事件の爪痕と、焦れったい距離感㈡
三途の川の『奪衣婆』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?
数分後。
急降下と宙返りを繰り返すジェットコースターの最前列で、エバは風を切る感覚を涼しい顔で楽しんでいた。
(物理的な運動エネルギーを利用したスリル……人間の娯楽というのも、なかなか合理的にできていますわね)
元・奪衣婆として空中を飛び回ったり、銃弾のエネルギーを剥ぎ取ったりしてきたエバにとって、固定されたレールの上を重力に従って落ちるだけのアトラクションは、全く恐怖の対象にはならなかった。
「ギャァァァァァァッ!! し、新子ォォォ! 手、手ぇ握ってていいかァァァッ!?」
隣では、屈強な肉体を誇るはずの真喜が、完全に涙目になってエバの左手を両手でギュウギュウに握りしめ、情けない悲鳴を上げていた。
「……真喜さん、絶叫系は苦手でしたの?」
「に、苦手じゃないッ! 俺はお前を守るために、常に周囲を警戒しているだけだァァァッ!!」
強がりながらも、急降下の瞬間に「ヒィッ」と乙女のような声が漏れる真喜。そのあまりのギャップと滑稽さに、冷徹な執行官であるはずのエバの口から、思わず「ふふっ」と、心からの笑い声がこぼれ出た。
アトラクションを降りた後、フラフラの真喜をベンチに座らせ、エバは温かいココアを買ってきた。
「はい、真喜さん。お疲れ様でした」
「……面目ない。新子を守るどころか、俺の方がしがみついてしまった」
真喜はしょんぼりと肩を落としてココアを受け取った。その姿は、完全に飼い主に叱られたゴールデンレトリバーだ。
「いいえ。とても楽しかったですわ。私、あんなに声を出して笑ったの、いつ以来かしら」
エバがベンチの隣に座り、優しく微笑みかけると、真喜は少しだけ照れくさそうに頭を掻いた。
「新子が笑ってくれるなら、俺、何回でもジェットコースターに乗るよ。……俺さ、あの事件の時、本当にお前を失うかと思って、頭がおかしくなりそうだったんだ」
真喜の表情が、ふっと真剣なものへと変わった。
夕暮れの空が、二人を包み込むように赤く染まっていく。
「新子。俺は、油江教授みたいに頭も良くないし、お前の悩みを全部解決してやれるような器用な大人じゃない。……でも、俺は誰よりも、新子のことを大切にする。お前の居場所は、俺が絶対に作ってみせる」
真喜が、エバの手を真っ直ぐに、力強く握りしめた。
ココアの温もりよりも遥かに熱い、純度百パーセントの愛の告白。
ドクン、とエバの心臓が大きく跳ねる。彼の真っ直ぐな視線に射抜かれ、胸の奥の「恋のバグ」が最高潮に達してショートしそうになる。
(ああ、なんて愛おしい人なの。……このまま彼の手を握り返して、『私も好きです』と言えたら、どんなに幸せだろう)
しかし、エバの瞳の奥に、冷たい冥界の掟が立ちはだかる。
「真喜さん……。あなたのそのお気持ち、本当に、本当に嬉しいですわ」
エバは握られた手をそっと抜き取り、切なさを隠すように、彼の大きな掌を両手で優しく包み込み返した。
「でも、私にはまだ……自分自身の中で、整理しなければならないことがたくさんあるのです。菱倉という家が崩壊し、私がこれからどう生きていくべきなのか……。だから、ごめんなさい。今はまだ、はっきりとしたお返事をすることはできません」
それは、真喜を傷つけないための精一杯の嘘であり、避けて通れない残酷な「別れ」への伏線でもあった。
「……そうだよな。ごめん、俺、焦りすぎた。新子のペースでいいんだ。俺はいつまででも待つから」
真喜は寂しそうに一瞬目を伏せたが、すぐに太陽のような笑顔を作ってみせた。その優しさが、エバの心をさらに激しく締め付ける。
(ごめんなさい、真喜さん。……あなたが待っていてくれても、私はもうすぐ、この世界から消えてしまうかもしれないのに)
華やかなイルミネーションが点灯し始めた遊園地で、エバは誤魔化すように真喜の腕を引き、次のアトラクションへと向かった。
焦れったい距離感のまま、時間は残酷なまでに甘く、過ぎ去っていく。
しかし、事件の爪痕が消えかけた平和な日常の裏側で、エバを現実に引き戻す「絶対的な来訪者」の足音は、もうすぐそこまで迫っていたのである。
夜の帳が完全に下りた遊園地。
二人が最後に乗り込んだのは、横浜の夜景を一望できる巨大な観覧車だった。
ゆっくりと高度を上げていく密室のゴンドラの中。窓の外には、宝石箱をひっくり返したような眩い街の光が広がっている。
真喜は、先ほどのジェットコースターでの涙目はどこへやら、向かいの席で少し緊張した面持ちでエバを見つめていた。
先ほどの、ベンチでの告白。
エバの「今はまだ答えられない」という保留の返事を受け取ってもなお、真喜の瞳から彼女への情熱が失われることはなかった。むしろ、自分が彼女を急かしてしまったことを反省し、より一層の優しさで彼女を包み込もうとしているのが伝わってくる。
「……綺麗だな」
真喜がポツリと呟いた。
「ええ。本当に。まるで星の海に浮かんでいるみたいですわ」
「いや、景色もそうだけど……新子、お前がさ」
真喜の直球すぎる言葉に、エバは思わず瞬きを繰り返した。ゴンドラ内の薄暗い照明に助けられなければ、顔が赤くなっているのを完全に見透かされていただろう。
「お前が笑ってくれているだけで、俺の世界はこんなにも明るくなるんだって……改めて思った。だから、ゆっくりでいい。お前の心の傷が完全に癒えるまで、俺はいつまででもお前の特等席を空けて待ってるから」
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




