裁きの時間と、暴かれた真実㈠
三途の川の『奪衣婆』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?
菱倉本邸の廊下を埋め尽くしたタクティカルブーツの足音は、静寂を重んじてきたこの屋敷の歴史を暴力的に塗り替えていった。
香々美の私室へと雪崩れ込んできた東京地検特捜部の係官と、所轄の突入部隊。彼らが手にしたライトの光束が、四散した宝石や割れたガラス、そして床に這いつくばる犯人たちの姿を容赦なく照らし出す。
「全員、動くな! 手を上げろ!」
鋭い号令が飛ぶ。しかし、その声を聞くまでもなく、そこにいた者たちはすでに戦意を完全に喪失していた。
床で白目を剥いて痙攣しているストーカーの犬飼。そして、自らの「美しき令嬢」という精神的装甲をエバによって無残に剥ぎ取られ、ただの震える肉塊と化した香々美。
「新子……新子、もう大丈夫だ。警察が来た。俺たちが勝ったんだ」
真喜は、腕の傷から流れる血をものともせず、エバをその逞しい腕の中に閉じ込めるようにして抱きしめていた。その胸の鼓動は激しく、しかし、愛する少女を地獄の底から救い出した確信に満ちていた。
エバは、真喜の腕の中で、すっと自身の意識を「被害者である菱倉新子」へと切り替えた。
元・奪衣婆としての冷徹な瘴気は、霧が晴れるように一瞬で消失している。彼女の瞳からは絶対零度の光が消え、代わりに、あまりにも凄惨な光景を目撃し、絶望に震える無力な少女の涙が溢れ出した。
「……真喜さん、怖い……。お姉様が、犬飼くんが……どうしてこんなことに……」
その震える声は、場にいた屈強な捜査員たちの保護欲を瞬時に掻き立てるほどに完璧だった。
「捜査員諸君、落ち着きたまえ。状況はすでに鎮圧されている」
混乱する現場で、唯一、泰然自若とした態度を崩さなかったのは油江颯だった。彼は床に転がっていた拳銃をハンカチで包んで回収し、近づいてきた特捜部の主任検事に向かって、静かに、しかし抗いようのない知的な威圧感を持って会釈した。
「朱鳥女子大学の油江です。……菱倉勉氏の不正に関するデータを提供したのは私だ。そして、ここにいる菱倉新子さんの警護を依頼されていたのもね」
油江は、犯罪心理学の権威としての名声を最大限に利用し、現場の主導権を握った。捜査員たちは、この著名な教授が事件の解決に深く関わっていることを察し、敬意を持って道を空けた。
「……信じられん。まさか、本邸の奥でこれほどの修羅場が展開されていたとは」
主任検事は、拘束される犬飼と、虚ろな目でうわ言を漏らす香々美を見下ろして唸った。
「油江教授。彼らの容疑について、詳細な説明をお願いしたい。特捜としては勉氏の背任を追っているが、この殺傷沙汰は管轄外だ」
「いいえ、検事。これらはすべて『一つの線』で繋がっています。強欲という名の巨大な病巣が、菱倉という一族を内側から腐らせてきた結果なのです」
油江の瞳が、眼鏡の奥で鋭く光った。
「彼らの身柄を確保してください。私が直接、彼らの心の深淵を覗き、すべての真実を吐き出させましょう。……特に、勉氏が隠し続けてきた『最大の罪』についてもね」
一時間後。
菱倉本邸の一階、かつては賓客を招くために使われていた格式高い応接室は、仮設の尋問室へと変貌していた。
重厚な防音壁に囲まれた室内には、油江颯と、手錠をかけられた香々美、そして二人の捜査員が同席していた。別室では、意識を取り戻した犬飼の尋問が、油江の指示を受けたベテラン刑道によって進められている。
香々美は、先ほどまでの狂乱が嘘のように静まり返っていた。だが、それは冷静さを取り戻したわけではない。エバによって「嫉妬の皮」を剥ぎ取られた彼女の精神は、いわば剥き出しの火傷のような状態にあり、外部からの刺激に対して極めて無防備な、心理学的な「完全崩壊状態」に陥っていた。
「……さて、香々美さん。お茶でもいかがかな?」
油江は、努めて穏やかな、しかし逃げ場のないほどに澄み切った声で問いかけた。
「……見ないで」
香々美が掠れた声で呟いた。彼女は自身の身体を抱きしめるようにして、小さく丸まっている。
「私は、もう……何もない。全部、あの子に奪われた。私の綺麗なドレスも、私の家も、私のプライドも……」
「奪われたのではない。君が自ら脱ぎ捨てたのだよ。……いや、君の中にいた『怪物』が、耐えきれなくなって表に飛び出したと言った方が正確かな」
油江は、机の上に一枚の写真、旧理科棟の屋上の光景を置いた。
「犬飼くんに命じて、新子お嬢様をそこから突き落とさせた。……君の嫉妬は、なぜそれほどまでに深く、残酷な形を取ったのか。それを語ることは、君の魂に残された唯一の救済だ」
油江の言葉は、心理学的な「催眠」に近い効果を持って香々美の脳に浸透していった。エバの異能によって精神の防壁が瓦解していた彼女にとって、油江の問いかけは、暗闇の中で差し伸べられた唯一の手すりのように感じられたのだ。
「……だって、ずるいじゃない」
香々美の口から、ポツリ、ポツリと、泥のような告白が溢れ出した。
「新子は……何もわかってない。自分がどれほど恵まれていて、どれほど汚れた血の上に立っているかも。……私のお父様は、勉叔父様の言いなりになって、いつも震えていた。私は、この家で生き残るために、お世辞を言って、自分を飾り立てて、必死に『価値のある娘』を演じてきたのに。……なのに、あの子は、ただそこにいるだけで、すべてを手に入れようとしている」
香々美の瞳に、濁った憎悪の光が宿る。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




