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冥府令嬢の天秤1〜三途の川からお嬢様女子大生へ!冥界エリートの華麗なる事件簿〜  作者: たくみふじ
終 章 新たなる影

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平和な日常の裏で嗤(わら)うもの㈠

三途の川の『奪衣婆だつえば』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?

 朱鳥女子大学のキャンパスは、穏やかな冬の陽だまりに包まれていた。

 講義の合間、イチョウの枯れ葉が舞うレンガ造りの小道を、学生たちが楽しげな笑い声を上げながら行き交っている。どこにでもある、そして何事にも代えがたい、平和で愛おしい日常の風景だ。

 エバ――菱倉新子は、そんな光景を窓越しに眺めながら、アンティーク調の革張りソファに深く腰を沈めていた。

 ここは、一般の学生は滅多に足を踏み入れることのない、旧館の最上階。若き天才と名高い油江颯の『犯罪心理学研究室』である。


「……何をそんなに嬉しそうに見ているんだい? まるで、初めて外の世界を知った箱入り娘のような顔をして」


 背後から聞こえたベルベットのような低い声に、エバはゆっくりと振り返った。

 白衣ではなく、仕立ての良いスリーピースのスーツを隙なく着こなした油江が、淹れたてのアールグレイが香るティーカップを二つ、ローテーブルの上にコトリと置いたところだった。


「箱入り娘、あながち間違っていませんわ」


 エバは優雅に微笑み、ティーカップの縁にそっと指を添えた。


「何千年も、色も音もない灰色の無菌室で、ただ魂の罪を計るだけのシステムとして生きてきたのですもの。……こうして温かい陽の光を浴びて、冷たい風に身をすくませて、紅茶の良い香りに胸を満たされる。その一つ一つが、私にとっては新鮮な奇跡のようなものですわ」


 冥界への帰還命令を退け、閻魔大王との新たな契約――『悪魔狩人(デーモンマタギ)』としての過酷な使命を背負うことと引き換えに、現世での生を勝ち取ったエバ。

 しかし、その重い裏の顔を、彼女はこの平和な光の世界の住人たちには一切明かしていない。油江にも、真喜にも、彼女はただ「冥界の掟を退けて、あなたたちのいる人間界に残ることを選んだ」とだけ伝えている。


「奇跡、か。……物理学や論理学を信奉する私としては、本来なら鼻で笑って切り捨てる言葉だがね」


 油江は自らのカップを手に取ると、エバの隣のスペースへと、音もなく腰を下ろした。

 一人用のソファに二人で座るには、あまりにも距離が近すぎる。油江の長く美しい脚がエバの膝に触れそうになり、彼から漂うほろ苦いブラックコーヒーと微かなシガーの香りが、アールグレイの香りを塗り潰すようにエバの鼻腔を支配した。


「き、教授……? あの、向かいにも席が空いておりますけれど」


「君を私の視界の隅々まで収めるには、この距離が一番最適なんだよ。……それに、君のその人間らしい『動揺』を観察するのは、私の密かな楽しみでもある」


 油江は意地悪く口角を上げると、空いている方の手を伸ばし、エバの頬にかかっていた長い髪を、指先で優しくすくい上げて耳にかけた。

 ひんやりとした大人の男の指先が、首筋に微かに触れる。

 ドクン、とエバの心臓が大きく跳ね、顔にカッと熱が集まるのが自分でもわかった。


「っ……! からかわないでくださいませ」


「からかってなどいないよ。私は至極真面目に、君という存在を解剖したいと願っている。……冥界の冷徹な執行官だった君が、今では私に触れられただけで、こうして体温を上げ、頬を赤く染めている。人間という不完全な器に宿ったことで、君の魂は実に愛おしく、(もろ)く変化した」


 油江の瞳の奥で、知的な探求心と、危険なほどの独占欲が交錯して燃えている。


「……もう、君はあの地獄には帰れない。君の抱える闇の底まで付き合えるのは、私だけだ。……あの騒がしいゴールデンレトリバー君には、君のその熱を冷ますことはできないよ」


 吐息が触れ合うほどの至近距離で囁かれる、甘く、そして理路整然とした独占の宣言。


(ああ……本当に、この人は……)


 エバは目を伏せ、胸の奥で激しく暴走する恋のバグを必死に抑え込んだ。

 悪魔を狩るという血生臭い使命を隠し持っているエバにとって、油江のこの危険な大人の魅力は、ある意味でどんな魔物よりも手強い。


「……私の熱を冷ませるのは、美味しい紅茶とケーキだけですわ。教授、今日の茶菓子は用意してくださっていないの?」


 エバは必死に話題を逸らし、令嬢らしいツンとした態度を装って見せた。


「ふっ……逃げ足の速さも人間らしくなったね。よろしい、君の甘いものへの執着心には降参だ。冷蔵庫に、君のお気に入りの店のマカロンがある。取ってこよう」


 油江が苦笑交じりに立ち上がり、部屋の奥にある小さなキッチンスペースへと向かう。

 エバはほっと息を吐き出し、熱くなった頬を両手でパタパタと扇いだ。平和な日常の裏で繰り広げられる、この甘く焦れったい攻防戦。これこそが、彼女が地獄の底を蹴ってまで手に入れたかった「生きている証し」なのだ。

 しかし。

 マカロンの箱を手に戻ってきた油江の顔から、先ほどまでの甘い余裕が消え、犯罪心理学者としての冷徹な「仕事の顔」へと切り替わっていることに、エバはすぐに気がついた。


「どうかなさいましたの、教授?」


「……いや。君の顔を見ていたら、少し『引っかかっていたこと』を思い出してね」


 油江はマカロンの皿をテーブルに置くと、自らのデスクから一冊の黒いファイルを取り出し、エバの前に広げた。

 そこには、特捜部に逮捕された勉と、精神の崩壊状態にある香々美の、警察での調書のコピーや、油江自身が行った心理鑑定のデータがびっしりとファイリングされていた。


「事件は解決し、菱倉という一族の闇は完全に白日の下に晒された。勉も香々美も、自らの罪を認め、しかるべき法の裁きを受けることになる。……だがね、エバ。彼らの心理データを解析すればするほど、私の脳内で一つの『ノイズ』が鳴り止まないのだよ」


 油江は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、鋭い視線をデータに落とした。


「ノイズ、ですか?」

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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