閻魔大王からの「第三の選択肢」㈠
三途の川の『奪衣婆』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?
圧倒的な光と闇の奔流が、エバの視界を真っ白に塗り潰した。
肉体という重く不自由な殻から魂が引き剥がされる感覚は、まるで深海から水面へと一気に浮上するような強烈な酩酊と、身を切るような喪失感を伴っていた。
「真喜さんッ! 教授ッ!」
エバは奔流の中で必死に手を伸ばした。
最後に見たのは、自分の魂を現世に繋ぎ止めようと、不可視の魔方陣めがけて無謀にも飛び込んできた二人の男の姿だった。
しかし、彼らの指先がエバの魂に触れる直前、冥界の絶対的なシステムが彼らの物理的な肉体を弾き返した。ドムッ、という鈍い反発音とともに、真喜と油江の姿は光の彼方へと急速に遠ざかり、現世の埠頭へと取り残されていくのが見えた。
(ああ……よかった。彼らを巻き込まずに済んだ……)
安堵と、心臓を直接握り潰されるような別れの痛みが交錯する。
やがて光の奔流が収束し、エバの足の裏に、ひんやりとした硬い感触が戻ってきた。
「……お帰りなさいませ、元・奪衣婆殿」
無機質な声に目を開けると、そこには漆黒のスーツを着た死神の第四号が立っていた。
周囲の光景は、横浜の美しい夕暮れから一変していた。
空を覆うのは、太陽も星もない、永遠に続く鉛色の重い雲。足元に広がるのは、生命の気配が一切ない荒涼とした黒い砂地。そして目の前には、亡者たちが渡る巨大な漆黒の水流――「三途の川」が、音もなく静かに流れていた。
鉄と、古い灰の匂い。
何千年も嗅ぎ続けてきた、懐かしくも冷酷な故郷の空気だ。
エバは自らの手を見下ろした。魂の姿になれば、かつての冷徹なエリート官僚としての姿に戻るかと思っていたが、彼女の魂の輪郭は、未だに現世で借りていた「菱倉新子」の可憐な姿のままだった。
「私の姿が……」
「人間界での研修期間において、あなたの魂は現世の器に強く同調しすぎました。……いわば、人間の感情という『バグ』に深く感染してしまった状態です。元の姿に戻るには、システムの再フォーマットが必要になります」
死神の第四号が、黒いタブレットを操作しながら事務的に告げた。
「先ほど飛び込んできた二人の人間は、現世の結界に弾き返され、埠頭で気絶しているはずです。命に別状はありません。……さあ、参りましょう。閻魔大王様がお待ちです」
エバは小さく頷き、三途の川に背を向けて歩き出した。
真喜と油江が無事であったことに安堵しながらも、彼らともう二度と会えないという現実が、冷たい鉛となってエバの魂に重くのしかかる。
黒い砂地を抜け、そびえ立つ巨大な黒曜石の門をくぐると、そこは冥界の中枢である「閻魔庁」の裁定の間だった。
見上げるほどに巨大な空間。空中に浮かぶ無数のホログラムスクリーンには、現世の死者たちの罪状と魂の行き先が、天文学的な速度で処理され続けている。ここは、宇宙で最も厳格で、最も効率的な裁判所なのだ。
その空間の最奥、圧倒的な威圧感を放つ玉座に、その存在は座していた。
冥界の絶対的支配者であり、すべての死者の魂を裁くシステムの中枢――閻魔大王。
人間の想像するような恐ろしい鬼の姿ではない。まるで天を突くような長身の、端正で冷酷な顔立ちをした壮年の男の姿。彼は神々しい光を放つ法衣を纏い、すべてを見透かすような黄金の瞳でエバを見下ろした。
『――よく戻った、我が優秀なる執行官よ』
大王の声は、物理的な音波ではなく、エバの魂に直接響き渡る重低音だった。
『菱倉一族の血脈に発生した巨大な因果の歪み。その元凶であった者たちの罪を暴き、完璧な裁定を下したこと、見事である。お前の働きにより、冥界のシステムに生じていたエラーは完全に修正された』
「……もったいなきお言葉でございます、大王様」
エバは恭しくその場に跪き、深く頭を下げた。
かつての彼女であれば、この言葉にこの上ない誇りと達成感を感じていただろう。しかし今のエバの心にあるのは、空虚な喪失感だけだった。
『しかし……どうやらお前の魂には、厄介なものがこびりついているようだな』
大王の黄金の瞳が、エバの胸の奥を鋭く見透かした。
『強欲と嫉妬の衣を剥ぎ取るはずの奪衣婆が、自らの魂に「愛着」や「恋慕」という、人間界の未練という名の衣を纏って帰ってくるとはな。……あの二人の人間の男か』
「っ……申し訳ありません!」
エバは身をすくませた。
「これは、単なる現世でのバグです! すぐに再フォーマットし、元の冷徹な執行官として復帰いたします。どうか、私めにお許しを……」
『許すも何も、罪に問うてはおらん』
大王は、意外にも穏やかな、どこか面白がるような響きを声に交えて言った。
『現世の人間と深く関われば、魂が同調するのは必然。だからこそ、私はお前をあの肉体に憑依させたのだからな。……さて、任務を終えたお前に、我が冥界の法に基づき、二つの選択肢を与えよう』
大王が手をかざすと、エバの目の前に二つの光の球体が浮かび上がった。
一つは、冷たい青色の光。もう一つは、淡い白色の光だ。
『第一の選択肢。お前の魂を再フォーマットし、人間の感情というバグを完全に消去する。そして再び、私の直属の執行官「奪衣婆」として、三途の川で永遠に亡者の衣を剥ぎ取り続ける役割に戻る道だ』
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




