事件の爪痕と、焦れったい距離感㈠
三途の川の『奪衣婆』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?
菱倉家を根底から揺るがしたあの凄惨な事件から、数週間の時が流れた。
朱鳥女子大学のキャンパスを彩っていた銀杏の葉はすっかり落ちきり、吐く息が白く染まる本格的な冬の足音が近づいている。
かつて新子を死の淵へと追いやった旧理科棟の跡地は、完全に取り壊されて新しい教育棟の整備が始まっていた。一族の暗部である勉や香々美、そしてストーカーの犬飼はそれぞれ拘置所へと送られ、法と社会による厳しい裁きを待っている。
マスコミの狂騒もすっかり落ち着き、新子は「一連の事件の被害者でありながら、気丈に立ち直った令嬢」として、キャンパスでの平穏な日常を取り戻しつつあった。
「……でねっ! 昨日の夜、ついに駅前で待ち伏せして、先輩に告白しちゃったの!」
学内にあるお洒落なガラス張りのカフェテリア。
新子の親友である夕子が、焼きたてのパンケーキを前にして、顔を真っ赤にしながら身を乗り出していた。
「まあ。あの、テニスサークルのキャプテンに?」
エバ――表向きは新子――は、ダージリンティーのカップを優雅に傾けながら、微笑ましく相槌を打った。
「そう! もう心臓が口から飛び出るかと思ったけど……『ずっと気になってたから、嬉しい』って、OKもらえちゃったの! 新子が背中を押してくれたおかげだよ、本当にありがとう!」
夕子は感極まったように新子の手を取り、ぶんぶんと上下に振った。
「私が背中を押しただなんて。夕子自身の勇気が、彼に届いたのよ。本当におめでとう」
エバは夕子の温かい手を握り返し、ふわりと目を細めた。
冥界で奪衣婆として罪人の衣を剥ぎ取り続けてきたエバにとって、現世の人間たちが織りなす「恋愛」という感情は、当初は非効率的で不可解なシステムエラー(バグ)にしか見えなかった。
しかし今、親友の幸せそうな笑顔を前にして、エバの胸の奥には、まるで日向ぼっこをしているようなポカポカとした温かい光が満ちていた。
(誰かを大切に想い、想われること。……人間の心って、なんて脆くて、面倒くさくて……そして、こんなにも美しいのかしら)
「えへへ……。でもさ、私の話はもういいの!」
夕子はパンケーキを豪快に一口で頬張ると、今度は獲物を狙う小動物のようなキラキラとした目で、エバの顔を真正面から覗き込んできた。
「問題は、新子の方だよ! ねえ、ぶっちゃけどうなの!? あの、他大学の超絶イケメンで大型犬みたいな真喜くんと、うちの大学が誇るミステリアスな大人の男、油江教授! 最近、二人とも新子の周りをうろちょろして火花散らしてるじゃない!」
「ブホッ」
エバは思わず、優雅に飲んでいた紅茶を噴き出しそうになった。
「な、何を仰っているの、夕子。真喜さんは幼馴染みのようなものですし、油江教授はあくまで私のメンタルケアをしてくださっている恩師に過ぎませんわ」
完璧な令嬢スマイルで誤魔化そうとするが、親友のレーダーは甘くはなかった。
「またまたぁ! この前なんて、油江教授が新子を高級車で送っていくところを見た男子学生が、嫉妬でハンカチ噛みちぎってたんだからね! それに、真喜くんは毎日校門の前で忠犬ハチ公みたいに待ってるし。……どっちなの? 安心感の同世代? それとも、危険な香りのする年上?」
「そ、それは……」
エバの脳内に、死の密室で自分を助け出してくれた二人の男の顔が同時にフラッシュバックする。
不器用で、自分の命を投げ打ってでも「新子」を守ろうとする真喜の、過保護で温かい腕。
冷徹な犯罪心理学者でありながら、自分の背負う闇の底まで付き合ってくれる油江の、知的で危険な囁き。
(どっちを選ぶか、ですって……? そんなの、私には選ぶ権利なんて……)
エバの心が、ズキリと痛む。
一族の事件が解決した今、彼女の現世での研修はすでに完了している。冥界からの『帰還命令』がいつ下ってもおかしくない状況で、彼らに明確な答えを出すことなどできるはずがなかった。
「……ふふっ。乙女の秘密は、そう簡単には明かせませんわ」
エバは人差し指を唇に当て、少し悪戯っぽく、見事にはぐらかしてみせた。
「えーっ! 焦らすなぁ、もう! でも、新子がどっちを選んでも、私は全力で応援するからね!」
夕子の底抜けに明るい笑い声が、カフェテリアに響く。エバはその純粋な友情に救われた思いで、もう一度ダージリンティーの香りを深く吸い込んだ。
その日の放課後。
冬の気配が色濃くなってきた横浜・みなとみらい地区。巨大な観覧車が夕日に照らされてオレンジ色に輝く遊園地の入り口で、真喜が白い息を吐きながら足踏みをしていた。
「お待たせいたしました、真喜さん」
エバが声をかけると、真喜は弾かれたように振り返り、まるで尻尾を千切れるほど振っている大型犬のようにパッと顔を輝かせた。
「新子! いや、全然待ってないぞ! 俺も今来たところだから!」
そう言いながらも、彼の鼻の頭は寒さで少し赤くなっており、明らかに何十分も前から待ち構えていたことが丸わかりだった。
事件以降、真喜の新子に対する過保護っぷりはさらに拍車がかかっていた。キャンパスへの送り迎えは当然のこと、休日の買い物にまで「護衛」と称して付きまと……いや、付き添ってくれるのだ。
今日は「気晴らしにパーッと遊ぼう!」という真喜の提案で、二人で遊園地へとやってきたのである。
「さあ、何から乗る? 絶叫系? それともメリーゴーランドとか?」
「そうですね……。せっかくですから、あのジェットコースターに乗ってみたいですわ」
エバが指差したのは、園内で最も高く、最も複雑にレールが捻れた凶悪なジェットコースターだった。
「お、おう……! いいぞ、新子の乗りたいものに乗ろう!」
真喜は力強く頷いたが、その顔は少しだけ引き攣っていた。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




