと少しだけ凄みを利かせ、切れ長の瞳で香々美を真っ直ぐに見据えて言い放つと、香々美の顔がわずかに、しかし確実に引きつった。その隣で、勉と友貴哉の表情も一瞬だけ硬直したのを、エバは見逃さなかった。
(ビンゴね。この三人のうちの誰か、あるいは全員が、私が突き落とされた事件に深く関わっている。私が死の淵から蘇ったことが、彼らにとってはとてつもない誤算だったというわけね)
その日の夜。
菱倉家の広大なダイニングルームでは、新子の退院を祝うための豪勢な晩餐会が開かれていた。長大なマホガニーのテーブルには純白のクロスが掛けられ、磨き上げられた銀の燭台が柔らかな光を落としている。そして、専属のシェフが腕を振るった最高級のフランス料理が、まるで芸術品のような皿に盛られて次々と運ばれてきた。
病院での食事で「味覚」という強烈な快楽をすでに知ってしまったエバであったが、菱倉家の財力を結集した晩餐は、その次元をさらに超えていた。
(な、何なのよ、この複雑で暴力的な味わいは……!)
フォアグラのテリーヌを一口含んだ瞬間、エバは内心で大きく目を見開いた。舌の上でとろけるような濃厚な脂の甘みと、トリュフの芳醇で退廃的な香りが鼻腔を抜け、脳の深部を直接痺れさせる。病院の食事が「生の喜び」を教えるものだとしたら、目の前のこの料理は、人間を堕落させる「甘美な毒」そのものであった。
冥界の三途の川では、飲食という概念が存在しないだけでなく、そもそも他者とテーブルを囲んで時間を共有するという文化すら存在しない。天使養成校では、私情を交えず完璧な調和を保つことだけが求められていた。しかし今、目の前では祖父の剛蔵が上機嫌で高級なワイングラスを傾け、勉叔父たちが腹の底を探り合うような薄気味悪い愛想笑いを浮かべながら、共に同じものを胃の腑に収めている。
「新子、このコンソメスープは特別に滋養がつくように作らせたんだ。残さず飲みなさい」
「ありがとうございます、おじいさま。とても美味しいですわ」
エバは、新子の肉体に染み付いた完璧なテーブルマナーで優雅にスープにスプーンを運びながら、人間の「食」が単なるエネルギー補給ではなく、権力の誇示や欲望の共有、さらには関係性の構築という、ひどく泥臭くも複雑な儀式であることを理解し始めていた。
(人間って、本当に強欲で面倒な生き物ね。……でも、このソースの味は悔しいけれど絶品だわ)
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




